ひかるくんには何でも見えている
七海ちゃんと白雪ちゃん

心配な人は大事な人




「あ、美沙ちゃん! どうしたの?」



 家庭科室の火事から3日後。
 少し暑い日差しの中、商店街を歩くわたしを呼び止める声がした。


「七海ちゃん! 母さんから買い物頼まれちゃって。そっちは?」

「今はお昼どきの客も落ち着いて、ちょっと休憩中かな!」


 エプロン姿で、大きく伸びをして出てくる七海ちゃん。

 白いシャツに茶色いエプロン。わたしが調理実習で着るようなやつとは全然違う、ちゃんとしたお店のやつだ。


「あ、そうだ。もし良かったら寄ってってよ! 今コーヒーの練習してるんだ」
「コーヒーの練習?」
「難しいんだよ? 美味しいコーヒーをいれるって。父さんの味は、まだまだ遠い……」


 へー……

 わたしはコーヒーのことはよくわからないけど、喫茶店のマスターである七海ちゃんのお父さんはやっぱり厳しいのだろう。


「美沙ちゃん、お店入るのは初めてだよね。ようこそ『かけはし』へ!」




 七海ちゃんの両親がやっている喫茶店『かけはし』。上橋駅へ続く商店街の真ん中あたりにあって、わたしも数え切れないほど目の前を通ってきたが、中に入ってみると思ったより広い。

 今は14時ぐらいで、テーブル席におばさんグループが1組いるだけだ。


 言われるがまま、カウンター席の端っこに案内される。
 おばさんたちの話し声や、聞いたこと無いクラシック曲のBGMに混じって、店の奥の方からかすかに機械音も聞こえる。きっと何か調理用の機械なんだろう。


「ごめんね、今仕込み中で父さん手が離せないの。先にあたしがコーヒーいれるね!」

 カウンターの向こうでそう言った七海ちゃんは、見たこともない道具を取り出し、目の前で組み立てていく。


 その最中も、七海ちゃんのおしゃべりは続く。

「美沙ちゃん、この休みどうしてたの?」
「うーん、特に何も、って感じかな。だらだら動画見たりとか」



 火事の現場検証が必要とかいう理由で、学校は3日間休校になった。


 でも普段の連休みたいにどこか遊びに行こうかな、なんて楽しみな気持ちは、わたしには起きなかった。




 わたしはスマホのメッセージアプリを開く。


 ――ひかるくんとは、休校になってる間、連絡を取ってない。


 これまでは土日も、なんだかんだ魔に関する情報交換をしていたのに。


 ひかるくんから不審な音とか聴こえた?って連絡があって、何かあればわたしから報告する。
 すると、ひかるくんが詳しく調べる。


 そういうやり取りが3日も無いのは、多分知り合ってから初めてだ。


「あれ、どうしたの美沙ちゃん? 気になることでもあった?」

「いや、なんでもないよ。七海ちゃんは、ずっとお店の手伝い?」
「うん! 少ないけどおこづかいもらえるし」


 しゃべってる間に道具を組み立て終わった七海ちゃんは、その上からゆっくりとお湯を注いでいく。


 道具の中を液体が落ちていく。コーヒーの香りと、ポタポタという音。



 しばらくして、コップに溜まった液体を七海ちゃんはカウンターの向こう側に降ろし、その直後、わたしの目の前にコーヒーカップが置かれた。


「はい、あたしのいれたコーヒー。砂糖とミルクはお好みで。…………あ、こっち父さんのいれてくれたコーヒーだよ!」


 新たに置かれた方のカップからも、顔を近づけるとコーヒーの香りが広がる。

 2杯のコーヒー。見た目は変わらない。


 備え付けのミルクを入れ、わたしは順番に飲む。



 ――どちらも美味しい。

 なんだか、心が安らぐ。



「……良かった」

「え?」


 七海ちゃんが小声でつぶやいたのに、わたしは思わず反応してしまった。


「あ……うん。美沙ちゃん、なんだか元気なさそうだったから。さっき歩いてたときも、なんか、ずっと考え事してる感じで……」

「そ、そう?」
「悩んでいるときの常連さんと、同じ表情してた」



 ……う〜ん、七海ちゃんには勘付かれていたのか。

 もしかしてこういうお客さんの気持ちを読むみたいなスキルも、喫茶店の手伝いには必要なのかな。



「そうなんだ。……実は今、心配な人がいて」

「心配?」
「うん。その人は、自分に責任を感じてる、のかな。それで、すごい落ち込んでるの」


 家の階段を上がっていく、3日前のひかるくんの後ろ姿を思い出す。

 フラフラした足音。震える声。


 あんなに人の感情が音に出ちゃってるのを感じるのは、なかなかない。



「そうなんだ、それ、美沙ちゃんの友だち? あたしも知ってる人?」

「えっと……いや、多分知らないかな。わたしの、小学校の時の知り合い」


 ……って、思わずうそついちゃった。

 わたしとひかるくんの関係を深く突っ込まれたくないとはいえ、せっかく仲良くなった七海ちゃんに申し訳ない。


 ひかるくんや司郎さんは、魔や守り手のことを隠すためにうそをつくこともあるだろうけど、今回のことは魔に関係……あるといえば、あるか……



「そっか〜……でも、美沙ちゃんがそれだけ悩むってことは、きっと美沙ちゃんにとって大事な人なんだね」

「だ、大事!?」


 思わずわたしの心臓が、ドクンと大きな音を立てる。


 っていや、大事といえば大事だ。

 わたし1人では魔を見つけられたとしても戦えないのだから。


 家庭科室の火事を起こしたあの魔を倒すには、ひかるくんがいないと。

 大事というのは、そういう意味なんだ。


「あれ、美沙ちゃん顔赤いよ? コーヒー熱かった?」

 七海ちゃんが、カウンター越しに顔を近づけてくる。

 もう、こうやってどんどん迫ってくるテンションの高さも、店での接客で鍛えられたのかな。



「あ、それは大丈夫。……七海ちゃん、わたしと違っていつも元気だよね」

 なんとなく話題をそらしたくて、七海ちゃんに振ってみる。


 すると、七海ちゃんはぷくっと顔を膨らませて。


「そんなことないよ、あたしだって普通に落ち込むからね? 例えば」

 そう言って七海ちゃんは、わたしの目の前の2杯のコーヒーを勝手に少しずつ飲む。


 まず七海ちゃんがいれた方。次に七海ちゃんのお父さんがいれた方。



 そして、はあとため息をつく。


「やっぱり、まだまだ全然味が違う……父さんがいれた方はずっと美味しい」


 そう、なんだ。

 わたしからすると、正直味の違いなんてよくわからなくてどっちも美味しかったのに。


「目指す味はわかってるのに、ゴールは見えてるのに、そこにたどり着けない。コーヒー以外の料理も、父さんと同じレシピなのに味が違っちゃう。……料理の道は遠い」


 わたしも、他のクラスメイトも、七海ちゃんの弁当は本当に美味しいと思ってるのだけど、当の七海ちゃんからするとまだまだ、ということか。


 きっと料理の道は、素人のわたしには想像もつかない大変な道のりなんだろう。



 けど、七海ちゃんの声はすぐに上向きになった。
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