97年から00年代初頭。意地悪される側,人不信なひとはみっともなく生きる資格ないほど弱虫という考えが、大人に根強くあり、だから自分を責めました

今も2000年度も、いじめされる子の保護者には、子無しのほう心労なく気楽で幸せに思える

97年度の例をあげてみると
恐喝無理強い恐喝詐欺などのいじめでいじめる人の保護者は幸せだとおもえる
いじめる人なら人間不信ならないうえいじめられることないから夏休み終わり泣くことや夏休み終わりあの世行こうとしない
97年度の8月終わりと00年の8月最後の日
あの世行こうと線路前行った




恐喝無理強いなどのいじめしてる人と
一人にだけ蔑みバカにするこというひとにそれを気づいてもらいたい





なぜいじめる人とその保護者だけが呑気気楽なのだろうか
いじめるひとは夏休み終わり泣くことないし人間不信ならなく
意地悪される側にもならないから幸せにみえる
いじめる人ならいじめられる側にならない



いじめる人がなぜ呑気なのかな?
心労一つも一ミリも無いのだろ?
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