野いちご源氏物語 五一 浮舟(うきふね)
(かおる)(きみ)はお仕事が少し落ち着いたころ宇治(うじ)へお越しになった。
まずお(どう)の仏様にお参りなさって、夕方山荘(さんそう)の方にいらっしゃる。
こっそりとしたお出かけだけれど、粗末(そまつ)な着物ではなく、いつもどおりの気軽な格好をなさっている。
それがお美しくて、山荘に入っていらっしゃるときから威厳(いげん)がおありになる。

<どうしてお会いできようか>
浮舟(うきふね)(きみ)匂宮(におうのみや)様と関係を持ってしまったことが恥ずかしくて、顔を上げることもできない。
<こんなふうにいろいろな男君(おとこぎみ)と関係を持ってよいはずがない>
とつらくなる一方で、匂宮様がご病気だという(うわさ)も思い出す。
<宮様は『あなただけでよい。他の妻のことはどうでもよくなってしまいそうだ』とおっしゃった。都にお戻りになってからご体調を(くず)されて、おっしゃったとおり奥様たちのところへ行かれていないとか。ご病気回復のお祈りが(さわ)がしく行われているらしいのに、私が宇治で薫の君をお迎えしたとお聞きになったら、どれほどお苦しみになるだろう>

目の前の薫の君は上品で落ち着きがあって、しばらく来られなかった言い訳をなさるときも、お言葉は多くない。
恋しかったとか悲しかったとか露骨(ろこつ)におっしゃらないの。
でも、会いたいのに会えない恋の苦しさを品よくお伝えになるのは、むやみにおしゃべりな男よりしっとりとした雰囲気があるとも言える。
若い女性がときめくかどうかはともかく、将来まで頼りにできそうなのは間違いなく薫の君よ。

それは浮舟の君も分かっている。
<私の浮気がもしお耳に入れば、薫の君はとんでもなくがっかりなさるだろう。情熱的な宮様に心()かれるのは間違っている。あまりに軽率(けいそつ)だ。もし薫の君に嫌われて、忘れられてしまったら。山荘でひたすらお待ちする心細さは身にしみて分かっている。あの心細さが永遠に続くのは、とても()えられない>

女君が思い乱れているのを、薫の君は勘違いなさる。
<ずいぶんと大人の女らしくなった。男を恋しく思う感情が生まれたようだ。この(さみ)しい山荘で、私を待ちながら物思いをしつづけたせいだろう>
申し訳なくお思いになって、いつもよりもやさしくお話しになる。

「あなたを都に迎えるための屋敷が、もうそろそろ完成しますよ。先日見てきたけれど、(おだ)やかな川が近くに流れていて、あなたが引っ越してくるころには花も美しく咲くでしょう。私の自宅のすぐそばだから、こんなふうに寂しい思いをさせることもなくなる。今月か来月にはお移りになれるから」
うれしいはずのお話を聞いても、浮舟の君は宮様のことを思い出してしまう。

<宮様も昨日のお手紙で、『山荘の近くに、あなたとゆっくり過ごせる隠れ家を見つけた』とお書きになっていた。何もご存じないのだ。薫の君は私を都の別邸(べってい)に移そうとなさっているのに。あぁ、いけない。もう宮様のことは忘れなければ>
と思うそばから、あの日の宮様の面影(おもかげ)が浮かんでくる。
(われ)ながら情けなくて泣くのを、薫の君は勘違いしたままお(なぐさ)めになる。

「そんなふうにつらそうになさらないで。おっとりとしたところがあなたのよいところなのですから。女房か誰かが私を薄情(はくじょう)だとでも申しましたか。それはとんだ間違いです。あなたを本気で愛しているからこそ、気軽に動けない身分なのに(けわ)しい山道を越えて、あなたに会いにきているのですよ」
ご一緒に月を(なが)めながら、いかにも誠実そうにささやかれる。

()()いあっていても、内心(ないしん)ではお互い別々の物思いをなさっている。
薫の君は亡き大君(おおいぎみ)のことを思い出され、女君は、
<これから私は、薫の君と匂宮様の間でどうなっていくのだろう>
と悩んでいるの。

山の方は(かすみ)がかっている。
宇治(うじ)(がわ)の方は視界が(ひら)けていて、遠くに宇治(うじ)(ばし)が見える。
寒々しい川岸にたたずむ鳥や、(しば)を積んで行きかう小舟にも山里(やまざと)らしい風情(ふぜい)がある。
<あぁ、宇治だ>
大君と過ごした日々のことを、薫の君はありありと思い出される。
しかもお隣にいるのは大君そっくりの女君だから、いっそう景色がお心にしみる。

<ここしばらくの間に、姫はずいぶん大人びて(あか)()けた。なんとかわいらしい人だろう。すばらしい成長だ>
と薫の君はおよろこびなのに、女君の目からはちょっとしたきっかけで涙がこぼれる。
薫の君は困ってしまわれる。
「宇治橋のように長く長くあなたを愛しますよ。約束します。今に見ていてごらん、きっとあなたが安心できるようにしてあげるから」

「宇治橋は(もろ)くなっているところもあると申します。あなた様と私の関係のようで、そんなお約束は頼りにできません」
女君の態度がいつもと違うので、薫の君は放っておけないようにお思いになる。
でも、世間に非難(ひなん)されることを気になさって、
<今(あせ)ることはない。都に迎えれば、いくらでもゆっくり会えるのだから>
と、明け方前にお帰りになった。
都に戻られると、これまで以上に浮舟の君が気にかかって、しばしば思い出していらっしゃる。
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