野いちご源氏物語 五一 浮舟(うきふね)
匂宮様はご自分のお部屋に戻ってお考えになる。
<あのかわいらしかった人は宇治の山荘にいるのか。ということは、おそらく薫の君の恋人なのだろう。薫の君がいまだに宇治へ通っていると聞いて、おかしいと思っていた。しかも泊まることもあるという。いくら亡き大君との思い出の山荘といっても、わざわざそんな寂しい外泊をするだろうかと怪しんでいたが、こっそり恋人を置いていたのだな>
もっと詳しい事情が知りたいと、宮様は大内記という役人をお呼びになった。
この人は学者だけれど、義父が薫の君のお屋敷で事務長をしているから、内部の事情を知っていそうなの。
ちょっとした仕事をしてほしいとお命じになって、それからさりげなくお尋ねになる。
「薫の君は今も宇治へ通っているようだね。立派なお堂を建てたとか。どんなお堂か気になっているのだよ」
「たいそうご立派だと私も聞いております。去年の秋ごろから、宇治へ行かれることが頻繁になったようで。下々の者が申しますには、『山荘に恋人をひそかに住まわせていらっしゃるのだ。なかなか大切になさっているらしい。近くのご領地の者が、薫の君のご命令で警備などをしている。お暮らしに必要な物は都から送っておられるようだ。どんな幸運な女性なのだろう。それでも宇治のような田舎ではお心細いだろうが』とか。年末にそんな話を耳にいたしました」
<よいことを聞いた>
うれしく思いながらも、念のため確認なさる。
「本当に恋人なのだろうか。名前は聞かなかったか。宇治の山荘には昔から弁の尼という人が住んでいて、その尼をときどき訪ねていると薫の君は言っていたが」
「たしかに尼も山荘の隅に住んでおりますが、薫の君の恋人は女主人として山荘にいらっしゃいます。なかなかよい女房たちに囲まれて、きちんとした様子でお暮らしでございますよ」
「変わった趣味だな。その恋人はもともと宇治の人というわけでもないだろう。どんな人を、どんな理由でそんなところに置いたのか。私にはさっぱり理解できない。夕霧大臣も勘違いしてお怒りだったよ。『薫の君は仏教に熱心すぎる。宇治のお堂までふらりと出かけていって、一晩中修行するなど身分にふさわしくない』とね。とんでもない修行をなさっていたようだ。
亡き大君への愛情で今も宇治に通っているのかと思いきや、これだものな。真面目ぶった男ほど意外な隠し事があるものだ」
と、楽しそうになさる。
<薫の君が山荘に隠している恋人は、本当に私が会ったあの人だろうか。そこをはっきりさせたい。薫の君がそこまで大切にしているなら、ふつうの女性ではないだろう。やはりあの人か。だとしたら中君も無関係ではないはずだ。ふたりで相談した結果、宇治へ隠してはどうかということになったのだろう>
薫の君と中君がひそかに協力なさっていたことに嫉妬なさる。
それからはずっと、この宇治の女君のことを気にしていらっしゃる。
ちょうど地方長官の人事異動が行われるころよ。
役人たちはよい役職を得ようと必死だけれど、宮様はご興味がない。
どうにかしてこっそり宇治へ行く方法はないかとばかりお考えになっている。
大内記は希望している役職があるみたい。
匂宮様のご推薦がほしいと思っているようなので、宮様はいくつか仕事をお命じになりながらおそばへお呼びになる。
「難しい頼みを聞いてくれるか」
宮様がおっしゃると、大内記はかしこまって頭を下げた。
「薫の君が宇治に置いている女君というのは、私の恋人だった人かもしれないのだ。行方不明になっていたのだが、薫の君に引き取られたという話を聞いたことがある。そなたが宇治の女君の話をしたから、もしかしたらと思ってね。
こうしてここで考えていても埒が明かない。その女君の顔を確かめてはっきりさせようと思う。世間に知られないように宇治へ行き、こっそり姿を覗いてみたいのだが、どうすればよいだろう。そなたに協力してほしい」
大内記は面倒に思ったけれど、役職を得るためなら仕方がない。
「山道は険しゅうございますが、それほどの距離ではございません。夕方お出になれば夜のうちにご到着なさいましょう。それで明け方前にあちらをご出発なされませ。暗いうちにご移動なされば世間は気づきません。もちろんお供には知られてしまいますが、どういう目的で宮様が宇治まで行かれたかは分からないままでございましょう」
「あぁ、そのくらいの距離だったな。中君を訪ねて何度か通ったことがある。軽率な振舞いだと世間から非難されるだろうう。それが心配なのだ」
宮様は何度もためらわれたけれど、口に出せばお気持ちは固まるのよね。
宇治の山荘に行こうとお決めになった。
大内記は義父に薫の君のご予定を聞いたみたい。
薫の君が宇治へお越しにならないはずの日を宮様にお伝えした。
信頼できる人たちと大内記をお供に連れて、宮様はご出発なさる。
<中君を訪ねたときは、薫の君が宇治まで案内してくれたのだった。私の恋のためにあれほど協力してくれた人を裏切るようで後ろめたい>
いろいろな感情がお胸をよぎる。
途中まで乗り物で移動なさって、都の外からは馬にお乗りになる。
<都のなかですら、恋のためにあちこち出かけることはできない身分なのに、こうして粗末な格好をして馬で都を離れるのは恐ろしいような気もする>
とお思いになる一方で、宇治の女君に期待もなさる。
お胸が高鳴って、
<せっかく宇治まで行って、垣間見だけで帰るのはつまらないな>
とまでお思いになる。
お急ぎになったので、夜のはじめに到着なさった。
敷地のどのあたりに警備がいるかも、大内記は義父から聞いてきている。
そちらは避けて、まず大内記がこっそりと山荘に忍びこむ。
慎重に様子をうかがい、女君がいそうなお部屋を見つけた。
宮様のところに戻って申し上げる。
「まだ女房たちは起きているようです。覗いてごらんになれそうな場所までご案内いたします」
<あのかわいらしかった人は宇治の山荘にいるのか。ということは、おそらく薫の君の恋人なのだろう。薫の君がいまだに宇治へ通っていると聞いて、おかしいと思っていた。しかも泊まることもあるという。いくら亡き大君との思い出の山荘といっても、わざわざそんな寂しい外泊をするだろうかと怪しんでいたが、こっそり恋人を置いていたのだな>
もっと詳しい事情が知りたいと、宮様は大内記という役人をお呼びになった。
この人は学者だけれど、義父が薫の君のお屋敷で事務長をしているから、内部の事情を知っていそうなの。
ちょっとした仕事をしてほしいとお命じになって、それからさりげなくお尋ねになる。
「薫の君は今も宇治へ通っているようだね。立派なお堂を建てたとか。どんなお堂か気になっているのだよ」
「たいそうご立派だと私も聞いております。去年の秋ごろから、宇治へ行かれることが頻繁になったようで。下々の者が申しますには、『山荘に恋人をひそかに住まわせていらっしゃるのだ。なかなか大切になさっているらしい。近くのご領地の者が、薫の君のご命令で警備などをしている。お暮らしに必要な物は都から送っておられるようだ。どんな幸運な女性なのだろう。それでも宇治のような田舎ではお心細いだろうが』とか。年末にそんな話を耳にいたしました」
<よいことを聞いた>
うれしく思いながらも、念のため確認なさる。
「本当に恋人なのだろうか。名前は聞かなかったか。宇治の山荘には昔から弁の尼という人が住んでいて、その尼をときどき訪ねていると薫の君は言っていたが」
「たしかに尼も山荘の隅に住んでおりますが、薫の君の恋人は女主人として山荘にいらっしゃいます。なかなかよい女房たちに囲まれて、きちんとした様子でお暮らしでございますよ」
「変わった趣味だな。その恋人はもともと宇治の人というわけでもないだろう。どんな人を、どんな理由でそんなところに置いたのか。私にはさっぱり理解できない。夕霧大臣も勘違いしてお怒りだったよ。『薫の君は仏教に熱心すぎる。宇治のお堂までふらりと出かけていって、一晩中修行するなど身分にふさわしくない』とね。とんでもない修行をなさっていたようだ。
亡き大君への愛情で今も宇治に通っているのかと思いきや、これだものな。真面目ぶった男ほど意外な隠し事があるものだ」
と、楽しそうになさる。
<薫の君が山荘に隠している恋人は、本当に私が会ったあの人だろうか。そこをはっきりさせたい。薫の君がそこまで大切にしているなら、ふつうの女性ではないだろう。やはりあの人か。だとしたら中君も無関係ではないはずだ。ふたりで相談した結果、宇治へ隠してはどうかということになったのだろう>
薫の君と中君がひそかに協力なさっていたことに嫉妬なさる。
それからはずっと、この宇治の女君のことを気にしていらっしゃる。
ちょうど地方長官の人事異動が行われるころよ。
役人たちはよい役職を得ようと必死だけれど、宮様はご興味がない。
どうにかしてこっそり宇治へ行く方法はないかとばかりお考えになっている。
大内記は希望している役職があるみたい。
匂宮様のご推薦がほしいと思っているようなので、宮様はいくつか仕事をお命じになりながらおそばへお呼びになる。
「難しい頼みを聞いてくれるか」
宮様がおっしゃると、大内記はかしこまって頭を下げた。
「薫の君が宇治に置いている女君というのは、私の恋人だった人かもしれないのだ。行方不明になっていたのだが、薫の君に引き取られたという話を聞いたことがある。そなたが宇治の女君の話をしたから、もしかしたらと思ってね。
こうしてここで考えていても埒が明かない。その女君の顔を確かめてはっきりさせようと思う。世間に知られないように宇治へ行き、こっそり姿を覗いてみたいのだが、どうすればよいだろう。そなたに協力してほしい」
大内記は面倒に思ったけれど、役職を得るためなら仕方がない。
「山道は険しゅうございますが、それほどの距離ではございません。夕方お出になれば夜のうちにご到着なさいましょう。それで明け方前にあちらをご出発なされませ。暗いうちにご移動なされば世間は気づきません。もちろんお供には知られてしまいますが、どういう目的で宮様が宇治まで行かれたかは分からないままでございましょう」
「あぁ、そのくらいの距離だったな。中君を訪ねて何度か通ったことがある。軽率な振舞いだと世間から非難されるだろうう。それが心配なのだ」
宮様は何度もためらわれたけれど、口に出せばお気持ちは固まるのよね。
宇治の山荘に行こうとお決めになった。
大内記は義父に薫の君のご予定を聞いたみたい。
薫の君が宇治へお越しにならないはずの日を宮様にお伝えした。
信頼できる人たちと大内記をお供に連れて、宮様はご出発なさる。
<中君を訪ねたときは、薫の君が宇治まで案内してくれたのだった。私の恋のためにあれほど協力してくれた人を裏切るようで後ろめたい>
いろいろな感情がお胸をよぎる。
途中まで乗り物で移動なさって、都の外からは馬にお乗りになる。
<都のなかですら、恋のためにあちこち出かけることはできない身分なのに、こうして粗末な格好をして馬で都を離れるのは恐ろしいような気もする>
とお思いになる一方で、宇治の女君に期待もなさる。
お胸が高鳴って、
<せっかく宇治まで行って、垣間見だけで帰るのはつまらないな>
とまでお思いになる。
お急ぎになったので、夜のはじめに到着なさった。
敷地のどのあたりに警備がいるかも、大内記は義父から聞いてきている。
そちらは避けて、まず大内記がこっそりと山荘に忍びこむ。
慎重に様子をうかがい、女君がいそうなお部屋を見つけた。
宮様のところに戻って申し上げる。
「まだ女房たちは起きているようです。覗いてごらんになれそうな場所までご案内いたします」