野いちご源氏物語 五一 浮舟(うきふね)
宮様はそっと濡れ縁にお上がりになった。
戸に隙間があるのを見つけてそちらへお寄りになる。
美しい新築の山荘だけれど、田舎の工事なので細かいところまできっちりできていない。
隙間があっても、
「誰がわざわざこんなところまで来て覗くものか」
なんて言ってふさがなかったのでしょうね。
お部屋のなかのついたてもきちんと置かれていなかった。
灯りを明るくして、三、四人の女房が縫物をしている。
宮様は女童をご覧になって、
<あの日見た子だ>
とはっとなさる。
その奥にあの日のかわいらしい人が、腕を枕にしてぼんやりと灯りを眺めていた。
髪がこぼれかかった感じが上品で、中君によく似ていることに宮様はお気づきになる。
女房が作業をしながら浮舟の君に声をかけた。
「お母君と石山寺へお参りに行かれたら、しばらくこちらへはお帰りになれないでしょう。薫の君の次のお越しは来月の初めになりそうだと、昨日お手紙を届けに来たお使者が申しておりました。石山寺へお参りすることをお返事にお書きになりましたか」
浮舟の君は答えず、物思いにふけっている。
「明日から姫様はお参りにいかれるのですから、お留守のときにお越しになっては具合が悪うございます」
重ねて女房が言うと、他の女房が口を挟んだ。
「まだならきちんとお伝えしませんと。もう奥様なのですから、夫君に知らせずお出かけになるのは軽々しいことです。お参りがすんだらすぐにお戻りなされませね。
ここは心細い田舎ですけれど、気楽にお暮らしになれるよいところですよ。お参りからの帰り、都のご自宅でしばらく過ごそうなどと思われませんように。今さらご自宅へ行かれても、他人の家のような気がなさるだけです」
「都のことはしばらくお忘れになっていた方がよいでしょうね。ここで気長に薫の君をお待ちしているのが、素直な奥様らしいご態度です。いつか薫の君が都に呼び寄せてくだされば、母君とはゆっくりお会いになれますよ。
今回のお参りは乳母殿が勝手に決めて、姫様のお母君にお願いしてしまったのですもの。こんな田舎に姫様が置かれていらっしゃることに我慢できなくなって、石山寺の仏様になんとかしていただこうと思いついたのでしょう。あの人はせっかちですからね。『のんびり者が幸運をつかむ』と昔から申しますのに」
「そのくせ肝心のお参りが近づいたら、『娘が出産するから手伝いに行かなければ』と留守にしてしまうのですからひどいこと。私たちが乳母殿の暴走を止められたらよかったのですけれど。年寄りは頑固で困ります」
この会話を聞いて宮様は思い出される。
<あのとき、鬼のような顔で私をにらんできた乳母がいた。その人の悪口を言っているのだろう>
宮様はまるで夢のような心地がなさる。
女房たちの話は止まらない。
あけすけにいろいろなことを話してから、中君の話題になった。
「それにしても中君はご幸運な方ですね。匂宮様が夕霧大臣様の姫君とご結婚なさったときは、さすがに大臣家の勢いに負けてしまわれるだろうと思いましたけれど。若君がお生まれになってからは、中宮様からも認められたご立派なお妃様でいらっしゃいます。あちらには出しゃばりでせっかちな乳母などいないのでしょう。中君も女房たちも落ち着いて上手にお振舞いになっているから、あんなお幸せを手に入れなさったのですよ」
「あら、こちらの姫様だって薫の君のご愛情がつづけば、今に中君に劣らないお幸せを掴まれますよ」
負けん気を出した女房を、浮舟の君は少し起き上がって注意した。
「やめてちょうだい。他の誰に負けん気を出してもよいけれど、中君にだけはいけません。どこかで誰かが聞いていて中君のお耳に入ったら恐れ多いでしょう」
宮様は不思議に思われる。
<中君の親戚に違いない。どういう関係なのだろう。本当によく似ている>
思い浮かべて比べてごらんになると、ご立派で上品なところは中君の方が上よ。
こちらはただおっとりとして繊細な雰囲気がかわいらしいの。
一度お心を惹かれれば、宮様はその女性に多少の欠点を見つけてもご自分のものにしてしまわれる。
まして何もかも美しい浮舟の君をお諦めになるはずがないわ。
もう他のことはお考えになれない。
じっと浮舟の君をお見つめになる。
「あぁ、眠い。昨夜もほとんど徹夜でしたもの。少し休んで、仕上げは朝にいたしましょう。お母君がお迎えの乗り物を寄越してくださるのは、どんなに早くても日が高くなってからでしょう」
女房はそう言って、縫いかけの布地などをざっと片付ける。
浮舟の君は少し奥の方に入って休む。
右近と呼ばれていた若い女房が、その足元で横になった。
戸に隙間があるのを見つけてそちらへお寄りになる。
美しい新築の山荘だけれど、田舎の工事なので細かいところまできっちりできていない。
隙間があっても、
「誰がわざわざこんなところまで来て覗くものか」
なんて言ってふさがなかったのでしょうね。
お部屋のなかのついたてもきちんと置かれていなかった。
灯りを明るくして、三、四人の女房が縫物をしている。
宮様は女童をご覧になって、
<あの日見た子だ>
とはっとなさる。
その奥にあの日のかわいらしい人が、腕を枕にしてぼんやりと灯りを眺めていた。
髪がこぼれかかった感じが上品で、中君によく似ていることに宮様はお気づきになる。
女房が作業をしながら浮舟の君に声をかけた。
「お母君と石山寺へお参りに行かれたら、しばらくこちらへはお帰りになれないでしょう。薫の君の次のお越しは来月の初めになりそうだと、昨日お手紙を届けに来たお使者が申しておりました。石山寺へお参りすることをお返事にお書きになりましたか」
浮舟の君は答えず、物思いにふけっている。
「明日から姫様はお参りにいかれるのですから、お留守のときにお越しになっては具合が悪うございます」
重ねて女房が言うと、他の女房が口を挟んだ。
「まだならきちんとお伝えしませんと。もう奥様なのですから、夫君に知らせずお出かけになるのは軽々しいことです。お参りがすんだらすぐにお戻りなされませね。
ここは心細い田舎ですけれど、気楽にお暮らしになれるよいところですよ。お参りからの帰り、都のご自宅でしばらく過ごそうなどと思われませんように。今さらご自宅へ行かれても、他人の家のような気がなさるだけです」
「都のことはしばらくお忘れになっていた方がよいでしょうね。ここで気長に薫の君をお待ちしているのが、素直な奥様らしいご態度です。いつか薫の君が都に呼び寄せてくだされば、母君とはゆっくりお会いになれますよ。
今回のお参りは乳母殿が勝手に決めて、姫様のお母君にお願いしてしまったのですもの。こんな田舎に姫様が置かれていらっしゃることに我慢できなくなって、石山寺の仏様になんとかしていただこうと思いついたのでしょう。あの人はせっかちですからね。『のんびり者が幸運をつかむ』と昔から申しますのに」
「そのくせ肝心のお参りが近づいたら、『娘が出産するから手伝いに行かなければ』と留守にしてしまうのですからひどいこと。私たちが乳母殿の暴走を止められたらよかったのですけれど。年寄りは頑固で困ります」
この会話を聞いて宮様は思い出される。
<あのとき、鬼のような顔で私をにらんできた乳母がいた。その人の悪口を言っているのだろう>
宮様はまるで夢のような心地がなさる。
女房たちの話は止まらない。
あけすけにいろいろなことを話してから、中君の話題になった。
「それにしても中君はご幸運な方ですね。匂宮様が夕霧大臣様の姫君とご結婚なさったときは、さすがに大臣家の勢いに負けてしまわれるだろうと思いましたけれど。若君がお生まれになってからは、中宮様からも認められたご立派なお妃様でいらっしゃいます。あちらには出しゃばりでせっかちな乳母などいないのでしょう。中君も女房たちも落ち着いて上手にお振舞いになっているから、あんなお幸せを手に入れなさったのですよ」
「あら、こちらの姫様だって薫の君のご愛情がつづけば、今に中君に劣らないお幸せを掴まれますよ」
負けん気を出した女房を、浮舟の君は少し起き上がって注意した。
「やめてちょうだい。他の誰に負けん気を出してもよいけれど、中君にだけはいけません。どこかで誰かが聞いていて中君のお耳に入ったら恐れ多いでしょう」
宮様は不思議に思われる。
<中君の親戚に違いない。どういう関係なのだろう。本当によく似ている>
思い浮かべて比べてごらんになると、ご立派で上品なところは中君の方が上よ。
こちらはただおっとりとして繊細な雰囲気がかわいらしいの。
一度お心を惹かれれば、宮様はその女性に多少の欠点を見つけてもご自分のものにしてしまわれる。
まして何もかも美しい浮舟の君をお諦めになるはずがないわ。
もう他のことはお考えになれない。
じっと浮舟の君をお見つめになる。
「あぁ、眠い。昨夜もほとんど徹夜でしたもの。少し休んで、仕上げは朝にいたしましょう。お母君がお迎えの乗り物を寄越してくださるのは、どんなに早くても日が高くなってからでしょう」
女房はそう言って、縫いかけの布地などをざっと片付ける。
浮舟の君は少し奥の方に入って休む。
右近と呼ばれていた若い女房が、その足元で横になった。