冷遇令嬢、最恐軍医に嫁ぎました~大正深愛綴り~

 馬車に揺られながら、紫乃は不意に生家での暮らしを思い出す。

『紫乃、これも洗っておきなさい』
『お父様の服と一緒に、私の服もしわ伸ばしいといて頂戴』
『あら、まだ食事の用意が終わっていないの?  ほんとに気が利かぬ子ね』
『お姉様、床に這いつくばるのがお似合いね』

 叱責というより、命令。そして、嘲笑。それが、紫乃の日常だった。

 馬車の中で、紫乃は冷え切った手元に視線を落とす。
 篁家から贈られたシルクの手袋の中で、あかぎれだらけの手がわずかに震える。
 指先を折り曲げるだけで、ピキッと鋭い痛みが走る。傷口から血が滲んで白い手袋を汚してしまうのでは……と、ハッとした。

(こんな手で、名家の令嬢だなんて……笑われてしまいましょう)

 胸に手を当て、目を閉じる。

(お母様……私、ちゃんとやれるでしょうか)

 その問いに、答える声はない。けれど、懐に忍ばせた櫛のぬくもりが、静かに背中を押してくれる気がした。

(私は、きちんと務めを果たす。この縁談が“なすりつけられた”ものでも、嫁ぐからには、恥ずかしくない妻になるわ)

 その決意を胸に、紫乃は顔を上げた。
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