清く正しく美しく
挙動不審
あの夜からずっと、月島くんのことが頭から離れない。
初めて見た欲望を宿した瞳。優しく頭を撫でながら、何度も何度も角度を変えて重なった唇。口づけが深く激しくなっていくごとに、境界線が曖昧になって一つに溶け込んでいくようだった。
講義を受けている時も、課題をしている時も、ご飯を食べている時も、ふとした瞬間にあの時のことを思い出してぼうっとしてしまう。
あの時は彼から与えられる熱に夢中になっていたけれど、首筋に顔を埋められた時、途中で止まらなかったらどうなっていたんだろう。首筋に沿って唇が下に動いていって、鎖骨や胸に口づけを落とされていったとしたら――その先を想像しそうになって、慌てて頭を振った。
だめだめ。今は講義に集中しないと。琴葉は必死に煩悩を頭から追い払って、残りの講義に集中した。
「お、琴葉ちゃん。久しぶり」
琴葉は空きコマの時間を使って中庭でぼうっとしながら昼食を食べていた。妄想にトリップしていた琴葉は、自分に声を掛けられているとすぐには気づけなくて、顔の前で手を振られてようやく気づいた。
面白そうなものを見つけたような顔で笑う豆原と目が合い、琴葉は慌てて頭を下げた。
「あ、お久しぶりです」
隣いい?と尋ねてきた豆原に頷いて、置いていたバッグを反対側に移動させる。すると、豆原が人ひとりぶん空けて腰掛けた。
「今日凪ちゃんは?」
「レポートが立て込んでるって図書館に行きました。豆原さんは大丈夫ですか?」
凪は受けている講義の課題の締め切りに追われているのだと少し疲れた顔で言っていた。豆原も同じ学部で講義も被っているようなので、似たような状況なのかもしれない。
「俺は今日の夜の俺に期待してんの」
それは凪と同じ状況なのにまだ課題に手をつけていないということなのでは・・・・・・と思ったけれど、課題の詳細を知らない琴葉は口に出せず、曖昧に微笑んだ。
豆原は琴葉の反応には特に言及せず、リュックから取り出したコンビニの袋からおにぎりを出し、頬張っている。
「琴葉ちゃんに相談があって」
唐突に切り出してきた豆原さんに、琴葉は箸を止めて豆原の方へ向いた。
「何でしょうか?」
「あの手この手で凪ちゃんにアプローチしてきたんだけどさ、全然振り向いてくんないの。満策尽きてきたんだけど、どうすれば良いと思う?」
豆原の声は深刻ではないけれど、軽くもない。嘆いている、という表現が一番正解に近いだろう。
どうすれば良いのか尋ねられて、琴葉は返答に困った。凪が誰かに恋をしているところを見たことがないし、恋愛そのものを避けているように感じる。自分の気持ちも、相手の気持ちも端から信じていないような。
「う~ん、どうなんでしょう・・・・・・凪はプレイボーイなお兄さんがいるので、達観して周囲を見ているところがあるんですよね。恋なんていつかは壊れるものだし、そんなものに振り回されてる時間がもったいないって思ってそうです」
「・・・・・・何をしても響かないの。俺にアプローチされてるのも負担になってるのかもしれないと思うと諦めた方が良いのかなって考えるんだけど」
ここで一度言葉を切って、遠くを見つめた。
「諦めきれないんだよねえ」
切実な顔で遠くを見つめる横顔からは、いつもの余裕は感じられない。それだけ凪のことを真剣に想って悩んでいるのだろう。
「・・・・・・凪には、時間をかけて豆原さんの気持ちを信じてもらうしかないと思います。言葉でも行動でも誠実に。それで・・・・・・凪の気持ちが豆原さんに向くのかは分かりませんが」
先日は琴葉の悩みを解消するアドバイスをいただいたし、何か力になりたいと思うけれど、こんなことしか言えない。凪が豆原に向けている感情も推し量れない。
「・・・・・・誠実に、か」
豆原は勢いよく立ち上がると、琴葉の方へ振り返ってニッと笑った。
「もうちょっと頑張ってみる」
いつもの顔と声色に戻っている。琴葉も豆原に笑いかけた。
「はい!頑張ってくださいね」
大したことは言えなかったけれど、豆原は前向きな気持ちになれたようだ。二人がこの先、どうなるのかは分からない。でも、どんな結末になったとしても、幸せであってほしい。
「で、琴葉ちゃんは王子様を押し倒せたの?」
凪と豆原の幸せを心の中で願っていたら、突然この話題を突っ込まれて琴葉はびくりと飛び上がった。否応なしにあの夜のことを思い出してしまい、顔が熱くなってくる。
「あはは。聞かなくても分かるわ、よかったね」
「えっ!?」
琴葉の反応を見た豆原は、笑い声をあげる。
「じゃあね」
あたふたする琴葉を尻目に、豆原は手を振ってどこかへ行ってしまった。
私って、そんなに顔に出てるのだろうか。豆原さんは聡い人であるけれど・・・・・・この後、あの夜の日から初めて月島くんと会っても挙動不審にならずにいられるのかな。