清く正しく美しく

秘密のやりとり



「じゃあ、今日も頑張ろうね」

「はい。また後で」

「うん、後でね」

 会社のある最寄駅に着いたら、琴葉と理玖は別行動をするようにしている。お付き合いをしていることは隠してはいないけれど、なるべく会社の人には悟られないようにしようと話し合って決めた。

 少し行った所で振り返ると、別の改札に向かっていた理玖も振り返っていた。目が合って、心臓が高鳴った。

 スーツ姿の理玖は、いつもよりずっと大人びて見えた。前髪を上げて整えられた髪型も、仕立ての良いスーツもよく似合っている。

同期の中でも一目置かれていて、すれ違う人が思わず視線を向けるのも無理はない。それくらい、輝いて見える。

 理玖は優美に微笑むと、小さく手を振った。琴葉も笑い返してから小さく手を振り、改札に向かって歩き出した。

「おはよう、天童さん」

 改札を抜けて会社に向かって歩いていると、大野綾から声をかけられた。緩く巻いたブラウンの髪を揺らしながら、綾が隣に並ぶ。華やかな顔立ちと長身が印象的で、入社初日から目立つ存在だった。

「おはようございます、大野さん」

「今日の研修って何だっけ?」

「前の続きのビジネスマナーをやると思いますよ」

 琴葉の言葉に「そういえば途中だったね」と頷く。それから、声を潜めて、内緒話をするように琴葉に一歩近づく。

「ねえ、天童さんってさ、月島くんと同級生だったって本当?」

「はい。高校が同じで」

「月島くん、モテモテだったでしょ」

「え、まあ、はい。ファンクラブがあったみたいですし」

 それは高校生の時だけではなくて、大学でもできていたらしい。理玖の大学の学祭にお邪魔させてもらった時に、理玖の友人から聞いた。理玖自身は彼女一筋で、それが余計に女子の好感度を上げている、とも。

「やっぱりね。月島くん、カッコいいし、優しいし、おまけに優秀だもんね。夫にするには良い物件よ」

 思わず足を止めそうになる。こういう風に、言われるなんて思ってもみなかった。

「・・・・・・えっ?」

「月島くんの歴代の彼女とか、好きなタイプって知ってる?」

 綾の大きな瞳が、琴葉を捉える。琴葉は心臓をひと突きされたような衝撃を感じながら、何と答えるべきなのか、考えた。

――理玖くんの、好きなタイプ

 思えば、考えたこともなかった。理玖はいつも大切にしてくれていたし、他の女の子のことを話している理玖なんて、見たことがない。

 おまけに、頭に浮かぶのは、昨夜過ごした濃密な時間の、琴葉を見下ろす理玖の顔だった優しいのに逃がしてくれないような眼差し。あの瞳を思い出しただけで、頬が熱くなった。

 そんなことをつい考えてしまって、必死に脳内から追い出す。

「・・・・・・さあ。聞いたこと、ないので」

 ぐるぐる考えて、出てきた言葉は当たり障りのないものだった。考えても分からないのだ。今まで、気にしたこともなかったから。


「そっか~。まあ、タイプなんて当てになんないよね。最終的には振り向かせればいいんだし」

 当たり前のように言われて、琴葉は目を瞬いた。胸の奥がひやりと冷えて、嫌な汗が背中を流れていっている気がした。

――大野さんは、理玖くんのことを・・・・・・


 ここまで考えて、琴葉は慌てて頭を振った。
 理玖のことは信じている。いつも大切にしてくれているから。でも、気持ちが、ざらついていく。そんな風に思っている自分も嫌だと思うのに、止められない。

研修会場である会社の会議室に入ると、既に理玖は到着していて、同期である是永智紀と話していた。

 綾は理玖の姿を見つけると、優雅な動作で近づいて行った。

「おはよう、月島くん」

 振り返った理玖は、爽やかな笑顔を浮かべている。琴葉に気づいて、一瞬、目が細められる。それだけで、心臓が高く飛び跳ねた。

 けれど、次の瞬間には、綾が理玖に話しかけていた。

「あ、大野さん。天童さんも、おはよう」

「おはようございます」

 挨拶を返しながら、琴葉は理玖から少し離れた席に座る。理玖の背中を眺めながら、心はどんどんモヤモヤしていった。

 理玖くんの隣の席は、私だったらよかったのに、とどうしても思ってしまう。

「月島くん、連休は何するの?予定いっぱい入ってそうだよね」

「ああ、旅行に行くよ」

「いいな。どこに行くの?もしかして彼女と?」

 綾は理玖の隣に座り、熱心に話しかけている。

「え〜、ちょっと俺にも聞いてよ」

 理玖の隣からひょっこり顔を出して、是永が綾にアピールをしていたけれど、綾は意に介さない。

「あはは、是永は連休何すんの?」

 理玖がさりげなく是永に話題を振る。綾はまだ何か言いたそうに理玖を見ていた。

 はっきり彼女がいると言わなかったのは、きっと、琴葉を気遣ってくれたからだ。分かっているのに、琴葉の胸のざらつきは消えなかった。

理玖たちの会話が、気になってしまう。そんな自分が嫌で、研修の振り返りをしようとノートに視線を落とした、その時。

スマホが小さく震えた。見ると、理玖からメッセージが来ている。

――温泉旅行、楽しみだね。後少し頑張ろう

 さっきまでのモヤモヤが吹っ飛んで、琴葉の頬が緩んだ。会社ではただの同期のふりをしながら、琴葉と理玖にしか分からない秘密のやり取りをしている。

 スマホをカバンにしまっても、頬の熱は引いていかなかった。
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