清く正しく美しく

旅行



 ビジネスマナー研修の担当官が入ってきて、周囲の人たちが慌ててスマホをカバンにししまったり、メモとペンケースを取り出したりしている中、理玖がほんの一瞬だけこちらに顔を向けた。

 柔らかさの中に、鋭さを潜めた顔つきをする理玖と目が合う。

 琴葉の頬が赤くなっていることに気づいたのか、優美に微笑んで、また前を向いた。

――ああ、カッコいいなあ

 きっと、さっきまで気持ちが沈んでいたことも見抜かれていたのだろう。

ふふ、と心の中で笑って、ペンを手にする。もう、胸のざらつきはなくなっていた。


「お待たせ、琴葉さん」

 車から降りた理玖が、琴葉の前に来て微笑む。

「いえ、こちらこそ、お迎えありがとうございます」

 琴葉が頭を下げると、理玖の「ふふ」と笑う声が聞こえた。

「可愛いね」

 胸がぎゅっとなった。顔に、熱がどんどん集まってくる。

理玖は琴葉が持っているボストンバッグを持つと、後部座席に乗せる。流れるように助手席のドアを開けると、琴葉に乗るように促した。

「どうぞ」

「はい、ありがとうございます」

 琴葉が助手席に乗り込むと、理玖がドアを閉めて運転席に回った。

「じゃあ、行こうか」

「お願いします」

「安全運転で行くけど、ブレーキが急とか、乗り心地が悪いとかあったら遠慮なく言ってね」

 理玖の運転する車に乗るのは初めてだ。真剣な表情でハンドルを握る理玖は、会社で見かける顔とも、家で見せる顔とも少し違っている。

 助手席に座っているだけなのに、妙に落ち着かない気持ちになってきた。

「どうしたの?そんなにじっと見られると、ちょっと恥ずかしいんだけど」

「あっ、すみません。理玖くんが運転してるところ、初めて見るので、何だか新鮮で」

「ふふ、そう?」

 理玖が照れたように笑った。琴葉もつられて笑うと、赤信号で車を停めた理玖が、琴葉をちらりと見た。その時、琴葉はふと思い出した。

「飲み物と車でも軽くつまめる食べ物、用意してきているので、何かほしくなったら言ってくださいね」

「本当?ありがとう。そういうの助かる」

 理玖は嬉しそうに笑うと、正面を向いた。ちょうど青信号に変わり、車が発進する。

 都会のビル群を抜け、高速道路に乗ってしばらくすると、川や海が見える地域に入った。空は雲一つなく冴え渡っていて、午前の柔らかい日差しに包まれている。

「気持ちいいね、窓開けようか」

「はい。私開けますね」

 半分ほど窓を開けると、澄んだ風が車内に入ってきた。

髪がふわりと揺れる。琴葉はなびいた髪を耳にかけながら、潮の香りを含んだ風が頬を撫でるのを感じた。

「ねえ、琴葉さん」

「何ですか?」

「せっかくだから、次のサービスエリアで食べ物買って海見ながら食べようよ。琴葉さんが持ってきてくれたやつも食べたいし」

「はい!ぜひ」

 琴葉の声が弾んだ。こんなに良い天気なのだ。外で理玖と一緒に食べられたら楽しいに違いない。


 理玖はそんな琴葉を横目に見ると、目を細めて笑う。ウインカーを出して、高速道路を降りた。
< 46 / 46 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

公開作品はありません

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop