側妃マリアの謀
第1章
「今宵限りで、ご退位くださいませ。陛下」
「な……」
私の声は、思いがけずホールに響いたらしい。
ざわり、と周囲がざわめくのが分かる。動揺する貴族、目を見開く夫人、困惑する令嬢、楽しげにする子息。いつの間にか、楽団の演奏は止まっていた。
私は、胸の前に手を当てて、臣下としての礼をとる。
「長い間、お疲れ様でございました」
「何を馬鹿な……」
あまりのことに、陛下は二の句が継げないようだった。ハクハクと口を開いては、しかし言葉が出てこない陛下に代わりに、私は満面の笑みを浮かべ、彼に笑いかけた。
「どうぞ、もう休まれてください。離宮を手配しております。余生はそちらで──」
「ふざけるな!!」
ビリビリとその場が震えるほどの怒声。
陛下の反応は、想定内。
「ど、どういうことなの? あなた、何を言っているの」
セラフィーナ様は、顔を青ざめさせている。
全くの予想外だったのだろう。
シン、とホールは水を打ったように静まり返った。
「なんという不敬……!! 誰か、このものを牢に放り込め! この側妃は頭がおかしくなったようだ!!」
陛下は唾を飛ばす勢いで怒鳴る、けれど。
──誰も動かない。
それも当然だ。この場にいるほとんどの人間は、もう陛下を仕える王とは思っていない。このために、一年を費やしてきた。
陛下は混乱のあまりか、罵声を飛ばした。
「なぜ誰も動かない!! この反逆者めが!! 私を誰だと思っている!?」
「陛下。あなたはふたつ、致命的なミスを犯しました。それを、教えてさしあげます」
暴れる陛下を、近衛騎士が取り押さえた。
もう既に、陛下に指揮権はない。
事実上の反逆行為だ。
あまりに暴れるので、ついに陛下は床に組み伏せられた。私も屈んで、地に伏す陛下を見つめる。
「ふざけるなよ!! 離せ!! この野郎!! おい!!」
「見苦しいですよ。兄上。大人しくしてください」
そこで──コツコツと足音を響かせて、陛下の甥にあたる彼──アルヴィン卿がこちらに向かって歩いてくる。白銀の髪に、印象的なのはその赤い瞳だろう。
シャンデリアの光を受けて、彼の赤い瞳が煌めく。
アルヴィン卿の道を作るように、人垣が割れていく。それだけで、陛下は理解したのだろう。
次の王は、彼だと。
「アルヴィン……!! 貴様あ!!」
血走った目で怒鳴る陛下に、アルヴィン卿が常と変わらず落ち着いた声で答えた。
「残念ですが、この場には陛下を王と認めるものは既におりません」
「──」
陛下が言葉を失う。それが事実だと、気が付いてしまったのだろう。
「シャッテンヴァルト公爵を初め、陛下を支持していたもののほとんどが脱税がしておりました。今頃彼らも取り調べを受けていることでしょう」
「うっ……嘘よ!! お前は嘘をついているんだわ!!」
第一側妃のセラフィーナ様が、アルヴィン卿に食ってかかる。だけど、アルヴィン卿と目が合うと、恐ろしいのか彼女はヒッと息を呑む。
「あ、赤目……」
呆然と、彼女が呟いた。
「赤目……! そうよ。お前が操っているのでしょう! 彼らを悪魔の力で操っているのね!?」
セラフィーナ様の悲鳴のような声は、市街地でなら第三者の同意を得られたかもしれない。なぜなら、赤目は恐怖の象徴。この国で、赤い瞳は悪魔の子、魔女の子と呼ばれ、忌避される。
だけど、ここにはアルヴィン卿を支持する貴族しかいないのだ。自然、セラフィーナ様の発言は非難され、白い目で見られることとなる。
何を言っているんだ、という冷たい視線を向けられ、セラフィーナ様は狼狽えたようだ。
彼女は戸惑い、ふらりと後ずさる。
だけど彼女のすぐ後ろには近衛騎士が控えていて、彼女はあっさりと、陛下同様拘束された。
(この時のために、一年をかけたわ)
陛下は毀誉褒貶の激しいひとだ。
陛下を評価するものは、彼に取り立ててもらい利権を得ている貴族たちだった。セラフィーナ様のお父様がその筆頭だった。反面、陛下の執政に反対するものは陛下に使えないと切り捨てられ貴族たちだ。
陛下が犯した致命的なミス。
それは──
「まず、ひとつ目。あなたはご自身の考えに賛同するものしか、近くに置かなかった。……寄せ付けなかった。これは、王として致命的なふるまいです」
カツン、と足音を響かせて私は陛下に近付いた。
状況を理解したのだろう。先程まで気分よくお酒を楽しまれていたはずの陛下の顔は土気色だ。
「ふたつ目。あなたは──いえ、あなたたちは、ご自身の子供であるルンハルト殿下を不当に扱った」
後者は、王として致命的な行いではなかったかもしれない。
だけど私にとっては、行動に動く理由となり、きっかけとなった。少なくとも、このままにはしておけない。この状況を良しとはしたくなかった。
つまり、私が、私のために動く理由となった。
ふと、アルヴィン卿の言葉を思い出す。彼は、自分のためにエリセリュン王国の歴史を調べ始めたと話していた。
ルンハルト殿下のために状況を変えたいと思ったから。自分のためにそうしたいと考えた、と。
ふたたび、カツン、と靴の音を鳴らして、私は陛下の前に立った。
「ひっ……」
冷たい目で見下ろすと、陛下が息を呑む。
その顔は、まるで自身の命を狙う暗殺者を前にした人間のような顔だ。恐怖を顔に貼り付けた陛下が、愕然と私を見上げた。
まさか、殺されるとでも思っているのだろうか。
だけどまさか、こんなところでそんな蛮行は働かない。
それに私は、陛下の命を刈り取りたいわけではないのだ。
「……陛下は、以前、私を蜘蛛のような女だと称したことがございましたね」
「な、何の話だ……」
「いかがでしたか? 私の本日までの働きは、蜘蛛のように素早く、賢いものでありましたでしょうか? 評定をいただきたく思いますわ」
☆
時は、一年前に遡る。
私はエリセリュン王国の側妃となった。三番目の側妃。愛も何も無い、紛れもない政略結婚で、私は自国の利のために嫁いできた。
元々、自国──モントヴァルトでも、私という存在は特別愛されていたわけではない。むしろ、両親は私を駒のひとつ程度にしか思っていなかっただろう。
そんな父母の元に生まれた私が、ひねくれずに育ったのはひとえに、私を愛してくれる姉様がいたから。
だけどその姉様が外国嫁いだことで、私はひとりぼっちになってしまった。冷たい宮殿で、息の詰まった生活。窮屈な日々に、鬱屈としていた頃、突然私とエリセリュン王国国王との婚約が成立したのだ。
父は、最近力をつけてきたエリセリュン王国を恐れたのだろう。だから、私を嫁がせることで牽制と、協力関係の意味を持たせた。
まごうことなき、政略結婚。愛など欠けらも無い。現に、陛下は私の顔を見て一言「化け物みたいな女だな」とせせら笑った。
(まあ、それはいいのだけど)
自国にいた時から、容姿と、恐らく私自身の雰囲気などもあるのだろう。怖がられたり、必要以上に畏まられることは何度もあった。顔合わせの時、陛下も私のこの、冷たげに見える容姿と、目つきに、可愛げの欠片もないと思ったのだろう。
金の髪に、同色の琥珀色の瞳は、まるで本物の黄金のように冷たく感じるらしい。私自身、愛想笑いが得意な方ではないし、気さくな性格でもない。そう思われることにはなれていた。
結婚式の夜、とはいっても、書類上のみで完結した結婚だけれど。
それでも結婚したのだから、その夜は初夜と一般的には言うのだろう。
しかしその夜、陛下は私の部屋に来なかった。
あの王の性格からして、来訪しない可能性も考えていた。
しかしそれでも夜通し待っていた私に、誰よりも怒りを見せたのが、自国から連れてきた侍女だった。
「初夜をすっぽかすってどういうことですか!?!? 私、抗議してきます!!」
ダリアだ。烈火のごとく怒りを見せる彼女を、エラが窘めている。手持ち無沙汰だったので、私はチェスでひとり遊びをしていた。朝日が差し込む部屋の中、変わらず机の前の椅子に座り、駒を手に取った私は、次にどこに配置するか少し考えた。首を傾げて顎に指先を当てながら、口を開く。
「お母様とお父様は、この事実を知ったらきっと怒るわね」
ただの事実だけど、その声は思った以上に他人事のように響いた。お父様もお母様も、役に立たなかったと私を詰るだろう。お怒りの手紙が届くかもしれない。
その可能性に思い当たったけれど、まあいいか、と思い直す。乗り込んでこないなら構わない。
しかし、ダリアは泣き崩れた。徹夜したためか、テンションが高い。
「王女殿下が嫁がれたというのに、三番目の──しかも、側妃だなんて! おお! おう! おう!」
しかも泣き方が独特だ。エラがハンカチを手渡している。それでチーン! と鼻を噛んだダリアを、エラが信じられないものを見る目で見ていた。
「それにご存知ですか!? 陛下は、今日も第一側妃様のところに足を運ばれたようですよ! よりによって、今日! こちらをバカにしているとしか思えません!」
「そうねぇ……。エラ。新しいハンカチを贈るわね」
貸したハンカチを鼻水まみれにされてしまったエラに声をかけると、彼女がハッと顔を上げた。
「良いのですか?」
「良いのよ。それにしても、眠いわね……朝食をとったら仮眠しましょうか」
私の言葉に、エラとダリアが頷いた。ダリアは泣きすぎたあまり、目が充血している。
彼女たちは、モントヴァルト王国からついてきてくれた。彼女たちがいてくれるから、私は他国で孤独を感じずに済んでいるのだ。感謝している。
「朝食はなんでしょうね。せめて、食事くらいは美味しくないと困りますわね!」
気を取り直したダリアに、ドレスの着用を手伝ってもらう。寝衣から、ライトブルーのデイドレスに着替える。こちらの国の流行りは、胸元を深く広げたものらしい。
(……慣れない)
食事も、服装も、習慣も、流行りも。
当然だけど、モントヴァルトとはまったく違う。言語は共通なので、通じずに困る、ということは幸い起きていないけれど──それでも、訛りはあるだろうし、早いところこの国の常識に慣れなければ。エリセリュン王国の風俗をまとめた本をいくつか手配してもらおうと考えながら、私は窓の外に視線を向けた。
雪解けを迎えた春。結婚式は、式にふさわしい陽光あたたかな春の日。
今日からここで、私は生きていく。
(私がエリセリュン王について知っていることは、みっつ)
ひとつ、王には、側妃がふたりいる。
ふたつ、王には、正妃がいない。
みっつ、王には、息子がいる。
朝食は幸い、味付けがとても濃いとか、逆にとんでもなく薄いとか、そういうことはなかった。
少し変わった料理だったけれど、嫌いではない。
庭園に出ると、びゅう、と強い風が吹いた。
「ダリア、本日の予定は?」
歩きながら尋ねると、ダリアがハキハキとした声で答えた。
「正午から、エリセリュンの歴史の先生がいらっしゃいます。午後二時からは、マナーレッスンの講師が、午後三時からは、モントベルク伯爵夫人とのお茶会が、午後四時からは、お手紙のお返事を書く時間となっています。また、午後七時には、晩餐会があり、側妃おふたりと陛下がお揃いになられます」
「わかったわ、ありがとう」
覚えていた予定と相違はない。
春の柔らかな風を受けて、私の金髪が風になびく。まつ毛を伏せて、庭園を見渡した。
エリセリュン王国の空気はまだ馴染めないけれど、この庭園は素敵だ。まずひとつ、この国の好きなところを見つけた。
そう思っていると、その時、声が聞こえてきた。思わず、背後を歩くエラと目を合わせた。
(声?)
「うっ……ひ、っ……」
とてもちいさな声。だけどこれは──
(誰か泣いてる……?)
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