側妃マリアの謀

 私は後ろを振り返り、口元に人差し指を当てた。声を辿って歩く。
 庭園の奥、生垣に隠れるようにして、その子はいた。
 (こんなところに、子供……)
 すぐに気がつく。ここは、誰もが足を踏み入れられる場所ではない。そして、こんなに小さな男の子となれば、もはや確定だ。
「ルンハルト殿下ですか?」
「えっ……」
 その子は、びっくりしたように顔を上げた。セラフィーナ様と同じ銀の髪、泣いていたために、目は真っ赤に充血している。そして、その瞳は赤。珍しい目の色だ。
 思わず目を瞬くと、男の子、ルンハルト殿下は怯えたように顔を伏せてしまった。
「ひっ……う、ううっ」
 ふたたび啜り泣きを始めてしまった彼に、ダリアとエラがどうしますか? という視線を向けてくる。そのまま黙って、しばらくルンハルト殿下の傍にいれば、たどたどしくも彼が話し出した。
「ご、ごめんなしゃ……」
「……何を謝るのですか?」
 ルンハルト殿下が話したことに、少し驚いた。
 王子は発達が遅く、未だに話せないのだと噂話で聞いていたからだ。
 あの悪意に満ちた噂話はどうせ、悪意に満ちた人間がてきとうに言っていただけなのだろう。
ルンハルト殿下が立太子されたら困るひとたちが流していたのかもしれない。
 そっと、ルンハルト殿下の背に手を当てると、そのちいさなな背中がびくりと震えた。
 しかし、拒絶されることはなかったので、そのままゆっくりと撫でる。
 ルンハルト殿下はだんだん嗚咽を激しくしていった。
「ぼ、ぼくのめ、こわいって、のろわれる、って」
「怖い?」
「あかくて、こわい……。みんな、まじょのめって、いう……。おかあさまも、あくまのこって……だからぼくは、わるいこ……」
「ルンハルト殿下は、人間ですよ。怖くもありません」
 赤の目。確かにかなりめずらしい。モントヴァルト王国でも見たことがない。
 (ルンハルト殿下が冷遇されているのは、発育が遅いからではなくて、こっちが理由か……)
 その赤い目が原因で、避けられていたのだろう。
 赤い目が、エリセリュン王国ではどのように言われているのかは知らない。だけど、今少し聞いた様子からして、魔女の目だと恐れられているのだろう。
「酷いこと言いますねー。ちょっと目の色が変わってるってだけじゃないですか!」
 あっけからんと言うのはダリアだ。ダリアのその言葉に、ルンハルト殿下が恐る恐る顔を上げる。
 エラもうんうんと頷いている。
 私はルンハルト殿下の背中を撫でながら、そっとそのちいさな体を抱きしめた。
「大丈夫よ、大丈夫。怖いことはないから」
「っ……! 〜〜〜〜っ……! う、ふ、っ、う、うあああああああ!!」
 抱きしめると、そのちいさな体が震えた。
 そしてすぐ、ルンハルト殿下が激しく泣き出す。いつも、さっきのように隠れて泣いていたのかと思うと、胸が痛む。
 (……こうやって、姉様も私を抱きしめてくれた)
 幼い頃、私が寂しくて泣いているとどこからともなく姉様が現れて、こうやって抱きしめてくれたのだ。大丈夫よ、と優しい声で。
 その時の記憶をたどって、あの時の私のように安心感を得られるといいな、と願って、私はルンハルト殿下の体をずっと抱きしめていた。
「おかあ、しゃま……おかあ、さま、ごめんなさい……」
 幼い子供が懸命に謝る姿は、見ていて苦しくなる。呂律の回らない口で、一生懸命にお母様、と呼ぶその声は聞いていて、胸が掴まれるように苦しい。
 ルンハルト殿下の母は、第一側妃のセラフィーネ様だ。
 (セルフィーネ様……陛下の寵愛がもっとも深い側妃。そして、エリセリュン王国の筆頭公爵令嬢)
 しばらく泣いていたルンハルト殿下だったが、泣き疲れたのだろう。嗚咽が小さくなってきた。
 そろそろと彼は顔を上げると、私の胸元に寄りかかるようにしながら言った。
「あした……あえる?」
「ええ。明日、今日と同じ時間にまた会いましょう。ちゃんとご飯を食べて、しっかり眠るのよ。約束できる?」
 尋ねると、ルンハルト殿下はコクン、と頷いた。
 こうして、私というルンハルト殿下は出会ったのだった。
 
 午後三時。モントベルク伯爵夫人とその令嬢とのお茶会の後は、手紙の仕分けと、晩餐会の用意だ。
「モントベルク伯爵夫人はっ! セラフィーナ様寄りっ! って感じ!! でしたねっ……!!」
 私のコルセットをぎゅうぎゅうに締めながら、苦しげにダリアが言う。椅子の背に掴まりながら私は先程顔を合わせた夫人との会話を思い出す。
「セラフィーナ様は、エリセリュン王国の公爵令嬢だったひとですもの。エリセリュン王国の貴族は、セラフィーナ様を推すのは想定内よ」
「だけど、セラフィーナ様は側妃です。陛下は、正妃に誰を指名するつもりなのでしょうね?」
 エラが化粧道具を用意しながらそう言った。
 セラフィーナ様を正妃にしたいなら最初から正妃として娶れば良い。わざわざ側妃にする理由がない。
 (ということは、陛下はセラフィーナ様を正妃にするつもりがない……?)
 考えてもこればかりは本人に確かめてみないことには仕方ない。だけど、あの王が私に本心を吐くとも思えない。さて、どうしましょうか。
 
 晩餐室に足を運ぶと、そこには既に第一側妃のセラフィーナ様と、第二側妃のマチルダ様が揃っていた。一番最後は私だったようだ。陛下はまだいらしていないらしい。
 案内された席に腰を下ろそうとすると、セラフィーナ様が私に声をかけた。
「マリア様。最後はよろしくありませんわ」
 そちらに視線を向けると、たおやかに微笑みながらセラフィーナ様が言った。まるで、悪意なんて欠片もありません、という顔をして。しかしその目は三日月形に歪んでいる。
「第一側妃の私、第二側妃のマチルダ様の前に来なければ」
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