精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道
担任の先生も新任で、あさみ先生。「優しい先生でいたいんだから」を自身のコンセプトにしている、学生時代に関わった教師たちの中で「先生としての意識」が違う先生。

自分は3年生以降の小学校生活、ずっと2組だった。1組の担任も新任で、年配の主婦。自分のクラスの担任は、かわいらしい先生で、当時は未婚。隣のクラスにいた、少し変わっている男子は、加配の先生と、2組の担任が気に入っていて、1組の担任のことは、年配女性であることの侮辱ワードで反抗していた。

「優しい先生でいたい」という意識がある先生だが、ちょっと「優しい先生」ではないと思った事柄もあった。児童が授業中に問題を起こし、感情が動くと「優しい先生でいたいんだから」と言い、怒りたくないようで怒っているような態度を取るし「お宅のお子さん〇〇」と電話すると言い出した。

夏休みの「ゼミ」という名の出校日で、4年生の頃だっただろうか、あさみ先生が監督をしていた。「優しい先生だから」と自分は言って、学習のプリントを提出したら、漢字の「止め」「跳ね」「払い」を指摘され、裏切られた気分で悔しかった。今考えると、漢字の基本を指摘してくれる先生のほうが当たり前な気がする。

自分がいちばん「優しい先生」と思わなかったのは、授業中に寝たふりをすると、頬を引っ叩くことがあったこと。当時「優しさとは何か」と、自分の脳裏では論争になっていたのかもしれない。
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