精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道

第9話 この頃からうつだったのではないか? 服薬の開始と社長出勤

卒業まで1年ちょっとの頃。服薬を開始した頃だろうか、学校に遅刻するようになった。先生からは「社長出勤」と言われるようになった。当時「社長出勤」という言葉は「社長」という真面目な役職の人に失礼だと思った。通学を苦にする学生の遅刻を表現する言葉として、それはどうなのだろうかと疑問だった。

1時間目の授業中に教室の戸を開けて、クラスでは注目の的。しんじ先生だけが気づかないで授業を進行することもあり、少し喋り出すと、気づかれる。1時間目の授業終了とともに、毎回「知暖さん来なさい」と呼び出され、教室にある教師の事務テーブルの前で叱られた。毎日遅刻するので、毎日叱られた。

当時はストレスという感覚はなかったが、叱られると耐えられなくなり、涙をぼろぼろこぼして先生の話を聞く毎日のルーティン。思い出すだけでも涙目になるくらい。1回だけ、4時間目の時間まで寝たふりをし、当時母は「しんだように寝ている」と先生に伝えた。山形先生の電話越しでの「起きろ」にも、知らんぷりして昼までそのまま過ごした。

母も毎日叱るのを控えるように先生に説明し、叱るのを控えるようになった。遅刻で学校に集まれなかったことは、縦割り班活動では、下級生からの笑い者だったらしい。
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