冤罪で聖印を奪われた令嬢、辺境の地で本物の大聖女になる
聖女の頂きともいえる莫大な聖力の象徴とされる聖印。
五歳の誕生日にそれがヒストリアに宿ったのだ。
女神が次代の大聖女を見つけた時に現れるという聖印が、ヒストリアの身に宿る聖力を生み出す力に導かれて顕現したのだ。
全ての子女は三歳になると神殿で聖力の鑑定を受けることが義務付けられており、当時ヒストリアは強大な聖力を生み出す力を有しているが姉には及ばずといった判定を受けていた。
それなのにヒストリアは次代の大聖女に選ばれた。
その理由は、今やシルドバーニュ王国では有名な話になっている。
国内随一の聖力を生み出す力を持っていたエリザベートは悲劇的にも聖力を内包することが出来ない体質だったのだ。蓋のない器から常に聖力が溢れる体質、これは母親譲りのものである。
大聖女の資質を持ちながらも溜めることができない体質は、通常の聖女より少し聖力が多いだけの存在でしかない。家系的に妹のヒストリアも同じ体質だろうと鑑定されていたが、成長と共に聖力を内包する力を獲得するという奇跡が起きていたのだ。
これはすなわち、ヒストリアはこれからシルドバーニュで最も愛され慈しまれる存在となることを意味する。
聖印出現の知らせを聞いた父親は、愛人のもとから邸宅に飛んで帰ってきては、その価値に感涙し手のひらを返したようにヒストリアを溺愛し始めた。
なぜなら大聖女は王家に迎えられるのだ。
王家には姉のエリザベートと同年の第一王子が居る。三歳差という、年齢的にも釣り合いがとれているので婚約に憂いはない。
父は女侯爵の後見人という立場から一夜にして大聖女にして未来の王妃の父親という肩書きを得て有頂天になった。そして、感極まったようにヒストリアを抱き上げた。
「えらいぞ、たいしたもんだヒストリア!」
この時まで一度も名を呼ばれず、抱き上げられたことなどなかったヒストリアは、親に注目される喜びを初めて知った。
そして五歳という幼さは、親の注目を二度と手放したくないと強く願ってしまったのだ。
そんな父の歪んだ愛情を素直に受け入れて喜ぶヒストリアの姿を、エリザベートがどんな目で見ていたかも知らずに。
ヒストリアは、これまでの日々が嘘のように父親と過ごす時間を持てるようになった。
今まで姉がされていたように、ドレスも宝石も買い与えられ、流行りの菓子があればわざわざヒストリアのためだけに取り寄せられる。
「こちらはシルドバーニュ南部で栽培されている果実、アローラを使ったタルトでございます」
私的時間を過ごすための朝の間に使用人が茶菓子のセットを運び込むと、家政婦長のウィラー夫人が柔らかな声で説明を添えた。
ウィラー夫人は家政婦長としては若く、年齢は父よりも年下である。
手入れの行き届いたブロンドの髪をきっちりとひとつにまとめ上げ、上質なシルクで出来た黒いドレスを纏った夫人は美しく、使用人のなかでもひときわ輝く大人の女性としてヒストリアは憧れていた。
その視線に気づいたウィラー婦人は、ヒストリアに対し静かに口元を緩る。
「ヒストリア様、アローラは最近王宮にも献上された高級果実です。王都の洋菓子店でもこの果実を使った菓子が増えていると聞いております」
「ウィラー夫人に手配してもらったんだ。素晴らしい出来栄えだろう、流行りものだぞ」
その日も父親はヒストリアのためにわざわざ遠方から流行りの果物を取り寄せ、好物のタルトを作らせていた。
「ありがとうございます、お父様。でも……」
真っ赤な果実が美しく飾られたタルトは一つ。
タルト生地の香ばしさと甘さと酸味を含む上品な香りが鼻腔をくすぐるが、ヒストリアは部屋の窓際で長椅子に座り刺繍にいそしんでいたエリザベートへ遠慮気味に視線を向けた。
「エリザベートは構わないだろう。菓子なら今まで腐るほど食べてきたんだ。それにヒストリアは淑女教育を一年遅れて始めたというのにいつも頑張っていると聞く。これはご褒美だよ」
気付いた父親はすかさず言った。
「お父様のおっしゃる通りですわ。それにこの通り、私は刺繍で手が離せないし、気にしないでちょうだいね」
姉のエリザベートまでも至極当然のことだと同意を示し、ヒストリアはそれに安堵する。
これは特別扱いではない。正当なことなのだと幼い頭はそう認識した。
朝の間に来ると姉はきまって刺繍をしており、せっかくヒストリアが分け合おうと誘っても断られてしまうのはいつものことで、姉に親切にしても断られるなら仕方がないことなのだ。
「さぁヒストリア、私が手ずから食べさせてあげよう」
父はおもむろにヒストリアの腰を抱き寄せ傍に置き、フォークで切り取ったタルトを口元へ運ぶ。
まだ慣れない行為に戸惑っているとウィラー夫人が父を窘めるようにヒストリアに聞こえる声量でわざとらしい耳打ちをした。
「旦那様、ヒストリア様が真っ赤になっています。まるでアローラの妖精のようですよ」
「ウィラー夫人のいう通りだ。だがヒストリア、そんなに恥ずかしがることじゃない。ほら、口を開けてごらん」
くすぐったいような、居心地の悪いような、しかし甘やかされているという事実にヒストリアはエリザベートが何を考えているかなど想像しようともしなかった。
これらはすべてエリザベートが今まで享受してきた父の愛の一端。同じ娘なのだから自分にも与えられて当然だとなぜ今まで気づかなかったのかとすら単純に考えていた。
ヒストリアが大聖女と判明してからというもの、これまでフランドール家に仕えていた使用人たちに父は次々に暇を出し入れ替えを行った。総入れ替えといっても過言でなかったかもしれない。
若く美麗な者が多く採用され、フランドール家は母の息のかかった者が排除されて父の意のまま一新された。発言権のある親類といえば叔母ぐらいであったが、大聖女に選ばれたヒストリアをもつ父に対して多少の難色さえ示せど強く苦言を呈することはなかった。
母の代から長年家政婦長を務めていたというメルデが暇を出された時、エリザベートが隠れて泣き腫らしていたのをヒストリアは知っている。
いつも聞き分けの良い姉が、何度も父親にメルデだけでもフランドール家に残れるよう嘆願していたが却下され、別れ際にエリザベートは彼女に何かを手渡していた。
当然、メルデが恋しい姉が家政婦長に新しく雇われたウィラー夫人をすぐに受け入れられるはずはなく、快く思っていない様子がヒストリアの体感を以てしても感じ取れた。前家政婦長のメルデは公明正大な人物といわれていたが、ヒストリアにとっては緊張する相手。
一方、新任の家政婦長であるウィラー夫人は母親変わりのように親切に接してくれる物腰柔らかな人物。ヒストリアはすぐに好きになった。だから理解できなかったのだ。
見知った人物がいなくなることは寂しいが、悪い事ばかりではないのに、エリザベートが抵抗感を滲ませていたことに。
――聖女は地上に発生する瘴気と呼ばれる穢れた魔素を浄化し魔物化した生物を本来の姿へと戻す。
大聖女と聖女の違いは浄化領域の広さを決定すると言われる聖力の保有量であった。
広域浄化が出来る者を大聖女と呼び、シルドバーニュでは平和の象徴として身分問わず王妃に据える慣習を持つ。
実際に現王妃の大聖女はヒストリアの婚約者であるベルナルド王子の母親で、彼女は平民の出だ。
教会の儀式で五歳で正式な判定を受け、王宮で保護され以降は慣れない環境に身を置きながらも聖女の力を発揮し年の近い現国王の伴侶として淑女教育をはじめ王妃教育に邁進し、今や国一番の淑女として公務も大聖女としての勤めも立派に果たしているらしい。
王妃は常にシルドバーニュの民を想い、まさに国母の名に相応しい美しい精神を持つ女性である。
そんな母親を見て育ったベルナルド殿下もまた自身を律することを怠らず、清廉潔白な王子として成長し努力という言葉を誰よりもヒストリアに求めた。
「お待ちください!」
春の日差しが柔らかに差し込むシルドバーニュ宮廷内庭園。
紅茶を給仕していた年若いメイドの肩が小さく跳ねた。
あからさまに戸惑いの色が漏れていたメイドを睨みつけ、すぐさま上背の高い男を呼び止めた。しかし振り返って向けられた視線は冷ややかなものだった。
声音には一抹の憐みすらない。
男の名はシルドバーニュ王国の第一皇子、べルナルド・アルバスト・シルドバーニュ。
婚約者であるベルナルド殿下との交流を深めるため定期的に設けられている茶会に響いた甲高い声。
今に始まった話でないが、今回も始まって早々に中断された。
定例の茶会に現れた殿下が着席してすぐ、ヒストリアが不満を口にしたのが原因である。
現在王都の学園内で広まっている陰口に対処して然るべきだと訴えたのだが、どうやらそれで殿下の機嫌を損ねてしまったのだ。
伝えた言葉は正しいはずだった。しかし返ってきたのは叱責のみ。
理解しかねる返答は初めてではなかったが、それでも胸の内には揺れるものがあった。
庭園から立ち去ろうとする後ろ姿を追ってすかさず立ち上がったヒストリア・フランドールは続けて悲痛な思いを訴えた。
「どうして分かって下さらないのですかっ……!」
殿下は立ち止まったが、しかしほっとしたもつかの間。
「悪いが君とは話にならない」その一言に喉元がカッと熱くなる。
「一体なぜですか!?」
「分からないのか?」
「えぇ。分かりませんわ。いまだにあの噂が流れているのです。殿下は私よりもエリザベートお姉様に心を預けられていると。きっとお姉様を支持するご令嬢達ですわ!」
「その噂なら公の場で私の婚約者は君だと表明しただろう。それに君の姉君も噂を否定している。それでもどこからともなく再び湧く噂など、もはやどうでもいい」
「そんなっ……」
「私は君が動揺する度に考えさせられる。荷が重すぎるのではないかと。以前からこちらの意思は伝えているはずだが君は一体何ができている?」
「それは……」
「ヒストリア。今一度言うが、婚約者としての立場を理解しているのなら、少しは自らで解決する姿勢を示してもらいたい」
殿下の声は澄んでいて、とても冷たかった。
「…………あんまりです。私が令嬢達をまとめ上げることもできない無能だと、そうおっしゃりたいのですね……」
視界が揺れた。頬を伝うものに気づき、僅かに唇を噛んだ。
これ以上聞くと我慢できないかもしれない。
「論点が違う。私が言っているのは努力の有無だ」
「努力はしています!」
「そうだろうか。将来王妃となる者が根拠のない噂ごときにたびたび反応していては君についてくる者などいない。王家はこの国に住む者たちに支えられ成り立っているが、彼らに道筋を示し支えるのもまた王族としての責務。まして君は大聖女だろう」
返ってきた言葉に攻撃されたと頭が認識し眩暈がした。
殿下の言葉はあまりにもヒストリアの期待から遠いものだったのだ。
「ヒストリア。君は聖力の保有量に対しコントロールが未だ不安定だと聞く。大聖女教育はどうなっている?昨日は体調不良で登城できないと伝達があったらしいが、この茶会には出席できるのだな」
矢継ぎ早に問われ唇を嚙みしめるほかなかった。
何度だって確かめたかっただけなのだ。
”君が心配する必要はない”と、その一言で憂いは晴れただろうが、現実はそう甘くないらしい。
殿下曰く、王妃たるもの、聖女たるもの、そう要求され続け、ヒストリアの頭の中には何故この人は慰めてくれないのかという思いばかりが駆け巡る。
涙腺からは静かな涙が頬を伝った。
一つ零れれば、また一つ。
本当は声を上げて泣きたかったが、それは家に戻ってからだ。
何度もこういったやり取りを繰り返していれば、さすがに自覚していた。
姉の真似をして情に訴えようと泣いたって構ってくれない。本当に涙しても同じこと。姉との違いがヒストリアにはいまだに理解できないでいるが、煩わしいと一蹴されるだけで効果がないという経験だけは積み重なっていた。
結局、堪えようとした涙は止まらなかった。
「……また泣くか。それで解決するのなら子供でも出来る。少しは王妃を見習ってくれないか」
あからさまでないものの殿下からは溜息が零れた。
王妃を見習えなど、ヒストリアには嫌味にすら聞こえたのだ。
現大聖女であるべルナルド王太子殿下の母君、イクシス様。
彼女にもっとも近い気品と知性を持つ聖女は誰かと尋ねられれば皆がこういう『次代の大聖女ヒストリア様の姉君、エリザベート様』だと。
「大事なことだ。前にも言ったが、私が思うにせめて大聖女教育だけでも滞りなく進めば噂を蒸し返す者達を黙らせることができる……なぜか君はやる気がないみたいだが」
「そんなことありません!噂のせいで眠れず集中できないから、だから日を改めてさせていただいただけです!」
「埒があかないな……悪いがもう公務に戻る」
そう言って殿下が去った庭園には冷たい風が吹き抜け、春の花弁が散った。