冤罪で聖印を奪われた令嬢、辺境で本物の大聖女になる ~傲慢令嬢ヒストリアの救済証明~

谷底の真実と浄化石

地表を割く谷を目指し隊列を組んで暫く、少し距離を置いて先頭を歩くスレイが、ふとヒストリア達に視線を流した。
これまで緊張を張り詰め、仔猫でさえ鳴き声を発さず進んできたが、スレイと眼が合ったかと思えば、あろうことか静寂を割って呼びかけるように言った。

「俺ね、知ってんだよねぇ。あそこの魔物はヤバいから魔獣も寄り付かないんだよ。もうすぐ着くからほら、静かでしょ?」
「無駄口叩くな」
スレイの後に続くベリルによって即座に窘められるが、しかし相変わらず緊張の抜けた調子である。
「大丈夫だよ〜。言ったじゃん。魔獣が寄り付かないって」

確かに、魔獣の生息地を避けるために迂回しながら進んだ道では独特な気配を感じていたが、ここにきてそれはなくなっていた。スレイの言う通り、この近くには魔獣が居ないからなのだろうか。
「ベリルが言いたいのは尚のこと気を引き締めろって話だろう。スレイはこの地に慣れているかもしれないが俺達は不慣れだからな、警戒は怠りたくない」
ヒストリアの前を庇うように歩くゼノが言葉を補うように告げるがスレイは不満の色を滲ませる。
「だから安心していいよって話なんだって。むしろ今ぐらいだよ、リラックス出来るのなんて。谷底に降りる前までだから」
「ゼノ。そいつイカれてんだから何言っても無駄よ」
これまで無言を貫いていたニッカの怠そうな声がヒストリアの後方から響く。

ヒストリアは無意識に最後尾を歩くルーメンに視線をやるが、周りのやり取りには興味がない様子で地図を眺めながら進んでいた。それから幾ばくもしないうちにベリルの声で隊列が止まる。

「――着いたな」
地表を切り裂く大きな割れ目。谷は暗く奇怪な雰囲気を放っている。
「身近にあるとは知ってたけど……直接見ると壮観っていうか、こんなもん本当にあったのね。やな雰囲気……」
中を覗いたニッカが口端を歪めた。
そのすぐ傍でスレイは革の水袋の栓を抜き口をつける。そしてあっけらかんとした口調で言った。

「ここのヤバそうなのは出てくることはないし休んでいこうよ。たぶん谷に降りて一定の縄張りに侵入しなきゃ大丈夫だろうし。古い道もあるから降りるのもなんとかなるだろうしね」
「そうだな」
ベリルが同意すると、その肩にずっと乗っていた子猫もやっと地上に降りる。それから一時の休息をとることになったが、ヒストリアは一人谷底を眺めていた。

シルドバーニュへと続く地をエルバ国と分断するかのように長い亀裂の入った大規模な地割れ。
まったく同じ場所ではないが、かつてヒストリアが身投げに選んだ地だ。
あの時、魔物の方はヒストリアを視認していた気がする。
思い浮かべながら、ふと疑問が落ちる。

「ねぇ、なぜ魔物は谷から出てこないのかしら……」
その生態を知らないヒストリアだが、顔を顰め考える。這い出て襲う意思があればこの深い谷底から出てくることも可能なのではないだろうか。

あの時の魔物はまるで――――獲物が、ヒストリアが落ちてくるのを待っていた。

「魔物は瘴気が生命活動の源だ。エルバ国の中枢へ行けばもっと濃い瘴気が得られるだろうが、ここも十分に瘴気の濃度が高い」
ルーメンの言葉に振り返ると、水袋が差しだされていた。
それを受け取り谷底に背を向けた刹那、スレイが革ポケットの中身を確認しながら何か思いついたように唸りヒストリア達を見遣る。

「それもそうだけど、逆なんじゃないかな?いま思い出したんだよね。ここって元聖女の処分場だから」

瞬間、その場がシンと静まり返った。
「一体どういうこと……」

問えばスレイは片手に手榴弾を持ち状態を確かめる傍ら答える。
「聖力のなくなった元聖女様を神殿が処分するんだよ。突き落として魔物に捧げるんだ。処分も出来て魔物も谷から出ないし一石二鳥ってことらしい」
ヒストリアは意味を理解した瞬間、絶句し眩暈を感じた。
しかしよろけることはなく、ルーメンによって肩を支えられる。その顔を見上げるといつになく険しい表情があった。

「聞いてない話だな」
ルーメンから冷徹な視線を向けられたスレイは自己弁護するかのように焦っていた。

「だから!今!いま思い出したんだって!隠していたわけじゃないから」
「本当か?」
ベリルからも尋問の如く鋭い視線がスレイに注がれる。
「本当だって!ベリルもその顔止めてくれよ、もう」

不穏な空気に剥きになっていたスレイにベリルが舌打ちを鳴らした。
「いいか、今後は情報の後出しはするな」
「関係ないと思ってたんだって!だから今まで忘れてたっていうか」
「てめぇが関係してると”思う思わない”の感想はどうでもいい。不随する情報はすべて共有しろ。そっから先、必要な情報かどうか精査するのはルーメンがやることだ」
叱りつけられスレイが項垂れる。そして一言「ごめぇん」と謝った。

「……スレイ。頻度と人数は分かるか?」
ルーメンは逡巡したのち、スレイに訊いた。
「うーん……半年に1回とかそんなだったかなぁ。人数は両手に収まるぐらいだ思うよ。滅多にないことだからはっきりとは覚えてないな」

スレイはルーメンから目を逸らすと視線を宙に据え考えたのち答える。続けざまにベリルが胡乱な顔で口を挟んだ。
「てめぇはなんで詳しい?」
「そりゃあ神殿のことだからね!こっちの神殿も絡むから動向見てたら自然と。だってほら、俺の価値観を全肯定する事案なのに俺を異端扱いするなんて許せないだろう」
まさかスレイも神殿の関係者なのだろうか。独特の信仰心を持っていることは既に明らかになっているが、それはヒストリアの想像を上回るもののようだ。
「ゼノ。お前は知ってたか?」
「いや……俺のようなものにはなにも。まさか奴隷同然の扱いだけでなく、魔物に与えていたとは……」
元神殿の重騎士だったというゼノは固く首を振った。奴隷同然という不穏な言葉が出て、ヒストリアはますます神殿に対する不信感を抱く。

――――自分の知らないところで歪な制度が働いている。
聖女の力を失った人間の末路など考えたこともなかった。いや、そもそも聖力が無くなるなど思いもしなかった。
ヒストリアは混乱し、吐き気に似た気分の悪さに口元を手で庇う。

まさか自分もここに落とされる予定があったのだろうか。
身体を襲う激しい動悸に眉根を寄せた。

「処分だなんて、……国がやってるの….…?」
「うーん……ごめね。そこまでは分からないなぁ。興味なかったから」
スレイは困ったように答えると、ルーメンが短い吐息を零したあと言った。
「ラキュウス辺境伯が知っていれば必ず止めるはずだ。国のごく一部、または神殿の独断か……」
「信じられない……シルドバーニュの聖女はみなが幸福なんじゃなかったの……?」

大聖女による結界に守られるシルドバーニュ。奇跡の国と謳われ、聖女達は大切にされる羨望の国。その裏で、身の毛のよだつ行為がなされていたことにヒストリアは狼狽えざるを得なかった。
しかしルーメンが問題としているところは別のところにあったらしい。
「それも看過できないが……スレイの話が本当なら、隣国の崩壊から生まれた魔物は力を得続けていることになる……厄介だな」
極めて冷静な声音だった。

「退くか?瘴気溜まりはここだけじゃねぇだろ。それか今回は偵察までに留めておくか……」

ベリルが問う。しかしルーメンは首を振る。
「いや。そうもいかないだろう」
ヒストリアはその場の空気に不穏なものが混じっていることを今度ははっきりと感じ、出発から続く胸騒ぎに瞳を揺らす。

ルーメンが亀裂を振り返り、忌々し気に言うと視線を谷へ定めたまま問う。
「スレイ、儀式の時間はどれぐらいだ?」
「……えーっと、着いて祈ってすぐ処分、だからあんまり時間使わないよ」

曖昧な答えだったが、納得した様子のルーメンが言う。
「つまりとっくに誰か落ちてきてもいい頃合いを過ぎたというわけだ」
その言葉の意図にベリルがいち早く気づき身構える。子猫はヒストリアの肩に戻ってきており毛を逆立てていた。
「あぁ。分かるぜ、違和感を覚えた奴がもうすぐそこまで這い上がってきているな……なんなんだありゃ」
「どうすんのよ、撤退する!?」
ニッカから苛立ち混じりの声が上がったがヒストリアには分かる。

「きっともう遅いわ……ここで浄化石を作れなきゃ、全員死ぬ」

< 66 / 69 >

この作品をシェア

pagetop