冤罪で聖印を奪われた令嬢、辺境で本物の大聖女になる ~傲慢令嬢ヒストリアの救済証明~
村に着いた頃にはとっくに満天の星が出ており、ヒストリアはラキュウス辺境伯宛に報告書を作ると言うルーメンと別れ、ベリルに付き添うことにした。
ベリル達と共に食堂付きの娼館となっているボラフ亭に寄り、双子を預かってくれていた老齢の女性の元へ顔を出す。
女店主でもある彼女は肩腕を失った経緯を深くは問わず、このまま一晩預かって欲しいと言うベリルの願いを快く引き受けていた。
ニッカ達はこのままボラフ亭で食事を取ると言うのでそこで別れ、ヒストリアはベリルに同行し二人で帰路に着く。
しばらく無言で歩くと馴染みある三角屋根の家が見えてきて、真っ暗な室内は双子達が不在というのもあって寂しさを感じさせた。
だがベリルにとっては束の間の貴重な静寂のようで、長椅子を占拠するよう身体を横たえると長い脚を放り出してため息をこぼす。
「やっと落ち着けるぜ。ご心配してくれる優しい聖女様つきだが」
「だって不便でしょ。今夜の食事ぐらいは作らせてちょうだい」
「自分で出来るつったろうが」
「でも治癒魔法で治っていても痛いと思うし、当たり前をいきなり失ったら戸惑うじゃない……」
ヒストリアは自身の聖印を焼き消された時を思い出し視線を足元に落とす。
あの時の痛みは、治癒魔法を施されたあとも、ふとした瞬間に痛みが残っているような気がした。
ルーメンは神経の記憶によるものだと言ってたが、ヒストリアが思うにあれは自分の一部を失った痛みでもあった。
だから分かったような気になったのだ。
きっとベリルにも自分に似た喪失感があるのではないかと。
「まぁ、面倒くせぇんで今日はもう寝ちまおうと思ってたぐらいだからな。あんたが作るってなら、それも悪くはねぇか」
その言葉にヒストリアは顔を上げた。
台所へ立つこの場からベリルの表情は見えなかったが、棘のない声音を聞いて小さな吐息を溢した。
片手でも食べやすいよう有り合わせのものでサンドウィッチを作り、スープ用に具材を煮込みながらヒストリアはベリルに尋ねた。
「ねぇ、どうしてあなたはこんなにも協力してくれるの?私達がここにきた時から、なんていうか……親切だったわ」
これまで上手く事が運んだのは、ルーメンがベリルと出会ったおかげと言っても過言じゃない。
柔らかく煮込み上がったスープを机に運んだあと、介助しようと移動し手を差し出すが無視されベリルは一人で起き上がる。
「そりゃ金のためだ。ルーメンは羽振りがよかったからな」
食卓用の椅子を引き、怠そうに腰をかけるベリルはスープの香りを嗅いだあとヒストリアに視線を向けた。
「そいつが囲い込む女ならそれなりに価値がある。俺の勘は当たるぜ。実際、実入りのいい話が回ってきた」
今回の護衛の報酬についてだろうか。ヒストリアは出発間際にルーメンから聞いた話を思い出した。
「でも、その代償は大きかったわ。ごめんなさい……もっと早く私が浄化石を作れていたら……」
ヒストリアは影を落とし手元を見つめた。
ベリルが腕を失ったのは自分のせいだ。
そう思っているから、本当は謝りたくて、ここまでついてきたのだ。
「似てるな……」
「……え?」
掠れた声が何かを呟く。
ベリルを見遣ったが、そこには食事を始めた姿があるだけで、利き手と反対の右手で器用にスプーンを持ち口に運んでいた。
そして下唇を舐めとる仕草を捉えたあと目が合った。
「謝る必要はねぇ。浄化石は完成した。それでいいだろ。悔いたって腕が生えてくるわけじゃねぇしな」
ヒストリアは眉根を寄せ唇を引き結ぶ。
現実的なのか、強がっているだけなのか。
「それより喜べよ。これから時代は変わるぜ」
ベリルの言葉にヒストリアはハッとする。
強がるなど、ベリルにするわけがない。
そこには珍しく興奮気味な顔がヒストリアの視界に映っていた。
「これぐらい慣れりゃどうってことない。浄化石ってのが手に入りゃ、聖女をかき集める必要がなくなるんだろ?」
それから小馬鹿にするように言ったあとベリルは続けた。
「神殿に逆らえばこの国で生きていられないっつー常識がひっくり返る。聖女なんて人柱に依存しない時代がくるぜ」
間違いない、と強く言いきったベリルに憂いも後悔も一切感じられない。
「人柱に依存しない時代……」
ベリルは聖女を人柱だと考えていたのか。
小さな声で反復し、ヒストリアは瞳を揺らし胸に熱くなるものを感じていた。
この地に来る前の自分ならば、その言葉を理解するなど到底無理だっただろう。だが今なら言わんとする事は理解できる。
かつて希望だったものは、今は神殿や貴族らの傀儡となり果てているのだ。
「あぁ。俺達が全員で証明したんだ。貴族や神殿の奴らが知りゃどんな顔するか、見てみたいもんだぜ」
人の悪い笑みを浮かべ、挑発的な色が混じる視線に変わりヒストリアは笑った。
それからふと思い出す。
「あなたって実は権威的なものが嫌いよね……」
ヒストリアを見て品定めする視線に似ていたのだ。
そして暴漢がヒストリアの元に来たとき、彼らは言った。『いつもなら何も言わない』と。
いつもなら、それは元貴族の罪人を手籠めにしようが今まで見捨てていたということになる。
「そりゃディート地区に居るのはだいたいが貴族とか神殿のせいで人生が狂ったやつばかりだからね〜」
突如、大きな音がして扉が開き、スレイの呑気な声が響いた。
ヒストリアが目を白黒させてるうちにスレイは抱えてきたワインを開栓し、勝手知ったるようにグラスを探し出すと注ぎながら滝のように喋りはじめる。
「ゼノは神殿勤めしてたけど、揉めて解雇されちゃってから親にも勘当されたでしょ。ニッカはなんだっけ……あぁ、そうだ!キレて聖職者さまの頭を銃でブチぬいちゃって〜、俺は信仰の見解の違いってゆうか。同志なのに異端者扱いされてさー」
「スレイ」
ベリルが苦言を示すべく名を呼ぶが、スレイの耳には入っていない。顔が赤らんでいるのでボラフ亭で相当飲んできたのだろう。
「ベリルはあんまよく知らないけど、ロマとティアのためだよね〜。ベリルって怖いけど意外と世話焼きだからさぁ、二人に本当の….」
「スレイ。無駄口叩くな」
ベリルがワイングラスを差し出すスレイの腕を掴み睨みつけたところでようやく止まったが、機嫌のいい笑みが得意気な顔へと変わった。
「俺のおかげで生きてるのに、そんなこと言っちゃう?」
「よくも悪くも片腕で済んだのは確かにてめぇの手柄でもある」
「だよね〜」
「だが飲み過ぎだ。酒臭ぇ、帰れ」
疎ましげな視線をベリルから注がれているが、嬉しそうにテーブルへと両肘を乗せてへばりつき気にする様子はない。
この酔っぱらいをどうすべきか逡巡していれば扉がノックされたあとゼノが現れた。
「やっぱりここに居たのか!ニッカがお前を探せと騒いで煩いから戻るぞ」
装備は置いてきたのか身軽な格好のゼノは大股でスレイまで歩み寄るなり眉根を寄せ、両脇を抱えて引き剥がしにかかった。
こちらは酒の匂いもなく素面のようで、大きな溜め息をつくと肩に担ぐようにスレイの身体を引き上げる。
その際に目があう。
「……すみません、失礼しました」
軽く顎を引いて会釈され、ヒストリアは首を傾げた。
「……変ね……ゼノにかしこまられた気がするわ」
今日会ってすぐの相手だが、丁寧な印象はあれど敬語を使われた覚えはない。
違和感を無意識に口にしていればベリルが喜色混じりに口を開く。
「そりゃあ……あんたがただの聖女じゃないからだろ」
ヒストリアは瞳を大きく瞬き、ベリルは沈殿するスープの具材を混ぜながら続ける。
「ゼノは元神殿の重騎士だぜ。聖女ってのがどんなもんかは知ってる。……おそらくセシルは偽名、本当は噂の大聖女じゃないか疑ってるだろうな。あんな結界を見たんだ」
「あれはルーメンの魔法で……」
「本当にそれだけで一介の聖女が結界なんて張れるのか?俺の知ってる聖女は無理だったが」
「それは……」
その指摘にヒストリアは口篭った。
確かに、厳密に言うと大聖女が結界を広域展開できるという意味は、根幹となる聖力を展開するための量と質を備えているということだ。
それは印を持たない聖女には不可能。瞬間的に結界を張ることや展開された大聖女の結界に力を供給することは出来るが、ベリルの言う通りであった。
「まぁ、事情は聞かないでおいてやるけどよ」
ベリルはヒストリアの答えを待つよりも先に言えば、サンドウィッチを頬張り一言「うまいな」と呟いて、スレイが残していったワインを香りを楽しむことなく一気に飲み干した。
「なぁ、“ベリルが可哀想だからタダで軽い義手を作ってやってくれ”ってルーメンに頼んどいてくれよ」
そんな軽口に変わり、幾許もしないうちに扉がノックされる。
今度はきっとルーメンだ。
「覚えていたらね」
ヒストリアは困った顔でベリルを見遣ったあと、律儀に扉の前で待っているであろう相手を迎えに背を向ける。
辺境に夜は静かで、扉を開けば紺碧の空を背負うようにして、見慣れた黄金色の瞳と視線が重なった。
ヒストリアはこの日の出来事を胸に刻み、いつの間にか大切な存在へと変わっていた男の手を取り頬を和らげる。
後日、ラキュウス辺境伯によって知らされる王都を騒然とさせたベルナルド王太子の事故死について、今は知る由もなかった。
ベリル達と共に食堂付きの娼館となっているボラフ亭に寄り、双子を預かってくれていた老齢の女性の元へ顔を出す。
女店主でもある彼女は肩腕を失った経緯を深くは問わず、このまま一晩預かって欲しいと言うベリルの願いを快く引き受けていた。
ニッカ達はこのままボラフ亭で食事を取ると言うのでそこで別れ、ヒストリアはベリルに同行し二人で帰路に着く。
しばらく無言で歩くと馴染みある三角屋根の家が見えてきて、真っ暗な室内は双子達が不在というのもあって寂しさを感じさせた。
だがベリルにとっては束の間の貴重な静寂のようで、長椅子を占拠するよう身体を横たえると長い脚を放り出してため息をこぼす。
「やっと落ち着けるぜ。ご心配してくれる優しい聖女様つきだが」
「だって不便でしょ。今夜の食事ぐらいは作らせてちょうだい」
「自分で出来るつったろうが」
「でも治癒魔法で治っていても痛いと思うし、当たり前をいきなり失ったら戸惑うじゃない……」
ヒストリアは自身の聖印を焼き消された時を思い出し視線を足元に落とす。
あの時の痛みは、治癒魔法を施されたあとも、ふとした瞬間に痛みが残っているような気がした。
ルーメンは神経の記憶によるものだと言ってたが、ヒストリアが思うにあれは自分の一部を失った痛みでもあった。
だから分かったような気になったのだ。
きっとベリルにも自分に似た喪失感があるのではないかと。
「まぁ、面倒くせぇんで今日はもう寝ちまおうと思ってたぐらいだからな。あんたが作るってなら、それも悪くはねぇか」
その言葉にヒストリアは顔を上げた。
台所へ立つこの場からベリルの表情は見えなかったが、棘のない声音を聞いて小さな吐息を溢した。
片手でも食べやすいよう有り合わせのものでサンドウィッチを作り、スープ用に具材を煮込みながらヒストリアはベリルに尋ねた。
「ねぇ、どうしてあなたはこんなにも協力してくれるの?私達がここにきた時から、なんていうか……親切だったわ」
これまで上手く事が運んだのは、ルーメンがベリルと出会ったおかげと言っても過言じゃない。
柔らかく煮込み上がったスープを机に運んだあと、介助しようと移動し手を差し出すが無視されベリルは一人で起き上がる。
「そりゃ金のためだ。ルーメンは羽振りがよかったからな」
食卓用の椅子を引き、怠そうに腰をかけるベリルはスープの香りを嗅いだあとヒストリアに視線を向けた。
「そいつが囲い込む女ならそれなりに価値がある。俺の勘は当たるぜ。実際、実入りのいい話が回ってきた」
今回の護衛の報酬についてだろうか。ヒストリアは出発間際にルーメンから聞いた話を思い出した。
「でも、その代償は大きかったわ。ごめんなさい……もっと早く私が浄化石を作れていたら……」
ヒストリアは影を落とし手元を見つめた。
ベリルが腕を失ったのは自分のせいだ。
そう思っているから、本当は謝りたくて、ここまでついてきたのだ。
「似てるな……」
「……え?」
掠れた声が何かを呟く。
ベリルを見遣ったが、そこには食事を始めた姿があるだけで、利き手と反対の右手で器用にスプーンを持ち口に運んでいた。
そして下唇を舐めとる仕草を捉えたあと目が合った。
「謝る必要はねぇ。浄化石は完成した。それでいいだろ。悔いたって腕が生えてくるわけじゃねぇしな」
ヒストリアは眉根を寄せ唇を引き結ぶ。
現実的なのか、強がっているだけなのか。
「それより喜べよ。これから時代は変わるぜ」
ベリルの言葉にヒストリアはハッとする。
強がるなど、ベリルにするわけがない。
そこには珍しく興奮気味な顔がヒストリアの視界に映っていた。
「これぐらい慣れりゃどうってことない。浄化石ってのが手に入りゃ、聖女をかき集める必要がなくなるんだろ?」
それから小馬鹿にするように言ったあとベリルは続けた。
「神殿に逆らえばこの国で生きていられないっつー常識がひっくり返る。聖女なんて人柱に依存しない時代がくるぜ」
間違いない、と強く言いきったベリルに憂いも後悔も一切感じられない。
「人柱に依存しない時代……」
ベリルは聖女を人柱だと考えていたのか。
小さな声で反復し、ヒストリアは瞳を揺らし胸に熱くなるものを感じていた。
この地に来る前の自分ならば、その言葉を理解するなど到底無理だっただろう。だが今なら言わんとする事は理解できる。
かつて希望だったものは、今は神殿や貴族らの傀儡となり果てているのだ。
「あぁ。俺達が全員で証明したんだ。貴族や神殿の奴らが知りゃどんな顔するか、見てみたいもんだぜ」
人の悪い笑みを浮かべ、挑発的な色が混じる視線に変わりヒストリアは笑った。
それからふと思い出す。
「あなたって実は権威的なものが嫌いよね……」
ヒストリアを見て品定めする視線に似ていたのだ。
そして暴漢がヒストリアの元に来たとき、彼らは言った。『いつもなら何も言わない』と。
いつもなら、それは元貴族の罪人を手籠めにしようが今まで見捨てていたということになる。
「そりゃディート地区に居るのはだいたいが貴族とか神殿のせいで人生が狂ったやつばかりだからね〜」
突如、大きな音がして扉が開き、スレイの呑気な声が響いた。
ヒストリアが目を白黒させてるうちにスレイは抱えてきたワインを開栓し、勝手知ったるようにグラスを探し出すと注ぎながら滝のように喋りはじめる。
「ゼノは神殿勤めしてたけど、揉めて解雇されちゃってから親にも勘当されたでしょ。ニッカはなんだっけ……あぁ、そうだ!キレて聖職者さまの頭を銃でブチぬいちゃって〜、俺は信仰の見解の違いってゆうか。同志なのに異端者扱いされてさー」
「スレイ」
ベリルが苦言を示すべく名を呼ぶが、スレイの耳には入っていない。顔が赤らんでいるのでボラフ亭で相当飲んできたのだろう。
「ベリルはあんまよく知らないけど、ロマとティアのためだよね〜。ベリルって怖いけど意外と世話焼きだからさぁ、二人に本当の….」
「スレイ。無駄口叩くな」
ベリルがワイングラスを差し出すスレイの腕を掴み睨みつけたところでようやく止まったが、機嫌のいい笑みが得意気な顔へと変わった。
「俺のおかげで生きてるのに、そんなこと言っちゃう?」
「よくも悪くも片腕で済んだのは確かにてめぇの手柄でもある」
「だよね〜」
「だが飲み過ぎだ。酒臭ぇ、帰れ」
疎ましげな視線をベリルから注がれているが、嬉しそうにテーブルへと両肘を乗せてへばりつき気にする様子はない。
この酔っぱらいをどうすべきか逡巡していれば扉がノックされたあとゼノが現れた。
「やっぱりここに居たのか!ニッカがお前を探せと騒いで煩いから戻るぞ」
装備は置いてきたのか身軽な格好のゼノは大股でスレイまで歩み寄るなり眉根を寄せ、両脇を抱えて引き剥がしにかかった。
こちらは酒の匂いもなく素面のようで、大きな溜め息をつくと肩に担ぐようにスレイの身体を引き上げる。
その際に目があう。
「……すみません、失礼しました」
軽く顎を引いて会釈され、ヒストリアは首を傾げた。
「……変ね……ゼノにかしこまられた気がするわ」
今日会ってすぐの相手だが、丁寧な印象はあれど敬語を使われた覚えはない。
違和感を無意識に口にしていればベリルが喜色混じりに口を開く。
「そりゃあ……あんたがただの聖女じゃないからだろ」
ヒストリアは瞳を大きく瞬き、ベリルは沈殿するスープの具材を混ぜながら続ける。
「ゼノは元神殿の重騎士だぜ。聖女ってのがどんなもんかは知ってる。……おそらくセシルは偽名、本当は噂の大聖女じゃないか疑ってるだろうな。あんな結界を見たんだ」
「あれはルーメンの魔法で……」
「本当にそれだけで一介の聖女が結界なんて張れるのか?俺の知ってる聖女は無理だったが」
「それは……」
その指摘にヒストリアは口篭った。
確かに、厳密に言うと大聖女が結界を広域展開できるという意味は、根幹となる聖力を展開するための量と質を備えているということだ。
それは印を持たない聖女には不可能。瞬間的に結界を張ることや展開された大聖女の結界に力を供給することは出来るが、ベリルの言う通りであった。
「まぁ、事情は聞かないでおいてやるけどよ」
ベリルはヒストリアの答えを待つよりも先に言えば、サンドウィッチを頬張り一言「うまいな」と呟いて、スレイが残していったワインを香りを楽しむことなく一気に飲み干した。
「なぁ、“ベリルが可哀想だからタダで軽い義手を作ってやってくれ”ってルーメンに頼んどいてくれよ」
そんな軽口に変わり、幾許もしないうちに扉がノックされる。
今度はきっとルーメンだ。
「覚えていたらね」
ヒストリアは困った顔でベリルを見遣ったあと、律儀に扉の前で待っているであろう相手を迎えに背を向ける。
辺境に夜は静かで、扉を開けば紺碧の空を背負うようにして、見慣れた黄金色の瞳と視線が重なった。
ヒストリアはこの日の出来事を胸に刻み、いつの間にか大切な存在へと変わっていた男の手を取り頬を和らげる。
後日、ラキュウス辺境伯によって知らされる王都を騒然とさせたベルナルド王太子の事故死について、今は知る由もなかった。