甘い夢はもう見ない〜お見合い結婚から始まる両片想いの恋〜
翌週。
桜子の母がマンションにやって来た。

「お母さん……」

記憶の中の母よりもずっと年を取り、やつれ果てた母の姿に、桜子は言葉に詰まる。

「桜子……、ごめんなさい。本当に、ごめん……」

母は玄関に佇み、ただ桜子に詫び続けた。

なにから話せばいいのか。
なにを聞こうとしたのか。

桜子の頭は真っ白になる。

そんな桜子の肩を抱き寄せ、小さく頷いてから、左京は一歩前に出た。

「初めまして、橘左京と申します。桜子さんと昨年の1月にお見合いし、4月に結婚させていただきました。ご挨拶がこんなにも遅くなり、申し訳ありません」

深々と頭を下げる左京に、母は我に返ったように口を開く。

「そんな、お顔を上げてください。こちらこそご挨拶もせずに今日まで来てしまい、大変失礼いたしました。申し訳ありませんでした」

左京はゆっくり顔を上げると、「どうぞお入りください。桜子も、お茶を飲みながらゆっくり話そう」と促した。

「はい。お母さん、どうぞ入って」

母は視線を伏せたまま、恐る恐るリビングに入る。

桜子は和室に寝かせていた悠真を抱き上げ、左京と一緒に母のもとに戻った。

「お母さん、先月生まれた息子の悠真です」

ハッと見開いた母の目から、みるみるうちに涙が溢れ出る。

「桜子の、赤ちゃん……? なんて可愛いの」

左京が「抱っこしてやってください」と言うと、母は頑なに首を振った。

「いいえ、私にその資格はありません」
「ですが、あなたは紛れもなく悠真のおばあちゃんですから。あ、おばあちゃんとは失礼ですね」

そう言って左京は桜子に「なんだっけ? 最近は、ばあばとかグランマとか呼ぶんだっけ?」と尋ねる。

「グランマは変ですよ。おばあ、とかは?」
「それは沖縄だけじゃないか? じゃあ、おばあ様にするか」

すると母は「いいえ、おばあちゃんで」と口をついたように言った。

「あ、ごめんなさい」

慌てて謝る母に、左京は笑顔で首を振る。

「では悠真に、おばあちゃんと教えますね」

そして左京は桜子に優しく微笑んで促した。

「お母さん」

桜子は母に歩み寄り、そっと悠真をその手に抱かせる。

「あ、どうしよう。手が震えて……」

だが母は、悠真の顔を覗き込むと、得も言われぬ幸せそうな笑みを浮かべた。

「まあ、なんて可愛いのかしら。口元が桜子にそっくり。でも既に整ったお顔立ちね。パパに似て、かっこいい子になるでしょうね」

自然と身体を揺らしてあやし始めた母に、桜子もようやくホッとする。

その時、ふいにインターフォンが鳴った。

「あれ? 誰だろう」
「いい、俺が出るよ」

左京がロックを解除して玄関に行く。
しばらくすると、パタパタと数人の足音が聞こえてきた。
なにごとかと、桜子も玄関に向かう。

「さっこちゃーん!」
「えっ、桃ちゃん?」

桃香の後ろには、和志を抱いた紅葉、そして清志の姿もあった。

どういうこと?と、桜子は左京に目で尋ねる。

「俺から清志さんに連絡しておいたんだ。今日、お義母さんがここにいらっしゃること。どうするかはお任せしますって」

すると清志が、紅葉の様子をうかがいながら口を開いた。

「紅葉は、散々迷ってたんだ。だけど『迷ってるなら思い切って会おう』って、ちょっと強引に連れて来てしまった」
「そうだったの……。お姉ちゃん、行こう」

桜子は紅葉の肩を押してリビングに入る。

「お母さん、お姉ちゃんよ」
「紅葉……」

悠真を抱いたまま、母はまた目を見開いて涙をこぼした。

「……お母さん」
「紅葉、ごめんね。ごめんなさい、本当に……」

桜子は母の手から悠真を抱き上げると、順番に紹介する。

「お母さん、お姉ちゃんの旦那様の津村清志さん。『しらゆき』で板前さんをしてくれてるの。ちょうどお母さんがうちを出て行った直後に来てくれたから、もう10年以上になるね」
「そうでしたか。それはそれは、ありがとうございます」

染みついた女将のくせなのか、母は丁寧に頭を下げた。

「初めまして、津村清志です。ご挨拶が遅くなり、申し訳ありませんでした。『しらゆき』でも大変お世話になっております」
「こちらこそ。今頃になってのうのうと現れて、大変失礼いたしました」
「いいえ、お会い出来てとても嬉しいです。紅葉もずっとあなたのことを胸に秘めて、思い悩んでいましたから」

えっ、と紅葉が清志を見上げると、清志は、言わなくてもいいとばかりに頷く。

「紹介させてください。娘の桃香と息子の和志です。桃香、ご挨拶は?」

促されて、桃香はちょこんと両手を揃えた。

「こんにちは。つむらももか、3歳です」
「まあまあ、可愛らしいこと」

母は泣きながら桃香に笑いかける。

「初めまして、おばあちゃんです」
「おばあちゃん? ももかにあたらしいおばあちゃんができたの?」
「ええ、そうよ。よろしくね、桃香ちゃん」
「はい!」

最後に紅葉は、そっと和志を抱かせた。

「桜子たちの悠真くんと3か月違いなの。同じ学年になるのよ」
「そうなのね。あら、もうパパにそっくり」

泣いているのか笑っているのか、とにかく母は終始感極まった様子だった。
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