甘い夢はもう見ない〜お見合い結婚から始まる両片想いの恋〜
「お帰りなさい、左京さん」
「ただいま」

夜になって帰宅した左京を、桜子はいつものように出迎える。

「どうだった? 料亭は」
「はい、久しぶりに常連のお客様ともお会い出来ました。お義父様にも」
「えっ、親父が? 今日?」

ネクタイを緩めながら、左京は驚いたように桜子を振り返った。

「はい、お昼休みに来てくださいました。左京さん、ご存じなかったんですか?」
「聞いてなかった。大体、毎日うるさいんだよ。『桜子ちゃんは元気か? 今日はどうしてる? 早く帰って高級レストランに連れて行きなさい。愛想尽かされても知らんぞ』とか。だから『桜子は夕方まで料亭の手伝いに行っている』と答えたんだが、その足でそそくさと行ったんだな。まったく、親父ときたら」
「ふふっ。でも私もお会い出来て嬉しかったです。結婚後も、お忙しそうでなかなかご挨拶に伺えなかったから。あっ、左京さん。料亭のまかないも持って帰ってきましたよ」
「おお、それは楽しみだ。着替えたらすぐ戻る」
「はい」

桜子がテーブルに食事を並べると、ラフなシャツに着替えた左京がダイニングに戻って来た。

二人で「いただきます」と手を合わせて、早速食事を始める。

「それでね、左京さんのお父様が変わらず週に1度は『しらゆき』に夕食を食べに来てくださってるそうなの。だからたまには、私たちもおいでって。みんなで食事しましょうって私の父が言ってました」
「そうだな。俺も『しらゆき』にまた行きたい。今度仕事帰りに親父を連れて行くか。その日は桜子も料亭で待ってて」
「はい、分かりました」
「あ、そうだ。呉服屋にも連絡しておいた。次の休みに着物を新調しに行こう」
「ありがとうございます。それで、来月のパーティーには間に合わないので、お義父様が……」

その時、ピンポンとインターフォンが鳴り、二人は思わず顔を見合わせた。

「誰だ? こんな時間に」

立ち上がった左京がモニターに近づき、「戸部!?」と声を上げる。

「えっ、戸部さんが?」
「ああ、どうしたんだろう」

首をひねりつつ、左京は通話ボタンを押した。

「戸部、どうした?」
『こんばんは、常務。遅くに申し訳ありません。社長からの預かり物をお届けにまいりました』
「は? なんだそれ」
『とにかく開けてくださーい』
「仕方ないな」

左京は渋々といった感じで、ロックを解除した。

しばらくすると、玄関のインターフォンが鳴る。

「私が出ますね」

桜子はバタバタと玄関に向かい、ドアを開けた。

「奥様、こんばんは」

にこやかに笑う戸部は、手に大きな長方形の桐の箱を持っていた。

やっぱり、と桜子は思う。

「こんばんは、戸部さん。遅くまでお疲れ様です。どうぞ上がってください」
「はい、失礼します。おおー、ここが常務と奥様の愛の巣ですね。すてきだなぁ」

ムッとした表情で待ち構えていた左京は、リビングに入って来た戸部の姿に驚いて目を見開いた。

「お前、なにを持ってきた?」
「あ、こちらは社長から奥様への贈り物でございまーす」
「なんだと!?」

左京さん、と慌てて桜子が遮る。

「戸部さんは、大切なお着物を運んで来てくださったのです。左京さんのお母様の形見のお着物を」
「えっ、そうなのか?」
「はい。お義父様が、今から着物を新調したのでは来月のパーティーに間に合わないからと、恐れ多いのですが私の為に」
「なるほど、そうだったのか」

桜子は戸部を、リビングと繋がっている和室に案内した。

「戸部さん、こちらに運んでいただけますか?」
「かしこまりました」

戸部が丁寧に和室に運び込むと、桜子は左京を振り返る。

「左京さん、早速拝見してもいいですか?」
「もちろん」
「はい、では」

桜子は手を洗って戻ると、箱の前に正座する。

ふう、と息を整えてから、静かにフタを持ち上げ、たとう紙をそっと左右に開いた。

「まあ、なんてきれい……」

光沢のある白地に鮮やかな花が描かれた色留袖に、桜子はうっとりする。

「これは、 胡粉色(ごふんいろ)綸子(りんず)かしら」

純白ではなく、柔らかで落ち着いた上品な白は、貝殻を砕いて作られた日本画の顔料「胡粉」の色。

そして光の加減で浮き上がる 紗綾形(さやがた)の地紋が生地自体に織り込まれている綸子は、華やかで高貴なもの。

そこに色鮮やかな友禅染で、桜、牡丹、菊、桔梗など、色とりどりの四季草花が見事に描かれていた。

気軽に触れるのもはばかられるほど美しいその着物に、桜子は言葉もなく魅入る。

そんな桜子の凛とした後ろ姿に、左京もまた、見惚れていた。
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