甘い夢はもう見ない〜お見合い結婚から始まる両片想いの恋〜
「いらっしゃいま……お義父様!」

翌日。
若女将として料亭に戻った桜子は、12時過ぎにふらっと入って来た左京の父の姿を見て驚いた。

「こんにちは、桜子ちゃん。左京から、桜子ちゃんが昼間だけ料亭のお手伝いに行っていると聞いてね。お昼を食べに来たよ」
「まあ、ありがとうございます。お座敷になさいますか?」
「いや、いつものカウンターで」
「かしこまりました。どうぞ」
「ありがとう」

カウンター席に着くと、桜子の父や清志ともにこやかに挨拶を交わす。
桜子はおしぼりとお茶を用意した。

「お義父様、お料理はすぐにご用意した方がよろしいですよね? お昼休みは1時まででしょうか?」
「ん? ああ、そんなにきっちり守らなくても大丈夫。こう見えて実は私、社長なんだよ」
「ええ。もちろん存じ上げておりますわ」
「そうだったの? ははは!」

楽しそうに笑うその姿は、やはり大企業の社長らしからぬ親しみやすさがある。

「桜子ちゃん、左京のことをいつもありがとう。桜子ちゃんと結婚してから、左京は表情も柔らかくなってね。穏やかで幸せそうなんだよ」
「そんな、こちらこそ左京さんにはとてもよくしていただいて。心から感謝の気持ちでいっぱいです」
「そうか、それはなによりだ。それでね、左京が桜子ちゃんに着物を新調したいと。近々、うちが古くからお願いしている呉服屋に、桜子ちゃんと一緒に行くと言っていたんだ。桜子ちゃんが、次のパーティーには着物の方がいいのでは、と気遣ってくれたらしいね」
「あ、はい。手持ちの着物で伺うつもりでしたが、よく考えれば橘のお家柄にふさわしい着物は持っていなくて。それなら新調しようと、逆に左京さんにお気を遣わせてしまいました」
「いやいや、あいつ嬉しそうにニヤけてたよ。桜子ちゃんに着物を新調してあげたくて仕方ないんだ。好きにジャンジャン買わせてやってほしい」

ええ?と、桜子は驚く。

(あの左京さんが、ニヤけてた?)

思い浮かべてみるが、想像つかない。
すると左京の父は、お茶をひと口飲んでから続けた。

「パーティーに桜子ちゃんを連れて行くのが楽しみらしいな。だけど今から着物を新調したのでは、来月のパーティーには間に合いそうにない。そこでね、桜子ちゃんさえよければ、うちに残されてる着物を引き取ってもらえないかな?」

それって……、と桜子は遠慮がちに恐る恐る尋ねる。

「それは、お義母様の……大切な形見の?」
「うん。だけど桜子ちゃんからしたら、気分のいいものではないかな? 柄も古いだろうし」
「とんでもない。 私などがそんな、おこがましくて……」
「どうしてだい? 桜子ちゃんは、我が橘家の大事なお嫁さんだ。それに箪笥の肥やしとはまさにこのことでね。左京はひとり息子だし、桜子ちゃん以外に誰ももらい手がないんだよ。受け取ってもらえないかな? もし嫌じゃなければ」
「嫌だなんて、めっそうもない」

桜子は真剣に首を横に振った。

「そうかい? じゃあ、すぐにでも戸部に届けさせるよ。それから呉服屋にも連絡しておく。桜子ちゃん、左京になんでも買わせてやっておくれ。ははは!」

楽しそうな様子に、桜子は戸惑いつつも頷いた。
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