深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった

第一話 深夜二時の住人たち

 終電を逃したのは、今月で何度目だろう。

 野口柚子は駅の改札を抜けながら、スマートフォンの画面に表示された時刻を見た。

 午前一時四十七分。

 中目黒に引っ越してきた理由がこれだ、と思う。

 音楽業界――レコード会社のA&Rという華やかな肩書きとは裏腹に、現実は泥臭い調整と地道な作業の連続だ。

 今日も防音室にこもりきりで何十曲というデモ音源を聴き続けていたせいで、耳の奥にはまだ微かなベースの低音がこびりついている。

 会社まで電車で五分。
 それでも帰宅は、この時間になってしまう。

 以前は三軒茶屋に住んでいた。

 終電を逃すたびにタクシーに乗って、翌月のカード明細を見て、少しだけ泣いた。

 上司に「引っ越したら」と言われたのは一度や二度じゃない。

 引っ越したら仕事が楽になると思ったのに、会社が近くなった分だけ帰りが遅くなった。
 人間というのは与えられた器を満たすようにできているらしい。

 冬の刺すような冷たい風が、厚手のコートの襟元から容赦なく入り込んでくる。
 柚子はマフラーに深く顔を埋め、目黒川沿いをとぼとぼと歩いた。
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