深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
「たまにそういう奇跡的な曲に出会うんです。理屈じゃなくて、心臓に直接触れられたような感覚。最初にそのデモ音源を聴いたとき、これだと思って。うまく説明できないんですけど」
 
「うん、説明なんてできなくていいと思いますよ」
 
 九条の声は、夜の帳のように、どこまでも静かだった。
 
「説明できてしまう感動より、言葉にはできない感動の方が、本物であることが多いから」
 
 断言するような台詞に、柚子は確信してしまう。

 この人は、音楽の真髄を知っている。
 そして、なんらかの形で関わっている。
 聴き手としての感性だけではない、生み出す側が持つ特有の感性。
 
「九条さん、やっぱり音楽やってる人ですよね」
 
「……なんでそう思いますか」
 
「だって、感動の捉え方が、作る側の人間の感覚ですもん」
 
 少し間があって「聴く方が好きです」という返事が返って来る。
 
 それ以上追求するのは、なんとなくこの場所のルールに反する気がした。
 本当はもっと、音楽のことを話してみたい。

 マスターが裏メニューの定番であるラザニアの皿を、ちょうどのタイミングで柚子の前にことりと置いた。
 
 柚子が早めに立ち寄ったのとは反対に、常連たちがLAMPに顔を出し始めたのは、間もなく深夜に差し掛かろうというところだった。

 二時間もぼんやりしている事に気が付いたものの、皆が来るとやはり楽しくなってしまって、ずるずると居座ってしまう。
 
 トシさんが「ああ、疲れた! 今日のロケ、予定より三時間も押したよ」と言いながら入ってきて、結城さんが影のように音もなく現れ、無言でいつもの重めの赤ワインを注文した。

 最後に入ってきたのは、甘い香水を纏ったモデルの香菜さんだ。

 店内は一気にいつもの深夜の顔へと、彩られていく。
 柚子は、そんな活気に満ちた空間の片隅で、先ほどまで九条と交わしていた会話を反芻していた。

 説明できない感動の方が本物。

 九条は柚子の感覚を、確信を持って肯定してくれた。
 彼の言葉の静かな余韻が、胸の奥で温かい澱のように沈殿している。
 
「そういえば、九条さん」

 不意に、トシさんがグラスを回しながら九条に声をかけた。
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