深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
懐中電灯で室内を照らした柚子は絶句する。
テレビが床に落ちている。窓ガラスは割れていない、が窓枠が歪んだのか柚子の力では開けることが出来ない。
備え付けの食器棚は全開で、お気に入りのグラスが粉々になっている。
慌てて、スリッパを取りに玄関へと戻ると、浴室洗面所のちょっとした通路が水で濡れている。
嫌な予感のまま、扉を開けると、洗面所は水浸しになっていた。
そこで、昨晩の事を思い出した。
割と仲の良い取引先の広報の子から、出張土産のフェイスパックと入浴剤を貰ったため、柚子にしては珍しくバスタブに湯を張り、なんとなくお湯を抜かずに今日に至る。
蓋がずれて、バスタブ内のお湯が半分になっており、残りの半分は洗面所へと流れたのだろう。
項垂れていると、再びズシンと足元から突き上げる揺れに襲われる。
ドアの向こう側ではガシャンガシャンと何かが、割れる音が聞こえてくる。
今度は、お気に入りのマグカップかな……。
確認するのも怖い。
あまりにも現実離れした光景に、疲労という言葉では言い表せない空虚な感覚を覚える。
なにより、この大惨事に見舞われた部屋に、一人でいるのはしんどい。
はじめて電源をいれる携帯ラジオから告げられるニュースは、柚子の想像以上の被害を読み上げていた。
『16日午後5時43分ごろ、関東地方で強い地震がありました。気象庁によると、震源地は東京湾、震源の深さは約30km、地震の規模を示すマグニチュードは7.3と推定されます。この地震により、東京・千代田区、江東区、江戸川区などで最大震度6強を観測したほか、関東地方の広い範囲で震度6弱から5弱の激しい揺れを観測しました。現在、津波警報の有無を確認中です。海岸沿いの方はただちに高台へ避難してください。また、都内では広範囲で停電、断水が発生している模様です』
柚子は、部屋を施錠し、外へと出る。
隣の部屋は、閉まっている。
九条は無事だろうか。
LAMPは。
通りを渡って、半地下の店へ続く階段の上には、いつものように看板が出ていた。
通電はしていなかった。
その代用なのか、アウトドア用品ぽいランタンが二つ両サイドに置かれてある。
上から階段の下を覗き込むと、明かりが揺れていた。
営業してる?
扉を開けると、カウンターの中にいるマスターが片手を挙げた。
停電の影響か、音楽も流れていない。
各テーブルにはランタンが一つずつ。
こんな夜じゃなければ、ただのお洒落なインテリアにしか見えない。
デートでちょっと良い食事をした帰り、本命を口説く時に似つかわしいロマンティックな光景。
アルバイトの大学生らしき男の子が、見覚えのある背中の主とタブレットの中を覗き込んでいる。
「ゆずちゃん、大丈夫だった?」
マスターはいつもと同じ声のトーンだった。
「近くのスタジオにいたんで、なんとか。……グラス、割れませんでしたか」
「それが、一枚も割れなかったんだよね。棚の端のやつが落ちそうになったけど、直前に、レイ君が止めたので」
「趣味バスケなんで」
アルバイトの男の子はレイ君というらしい。
まるでシュートするようなポーズをとって、弾けるように笑った。
柚子も釣られて笑う。
何気ない日常に、有り触れた会話に、安堵したのも束の間。
再び下から突き上げる感覚に、柚子は小さな悲鳴をあげた。
弾かれた様に振り返ったのは九条だった。
余震は短かった。
揺れが収まると、再びの静寂、けれど緊張を孕んだ。
「大丈夫ですか」
九条が柚子を見ていた。
カウンターを挟んだ向こうから、真っ直ぐに。
大丈夫じゃ、ない。
スタジオの事、帰り道の事、コンビニの事、部屋の事。
一人でいるのがしんどくて、鍵をかけて出てきた。
その事実が、今更ちゃんと体に届いた。
「ゆずちゃん、自分の家は見て来た?」
マスターの声が、静かに落ちていく。
「……テレビ、床に落ちていて。洗面所が水浸しで」
「怪我は?」
「してないです。部屋にいなかったので」
マスターがカップを寄こしてくれる。
お湯は電気なしでは沸かせない所為か、常温のお茶だった。
テレビが床に落ちている。窓ガラスは割れていない、が窓枠が歪んだのか柚子の力では開けることが出来ない。
備え付けの食器棚は全開で、お気に入りのグラスが粉々になっている。
慌てて、スリッパを取りに玄関へと戻ると、浴室洗面所のちょっとした通路が水で濡れている。
嫌な予感のまま、扉を開けると、洗面所は水浸しになっていた。
そこで、昨晩の事を思い出した。
割と仲の良い取引先の広報の子から、出張土産のフェイスパックと入浴剤を貰ったため、柚子にしては珍しくバスタブに湯を張り、なんとなくお湯を抜かずに今日に至る。
蓋がずれて、バスタブ内のお湯が半分になっており、残りの半分は洗面所へと流れたのだろう。
項垂れていると、再びズシンと足元から突き上げる揺れに襲われる。
ドアの向こう側ではガシャンガシャンと何かが、割れる音が聞こえてくる。
今度は、お気に入りのマグカップかな……。
確認するのも怖い。
あまりにも現実離れした光景に、疲労という言葉では言い表せない空虚な感覚を覚える。
なにより、この大惨事に見舞われた部屋に、一人でいるのはしんどい。
はじめて電源をいれる携帯ラジオから告げられるニュースは、柚子の想像以上の被害を読み上げていた。
『16日午後5時43分ごろ、関東地方で強い地震がありました。気象庁によると、震源地は東京湾、震源の深さは約30km、地震の規模を示すマグニチュードは7.3と推定されます。この地震により、東京・千代田区、江東区、江戸川区などで最大震度6強を観測したほか、関東地方の広い範囲で震度6弱から5弱の激しい揺れを観測しました。現在、津波警報の有無を確認中です。海岸沿いの方はただちに高台へ避難してください。また、都内では広範囲で停電、断水が発生している模様です』
柚子は、部屋を施錠し、外へと出る。
隣の部屋は、閉まっている。
九条は無事だろうか。
LAMPは。
通りを渡って、半地下の店へ続く階段の上には、いつものように看板が出ていた。
通電はしていなかった。
その代用なのか、アウトドア用品ぽいランタンが二つ両サイドに置かれてある。
上から階段の下を覗き込むと、明かりが揺れていた。
営業してる?
扉を開けると、カウンターの中にいるマスターが片手を挙げた。
停電の影響か、音楽も流れていない。
各テーブルにはランタンが一つずつ。
こんな夜じゃなければ、ただのお洒落なインテリアにしか見えない。
デートでちょっと良い食事をした帰り、本命を口説く時に似つかわしいロマンティックな光景。
アルバイトの大学生らしき男の子が、見覚えのある背中の主とタブレットの中を覗き込んでいる。
「ゆずちゃん、大丈夫だった?」
マスターはいつもと同じ声のトーンだった。
「近くのスタジオにいたんで、なんとか。……グラス、割れませんでしたか」
「それが、一枚も割れなかったんだよね。棚の端のやつが落ちそうになったけど、直前に、レイ君が止めたので」
「趣味バスケなんで」
アルバイトの男の子はレイ君というらしい。
まるでシュートするようなポーズをとって、弾けるように笑った。
柚子も釣られて笑う。
何気ない日常に、有り触れた会話に、安堵したのも束の間。
再び下から突き上げる感覚に、柚子は小さな悲鳴をあげた。
弾かれた様に振り返ったのは九条だった。
余震は短かった。
揺れが収まると、再びの静寂、けれど緊張を孕んだ。
「大丈夫ですか」
九条が柚子を見ていた。
カウンターを挟んだ向こうから、真っ直ぐに。
大丈夫じゃ、ない。
スタジオの事、帰り道の事、コンビニの事、部屋の事。
一人でいるのがしんどくて、鍵をかけて出てきた。
その事実が、今更ちゃんと体に届いた。
「ゆずちゃん、自分の家は見て来た?」
マスターの声が、静かに落ちていく。
「……テレビ、床に落ちていて。洗面所が水浸しで」
「怪我は?」
「してないです。部屋にいなかったので」
マスターがカップを寄こしてくれる。
お湯は電気なしでは沸かせない所為か、常温のお茶だった。