深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった

第八話 NOT 501

 スマートフォンのアラームで目が覚めて、柚子はいつの間にか寝てしまった事に気が付いた。
 真下に貸したはずの毛布が肩から掛けられている。
 ソファにもたれ掛かったままの姿勢の為、体中が痛い。
 モバイルバッテリーに繋いでいたスマートフォンは辛うじて充電されていたけれど、これもいつまで持つのだろう。
 窓から差し込む朝の光を見上げても、状況が好転している気がしない。
 鳥の鳴き声が近くで聞こえている。

 キッチンの方で物音がして、視線を滑らせると、真下がスマートフォンを片手に立っている。

「あ、野口さん、おはようございます」

「おはようございます。早いですね」

「うん、息子に電話したくて」

 昨晩ガラス片が散乱して居た床が、綺麗に寄せられているのが見える。

「もしかして、片付けてくれたんですか? すいませんお客様なのに……」

「お客様じゃないですよ。押し掛けた帰宅困難者です」

 肩をすくめて笑う真下に、柚子は昨晩辛うじて購入した板チョコレートを半分差し出した。
 LAMPで貰った水と半分のチョコレートだけの朝食。
 繁忙期の昼食も似たようなものである。
 柚子も、おそらく真下も、慣れているだろう。

「今日は終日リモートってメール来てました」

 真下の言葉に促され、柚子も社用チャットを確認する。

「――不要不急の外出禁止。なんか物々しい文字列ですね」

 一気に押し寄せてくる現実を、受け止めきれない。

 リモートでいったい何ができるだろうか。
 担当しているアーティストの所在確認?
 予約しているスタジオにも連絡をいれないと。

 真下がマンションを出発したのは、朝の七時過ぎだった。

 SNSで調べると、都内の路線バスが途切れ途切れながらも動き始めていた。
 乗り継ぎながら、間を歩けば、町田近くまでは行けそうだという。

「本当に助かりました」

「気をつけて帰ってくださいね。息子さんに会えるといいですね」

「――うん。野口さんも、気を付けてくださいね」

 真下はエレベーターが止まっていることを確認してから、階段の方へ向かった。

 ◇

 キッチンは真下が親切にも片付けてくれたため、柚子の部屋で今一番ひどく荒れ果てているのは洗面所。
 雑巾など当然、持ち合わせていない。
 いつか着ようと思いながら捨てられなかったTシャツを犠牲にして、床を拭き上げる。
 浴槽に半分ほど残った水は、もしかしたらトイレを流すのに使えるかもしれない。
 とはいえ、今の状況で使用するのは、正しい判断なのだろうか。
 漏水でもしていて、階下に被害を及ぼしてしまったら。
 迷いながらも、結局そのままにしておいた。

 エントランスに降りていくと、住人たちの声が聞こえる。
 管理人がその中央で、困りながら説明していた。
 水道管が破裂し地下の配管がやられていて、エントランスの一部と低層階に漏水被害。

 住人の誰かが「いつ直るんですか」と質問している。

「現時点では未定です。業者にもまだ連絡が繋がっていないのが現状です……」

 電気が戻っていない上に、水も出ない。
 モバイルバッテリーも、あと一、二回充電できるかどうかという残量。
 わりと絶望的なライフラインに、ただただ呆然とするしかない。

 水も昨日買えたやつと、LAMPで貰ったペットボトルが二本。
 チョコレートはもう食べてしまった。
 非常持ち出し袋の中に、クラッカーくらいは残っていたかな。
 仕事はスマートフォン一本でこなすしかないが、バッテリーが持つか分からない。

 非常食は、と考えて、棚の奥を探してみると、カップラーメンが二個。
 缶詰が一個。

 三日以上は、絶対に持たない気がする。
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