野いちご源氏物語 五二 蜻蛉(かげろう)
浮舟(うきふね)(きみ)母君(ははぎみ)は、都には戻ったけれど自宅には帰っていない。
出産間近(まぢか)の娘がいるから、死人(しにん)の出た家に入って縁起(えんぎ)の悪い体になってしまった母君は、産婦(さんぷ)の母親といえど遠慮しないといけないの。
以前浮舟の君がいた(かく)()滞在(たいざい)して、浮舟の君を亡くした悲しみに沈みつつ、妹娘の出産を心配している。

無事に出産したという知らせがあった。
もうしばらく縁起の悪い期間はつづくから、まだ娘や孫の顔を見にいくことはできない。
ぼけたようにぼんやり暮らしていると、(かおる)(きみ)のお使者(ししゃ)が、ひそかにお手紙を届けにやって来た。
「すぐにお()やみを申し上げなければと思いながらも、心が乱れており遅くなってしまいました。まして母君はどれほどお悲しみでしょう。この世の(はかな)さにつらくなるばかりの毎日です。いつどうなってもよい命ですが、もし生きながらえることがありましたら、私を姫君の形見(かたみ)と思ってぜひお訪ねくださいますよう」
と、優しいことがお手紙には書かれていた。

お使者は三条(さんじょう)(てい)の事務長よ。
薫の君からのご伝言も母君に伝える。
「まだ先は長いからと油断して、これまで私の誠意をお見せできていませんでした。しかし今からは、どんなことでも私を頼ってください。姫君(ひめぎみ)には幼い異母弟妹(きょうだい)がいると聞きました。成人したときには朝廷(ちょうてい)の役職がいただけるよう、私が後見(こうけん)役をいたしましょう」

母君は泣きながらお返事を書く。
「娘に先立たれ、私も死んでしまいたいほどでございますが、都合よく死ぬこともできず(なげ)いております。しかし、こうして生きながらえたおかげで、あなた様からのありがたいお手紙を拝見できました。
あなた様が娘を都に迎えようと(おお)せくださいましたことは、娘はもちろん私にとっても希望の光でございました。やっと娘の将来に光が差した途端(とたん)、あっけなく亡くなってしまったのですから、宇治(うじ)という場所が(うら)めしく思われます。

いろいろとご親切なお言葉を頂戴(ちょうだい)いたしましたから、もしかするとこの命はもうしばらく長らえるかもしれません。その(さい)にはあなた様をお頼りさせていただきたいと存じます。ただ、今は涙がこぼれるばかりで、何も申し上げることができません」
母君は浮舟の君にあげるつもりでいた立派な宝物を出すと、
「娘から薫の君への贈り物でございます」
と言ってお使者に持たせた。

お使者は手紙と宝物を薫の君にお渡ししてご報告する。
「母君は、『幼い子どもたちのご心配までしてくださったことに感激しております。不出来(ふでき)な子どもたちですが、薫の君のお屋敷へご奉公(ほうこう)に上げさせていただきましょう』とひどく泣きながらおっしゃいました」
地方長官の継娘(まますめ)を恋人にして、恋人が亡くなったらその異母弟妹(きょうだい)の世話までなさる。
こんなこと、薫の君のご身分にはふさわしくないと世間から非難(ひなん)されそうではあるの。

<たしかに家柄(いえがら)に差のある親戚(しんせき)付き合いをすることになるが、母親に大切に育てられ、守られている娘を恋人にしたのだ。自分の屋敷の女房(にょうぼう)に手をつけて妻にしたとか、他人の妻を(うば)ったなどという見苦しいことではない。私と姫は、何も恥じることのない、きちんとした関係だ。
その母親が娘を亡くして悲しんでいるのだから、私はできるだけの誠意を見せるのが(すじ)だろう。娘を大切に育ててきてよかったと思わせてやりたい>
と薫の君はお思いになる。
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