野いちご源氏物語 五二 蜻蛉(かげろう)
山荘のなかには女房たちの泣き声が響いている。
乳母らしい年寄りの声もする。
「姫様、私の姫様。どこにいらっしゃるのです。帰ってきてくださいませ。亡骸にさえお会いできないのは悲しゅうございます。あぁ、かわいい姫様。姫様がご立派な奥様におなりになる日を楽しみにしておりました。それが私の生きる支えでございました。こんな年寄りを見捨てて、いきなりお姿を消してしまわれるなんて。
鬼だか人間だか知りませんが、姫様を盗み出しても無駄ですよ。残された者がこれほど悲しんでいる人を、仏様はあの世へはお入れにならないのです。私の姫様を盗っていった者は、今すぐ返してちょうだい。せめて亡骸だけでも」
時方は不審に思う。
「侍従殿、あれはどういうことですか。本当のことを教えてください。もしや女君は亡くなっていないのではありませんか。まさか薫の君がお隠しになったのですか。
私は宮様の代理です。たしかなことを知りたいとおっしゃって私をお遣わしになりました。宮様にとってはもはやどちらでも同じことですが、あとから『実は生きていらっしゃった』となれば、私の確認不足ということになります。
それに宮様は、女君が亡くなったとは信じていらっしゃいません。何かの間違いであってほしいと願いながら、私に『女房から直接話を聞いてまいれ』とお命じになったのです。そのお気持ちを恐れ多いと思われませんか。尊い親王様が、これほどひとりの女性を愛し、必死になっていらっしゃるのです」
感動しやすい侍従は、
<たしかにありがたいご愛情だ。いくら事情を隠したところで、こういう奇妙な話は自然と広まってお耳に入るだろうから>
と、ある程度は話してしまうことにした。
「薫の君が連れ去ってお隠しになったのであればどれほどよいか。何かしらの心当たりがあるなら、私たちもこんなふうにうろたえてはおりません。本当に何も分からないのです。
近ごろ姫様はひどくふさぎこんでおられました。それに対して薫の君が浮気を疑うようなことをおっしゃったこともございます。お母君も、今わめいている乳母も、姫様が薫の君のところに迎えられることに大喜びでした。ですから姫様は、匂宮様とのことを誰にも言い出せず、おひとりで悩んでいらっしゃったのです。板挟みになってお苦しみになったせいで、ついにお命まで縮めてしまわれたのでしょう。あの乳母は、それであんなに取り乱しているのです」
「自殺」という言葉は使わずに侍従は言った。
時方は納得したわけではないけれど、今日のところは引き下がることにする。
「わかりました。では、またあらためて詳しいお話をうかがいにまいりましょう。近いうちに宮様ご自身もご弔問にいらっしゃるはずです」
「ありがたいことでございますが、それでは宮様と姫様のご関係が世間に知られてしまいます。宮様からのご愛情は名誉とはいえ、姫様はお隠しになっていましたから、やはり世間には漏らさないままにしていただきとう存じます」
女君の死が自殺だったことを、侍従は秘密にしたい。
<あまり長居させたら、この人は勘付くかもしれない>
時方をうまく言いくるめると、すぐに帰らせた。
乳母らしい年寄りの声もする。
「姫様、私の姫様。どこにいらっしゃるのです。帰ってきてくださいませ。亡骸にさえお会いできないのは悲しゅうございます。あぁ、かわいい姫様。姫様がご立派な奥様におなりになる日を楽しみにしておりました。それが私の生きる支えでございました。こんな年寄りを見捨てて、いきなりお姿を消してしまわれるなんて。
鬼だか人間だか知りませんが、姫様を盗み出しても無駄ですよ。残された者がこれほど悲しんでいる人を、仏様はあの世へはお入れにならないのです。私の姫様を盗っていった者は、今すぐ返してちょうだい。せめて亡骸だけでも」
時方は不審に思う。
「侍従殿、あれはどういうことですか。本当のことを教えてください。もしや女君は亡くなっていないのではありませんか。まさか薫の君がお隠しになったのですか。
私は宮様の代理です。たしかなことを知りたいとおっしゃって私をお遣わしになりました。宮様にとってはもはやどちらでも同じことですが、あとから『実は生きていらっしゃった』となれば、私の確認不足ということになります。
それに宮様は、女君が亡くなったとは信じていらっしゃいません。何かの間違いであってほしいと願いながら、私に『女房から直接話を聞いてまいれ』とお命じになったのです。そのお気持ちを恐れ多いと思われませんか。尊い親王様が、これほどひとりの女性を愛し、必死になっていらっしゃるのです」
感動しやすい侍従は、
<たしかにありがたいご愛情だ。いくら事情を隠したところで、こういう奇妙な話は自然と広まってお耳に入るだろうから>
と、ある程度は話してしまうことにした。
「薫の君が連れ去ってお隠しになったのであればどれほどよいか。何かしらの心当たりがあるなら、私たちもこんなふうにうろたえてはおりません。本当に何も分からないのです。
近ごろ姫様はひどくふさぎこんでおられました。それに対して薫の君が浮気を疑うようなことをおっしゃったこともございます。お母君も、今わめいている乳母も、姫様が薫の君のところに迎えられることに大喜びでした。ですから姫様は、匂宮様とのことを誰にも言い出せず、おひとりで悩んでいらっしゃったのです。板挟みになってお苦しみになったせいで、ついにお命まで縮めてしまわれたのでしょう。あの乳母は、それであんなに取り乱しているのです」
「自殺」という言葉は使わずに侍従は言った。
時方は納得したわけではないけれど、今日のところは引き下がることにする。
「わかりました。では、またあらためて詳しいお話をうかがいにまいりましょう。近いうちに宮様ご自身もご弔問にいらっしゃるはずです」
「ありがたいことでございますが、それでは宮様と姫様のご関係が世間に知られてしまいます。宮様からのご愛情は名誉とはいえ、姫様はお隠しになっていましたから、やはり世間には漏らさないままにしていただきとう存じます」
女君の死が自殺だったことを、侍従は秘密にしたい。
<あまり長居させたら、この人は勘付くかもしれない>
時方をうまく言いくるめると、すぐに帰らせた。