この恋、予定外。
“売れよ”という短い言葉に込められた、少しの信頼。
なんだか不思議と嬉しくて、笑みがこぼれた。

「もちろんです。高橋さんが作ってくれてますから」

高橋さんは真顔で言った。

「…そうだな」


もう夜は深くなり、オフィスはすっかり静かだった。

蛍光灯の白い光。
キーボードの音。
試作ボトルの並ぶ棚。


私は売り場メモの最後の一行を打ち終えて、ふぅ、と息をついた。

「終わりました」

高橋さんは自分のパソコンの画面から目を離さないまま、「送って」と言う。

「はい。分かりました」

メールを飛ばして、ノートパソコンを閉じる。


椅子から立ち上がると、少しだけ体を伸ばした。

「森川」

呼ばれて振り向く。
高橋さんはまだパソコンしか見ていない。

「もう帰れ。遅いし」

「え?でも高橋さんは…」

「営業、明日も外だろ。俺はまだやる」

私は一瞬きょとんとした。

それから隣のパソコンの画面を見やると、そこには処方表らしき数字が並んでいる。


私は少し迷ってから言った。

「…手伝えることあります?」

高橋さんは、ちらっとこちらを見る。ほんの一瞬。

「ない」

清々しいほど、きっぱり。

「森川がやる仕事じゃない」

「……ですよね」

苦笑いして、パソコンや書類をバッグに詰め込んで肩にかける。


「じゃあ、お先です」

返事はない。
代わりにキーボードの音だけが続く。
…集中しているのかもしれない。

そう思ってデスクを離れて数歩歩いた時、背中に声がかけられた。

「森川」

振り向く。昼間とは違う呼び方に聞こえた。
高橋さんは相変わらず画面を見たままだった。

「……足」

私は首をかしげる。

「気をつけろよ」

それだけ言って、高橋さんはまたキーボードを叩き始めた。
私はしばらくその背中を見ていた。


─────今の、なんだろう。

別に優しい言い方でもないし。
心配された感じでもない。


でも。
さっきまで、ただの変人だと思っていた人が、ほんの少しだけ違って見えた。

「お疲れさまでした」


そう言って、私はオフィスを出た。


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