君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 凌は冷たくなったスマホをぎゅっと握り締めた。
 しばらくの間、どんな言葉を返すべきか迷って、結局、いつも通り不器用で短い返信を打ち込んむ。

『見てる』

 送信ボタンを押す。既読の文字は、恐ろしいほどすぐに点いた。
 数秒の空白の後、画面に新しいポップアップが届く。

『綺麗だね』

 たった四文字。それだけだった。
 それだけなのに、何故か胸の奥がぎゅうっと締め付けられるようにして、少しだけ苦しくなる。
 顔を上げれば、昼休みの屋上には相変わらず自分一人しかいない。
 それなのに。今、この瞬間だけは、確かに自分のすぐ隣に彼女が立っているような気がした。
 錆びついた鉄柵にいつものように背中を預けながら。長い黒髪を風に遊ばせながら。当然のように、凛とした眼差しで同じ空を見上げているような、そんな温かい錯覚。

「……ああ」

 誰に聞かせるでもなく、凌は静かに呟いた。
 愛おしい四文字が灯る画面を見つめたまま、窓の向こうの青へ向かって、その言葉をそっと投げかける。

「ほんと、綺麗だな」

 冬の手前の空は、残酷なほどに高かった。
 何処までも、何処までも遠く、どんなに背伸びをして手を伸ばしたところで、絶対に指先さえ届きはしない。
 だけど、だからこそ、描きたくなるのだ。
 かつて碧南が命を燃やしてあの青に挑み続けたように。
 どれだけ手を伸ばしても届かない絶対的なものを、それでも愚直に追い続けることそのものが、人が絵を描く本当の理由になる。
 凌はスマホを制服のポケットへと仕舞い込んだ。
 そして、冷え切った右手に再び一本の鉛筆を握り直す。
 目の前には、まだ何の色もついていない白い紙と、未完成のままの、誰かを待っている青空。
 俺には、描かなければならない世界がある。
 俺には、どうしてもこの青を届けなければならない、大切な人がいる。
 だから、凌は今日もまた、一人で筆を執る。
 激しい突風が、誰もいない屋上を吹き抜けていった。
 遮るもののない青空の下、もう自分の隣に、あの美しくて不器用な画家はいない。
 けれど、彼女がその命と引き換えに凌へと遺していった鮮烈な『青』は、今も、そしてこれからも、藤代凌という人間の中で、確かに熱を持って生き続けていた。
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