君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 碧南は、たっぷりと群青色を染み込ませた筆を、新しく広げたスケッチブックの上へとそっと乗せた。
 含ませた多くの水分によって、濃密だった青が輪郭を失い、白い紙の上でじんわりと淡く広がっていく。
 その色彩の融解を、凌は瞬きをするのも忘れて、まじまじと見つめていた。

「薄くなった……」

 凌の素朴な呟きに、碧南は筆先を小さく揺らしながら、静かに言葉を返した。

「たとえ元がどれだけ濃い群青色であってもね、混ぜるもの……水や、他の色によって、その姿は簡単に変わるの。それは人間も一緒だよ。誰と出会い、何をするかで、人生という名のキャンバスに、時間という色が何層にも重なっていく」
「……なんか、深いことを言いますね、先輩」
「これまで生きてきて、痛感したことをただ言っただけ。人との出会いってのは、自分を良いようにも、悪いようにも変えてしまうから」

 碧南の淡々とした横顔に、遠い過去をなぞるような陰影が落ちる。
 凌はその微かな変化を見逃さず、思わず一歩踏み込むようにして問い掛けた。

「先輩には、そんな……自分を良くも悪くも変えてしまうような、決定的な出会いがあったんですか?」
「……あったよ。あの時の衝撃は、今でも忘れない」

 その声は、屋上の風に掻き消されてしまいそうなほど小さかった。
 けれど、彼女の胸の奥深くにずっと突き刺さっている棘の存在を、確かに感じさせる重みがあった。

「その人は……今、何をしているんですか?」

 純粋な疑問から、凌がそう問い掛けた瞬間だった。
 碧南の表情が、目に見えて凍りつくように昏く陰った。
 口元から笑みが消え、その瞳は、まるで触れてはならない記憶の底に沈んでいくかのように深く沈黙する。

「……重要なのは、誰と出会うかじゃない」

 碧南は凌から視線を背け、拒絶するように手元の紙へと意識を戻した。
 その声は先ほどまでの穏やかさを失い、冷たく引き締まっている。

「出会って、そこから何を得るか、なんじゃない?」

 彼女はそれ以上の追及を拒むように、手にした筆を紙の上で力強く一撫でした。
 混ざり合い、薄まった青色の絵の具が、真っ白なキャンバスを引き裂くようにして、境界線の曖昧な、薄い青の一本線を鋭く描き出した。
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