君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
まさか高校生が描いた絵にこれだけの人が群がるとは思っていなかった。
何処に行っても人、人、人の群れ。順序通りに動かないと人の波に押されてしまう。
「きっつ……」
常に動いている満員電車よりは幾分かマシだが、それでも人混みは苦痛である。
凌は人が群がる会場から一歩逃げ出し、廊下の一角で身を隠していた。
「あっ! そこの君!」
「ん?」
ようやく落ち着けたかと思えば、すぐ傍からやけに興奮した様子の女性の声が聞こえる。
顔を上げれば、そこには首から職員を示す名札を掛けたスーツ姿の女性が立っていた。
その女性が見つめるのは、もちろん廊下に座り込んだ凌その人である。
「えっ、えっと、何す?か……」
「やはりそうだ。一目で分かりましたよ。君があの素晴らしい青空の絵を描かれた藤代凌さんですね!」
「あ、あの。一体何の用すか? というか誰……」
突如として現れた来訪者に、凌の警戒心と不機嫌度は増していく。
「ああ、申し遅れました。私、本高校生芸術コンテストの責任者を務めております、野一色翠と申します」
「野一色、さん……。それで、俺に何か用でも……」
「ええ、ええ! 少々私めにお時間をいただけないでしょうか! 私はですね、藤代さんが描かれたあの受賞作品に、言葉にできないほど痛く感動いたしましてね。どうしても藤代さんご本人から、あの素晴らしい作品に込めた生のお話を聞きたいと思い、こうして不躾ながらお声をかけさせていただいた次第です!」
まさに立て板に水、といったまくし立てるような熱量と勢いだった。
仕立ての良いスーツに身を包み、丸眼鏡の奥で子供のように爛々と目を輝かせる野一色に完全に圧倒され、凌は思わず後ろへ一歩後ずさりする。
「いや、そんな大した意図とか話とか、何も無いんで……」
「またまた、そんな風にご謙遜をなさる!」
「いや、本当に無いんですって」
「藤代さん、あの作品は審査員一同、文句なしの満場一致で最優秀賞に決まったんですよ!?」
「はぁ……」
満場一致。そのあまりに重たい言葉をぶつけられても、凌はただただ居心地が悪くなる一方だった。他人にそこまで言われても、自分自身ではいまだにあの結果を信じきれていないのだ。
美術部に入ってまだ間もない自分が、あの数週間、ただ狂ったように必死に筆を動かしただけの絵が、大人の専門家たちからそんな大層な評価を受けるなんて、どうしても実感が湧かなかった。
「特に、あの空の表現です!」
野一色は凌の困惑などお構いなしに、さらに身を乗り出して興奮気味に言葉を続ける。
「あの、なんてことのない日々の中に、執念深く残されたような鮮烈な『青』の表現! あれは一体、何を意図して描かれたのでしょう!? 私は最初、過酷な現実の中に残された『希望の象徴』かと考えたのですが、二度、三度と会場で作品を見返すうちに、どうにも違う気がしてきましてね。ぜひ作家本人の口から、その演出の意図を伺いたい!」
「えっと……」
そこまで熱弁されて、凌は困り果てて頭をガシガシと掻いた。
そんな小難しい芸術理論や高尚なテーマを頭に浮かべて描いたわけでは、決してない。少なくとも、自分自身の自覚としてはそうだった。
「……誰かを待ってる絵、です」
「ほう!」
「それだけっす」
「えっ……それだけ、ですか?」
「はい」
野一色が完全に言葉を失い、その場で彫刻のように固まる。
凌もどうしていいか分からず、ただ気まずそうに視線を泳がせる。
何処に行っても人、人、人の群れ。順序通りに動かないと人の波に押されてしまう。
「きっつ……」
常に動いている満員電車よりは幾分かマシだが、それでも人混みは苦痛である。
凌は人が群がる会場から一歩逃げ出し、廊下の一角で身を隠していた。
「あっ! そこの君!」
「ん?」
ようやく落ち着けたかと思えば、すぐ傍からやけに興奮した様子の女性の声が聞こえる。
顔を上げれば、そこには首から職員を示す名札を掛けたスーツ姿の女性が立っていた。
その女性が見つめるのは、もちろん廊下に座り込んだ凌その人である。
「えっ、えっと、何す?か……」
「やはりそうだ。一目で分かりましたよ。君があの素晴らしい青空の絵を描かれた藤代凌さんですね!」
「あ、あの。一体何の用すか? というか誰……」
突如として現れた来訪者に、凌の警戒心と不機嫌度は増していく。
「ああ、申し遅れました。私、本高校生芸術コンテストの責任者を務めております、野一色翠と申します」
「野一色、さん……。それで、俺に何か用でも……」
「ええ、ええ! 少々私めにお時間をいただけないでしょうか! 私はですね、藤代さんが描かれたあの受賞作品に、言葉にできないほど痛く感動いたしましてね。どうしても藤代さんご本人から、あの素晴らしい作品に込めた生のお話を聞きたいと思い、こうして不躾ながらお声をかけさせていただいた次第です!」
まさに立て板に水、といったまくし立てるような熱量と勢いだった。
仕立ての良いスーツに身を包み、丸眼鏡の奥で子供のように爛々と目を輝かせる野一色に完全に圧倒され、凌は思わず後ろへ一歩後ずさりする。
「いや、そんな大した意図とか話とか、何も無いんで……」
「またまた、そんな風にご謙遜をなさる!」
「いや、本当に無いんですって」
「藤代さん、あの作品は審査員一同、文句なしの満場一致で最優秀賞に決まったんですよ!?」
「はぁ……」
満場一致。そのあまりに重たい言葉をぶつけられても、凌はただただ居心地が悪くなる一方だった。他人にそこまで言われても、自分自身ではいまだにあの結果を信じきれていないのだ。
美術部に入ってまだ間もない自分が、あの数週間、ただ狂ったように必死に筆を動かしただけの絵が、大人の専門家たちからそんな大層な評価を受けるなんて、どうしても実感が湧かなかった。
「特に、あの空の表現です!」
野一色は凌の困惑などお構いなしに、さらに身を乗り出して興奮気味に言葉を続ける。
「あの、なんてことのない日々の中に、執念深く残されたような鮮烈な『青』の表現! あれは一体、何を意図して描かれたのでしょう!? 私は最初、過酷な現実の中に残された『希望の象徴』かと考えたのですが、二度、三度と会場で作品を見返すうちに、どうにも違う気がしてきましてね。ぜひ作家本人の口から、その演出の意図を伺いたい!」
「えっと……」
そこまで熱弁されて、凌は困り果てて頭をガシガシと掻いた。
そんな小難しい芸術理論や高尚なテーマを頭に浮かべて描いたわけでは、決してない。少なくとも、自分自身の自覚としてはそうだった。
「……誰かを待ってる絵、です」
「ほう!」
「それだけっす」
「えっ……それだけ、ですか?」
「はい」
野一色が完全に言葉を失い、その場で彫刻のように固まる。
凌もどうしていいか分からず、ただ気まずそうに視線を泳がせる。