赫い滴と湿った吐息

第三話:日常の崩壊、忍び寄る包囲網 2

「……証拠だと。身の程を知らぬ若造が、私の所有物に泥を塗るつもりか」

男の手が、彼女の震える顎を強引に、かつ愛おしむように掬い上げると、指先に伝わるのは、拒絶を忘れた絶望的な屈服。

掌に伝わる彼女の顎の骨の細さは、外の世界の悪意に晒され、一突きで砕けてしまいそうなほどに脆い。

遠くで、深夜の街を徘徊するバイクの排気音が、破滅の足音となって、一歩ずつ確実に、この密室の扉へと迫っていた。

​「おじさん、お願い……助けて。私を、あんな地獄に返さないで……何でもするから、お願い……っ!」

彼女の吐息が、男の指先にねちっこく絡みつき、泣きじゃくるような湿り気が、男の加虐心を黒く塗り潰していく。

溢れ出した動揺の渦が、二人の間に築いた偽りの安寧を、内側から食い破り、ドロドロの醜い現実を暴き出していく。

暗闇の中、招かれざる過去の亡霊が、扉のすぐ向こう側で、勝ち誇ったような醜い笑い声を上げているような錯覚に陥った。

​「案ずるな。お前の地獄は、この私が全て買い取ってやると言ったはずだ。……代償は、高くつくがな」

男が彼女の細い腰を再び引き寄せると、シーツが不吉な衣擦れの音を立て、二人の影を、底なしの闇に溶かす。

掌に伝わる彼女の脈拍は、絶望へのカウントダウンのように激しく、そして、あまりにも愛おしく乱れていた。

日常の崩壊を告げる無機質な着信音が、静寂を切り裂くたび、二人の共依存という名の鎖は、より深く、生身の肉に食い込んでいく。
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