赫い滴と湿った吐息

第三話:日常の崩壊、忍び寄る包囲網 1

​「……ねえ、おじさん。見て、これ。さっきから止まらないの」

ホテルのベッドの上、湿った髪を散らした少女の指先が、スマートフォンの画面を壊れ物を触るように撫で回す。

鼻腔を支配するのは、先ほど浴室で浴びた安物の石鹸の香りと、彼女の項から立ち上る、拭いきれない恐怖の冷や汗。

視界に映る液晶の青白い光が、暗闇の中で彼女の瞳を不気味に浮き上がらせ、得体の知れない不安の影を、残酷に投げ落としていた。

​「……五月蝿い機械だな。叩き壊してやろうか」

男の低い声が、静寂の重奏に混じり、彼女の耳腔へと冷徹な独占欲を、鉛の滴のように重く注ぎ込む。

耳朶を打つのは、マナーモードに設定された端末がシーツの上で震える、低く、執拗なバイブレーションの唸り。

舌先に残る自身の支配欲という名の鉄錆の味が、男の口腔を、不快な粘り気と共犯の愉悦でじりじりと満たしていった。

​「あいつ……元カレ、私の『パパ活』の証拠、全部持ってるって……大学の掲示板に貼るって言ってるの……っ!」

少女の喉から絞り出された悲鳴が、湿った熱を帯びて、男の胸元に無力な礫となって、何度も叩きつけられる。

触れ合う彼女の背中の震えから伝わるのは、若さゆえの浅はかな絶望と、逃げ場を失った小動物の末路。

視覚を奪うほどの眩い窓の外のネオンが、彼女の華奢な首筋を、断頭台の影のように冷たく、ゆっくりと横切った。
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