君の描き方
EP.5
西野と仮で付き合い始めてから、一週間が経った。
あの日から、羽村とはほとんど話せていない。
教室では会う。
同じクラスだから当たり前だ。
でも、前みたいに気軽に話しかけることができなくなっていた。
羽村も、前ほど私に絡んでこない。
目が合えば軽く手を振るくらいで、すぐに友達の方へ行ってしまう。
……やりにくい。
私は机に頬杖をつきながら、小さくため息をついた。
あんなこと、了承しなければよかった。
軽い気持ちで「一ヶ月」なんて言ったせいで、
変な空気になってしまった。
そのとき。
「またため息」
後ろから声がした。
振り向くと、西野が立っている。
「別に」
私は視線をノートに落とした。
「嘘」
西野は私の机の横に寄りかかる。
「聖、最近ずっとそんな顔」
「どんな顔」
「後悔してる顔」
図星すぎて、何も言えなかった。
西野は少しだけ黙ったあと、ぽつりと言う。
「……羽村のこと?」
私は反射的に顔を上げた。
西野は笑っていない。
ただ、静かに私を見ている。
「違う」
すぐに否定する。
けれど西野は少しだけ目を細めた。
「でも、あんまり話してないよね」
「それは……」
言い訳みたいな言葉しか出てこない。
西野は軽く息を吐いた。
「ごめん」
「え?」
思わず聞き返す。
西野は少しだけ困ったように笑った。
「俺のせいだろ」
その言い方が、思っていたよりずっと素直だった。
「……別に西野のせいじゃない」
私が言うと、西野は首を横に振る。
「いや、俺のせい」
そして少しだけ視線を逸らす。
「でもさ」
「なに」
西野はもう一度私を見る。
「後悔してるなら」
胸が一瞬止まる。
「今からでもやめる?」
教室の空気が、少しだけ静かになった気がした。
私は何も言えず、西野を見つめる。
西野は無理に笑った。
「まだ一週間だし」
「……」
「聖が嫌なら」
そう言いながらも、どこか言いたくなさそうだった。
私はゆっくり口を開く。
「……嫌ってわけじゃない」
西野の目が少しだけ動く。
「じゃあなに」
「ただ」
私は小さく息を吐いた。
「思ってたより大変」
そう言うと、西野は一瞬きょとんとして、
それから少しだけ笑った。
「なにそれ」
「だって」
私は小さく言う。
「西野、距離近いし」
「彼氏だから」
「仮」
「仮彼氏でも彼氏」
即答だった。
私は呆れてため息をつく。
西野はそんな私を見て、少しだけ楽しそうに笑う。
「でもさ」
「なに」
「あと三週間ある」
そう言って、少しだけ自信ありげに言った。
「早く俺のこと好きになれよ」
……ほんとに。
本当は今辞めたほうがよかったのかもしれない。
だけどそれは嫌で。
きっとそれは西野といるのも悪くないと思ったからだろう。
「そういえば今日、美術あるね」
西野が何気なく言った。
「えっ」
思わず顔を上げる。
「美術って」
「湊の隣でしょ」
西野はあっさり言う。
「湊と話せるチャンスじゃん」
「……別に話すことないし」
私がそう言うと、西野は少しだけ眉を上げた。
「ほんとに?」
「ほんと」
西野はしばらく私の顔を見ていた。
それから小さく笑う。
「嘘つくの下手だね」
「ついてない」
「ついてる」
即答だった。
私は視線を逸らす。
西野は机に肘をつきながら続けた。
「気まずいんでしょ」
「……」
「一週間話してないし」
図星すぎて言葉が出ない。
西野は少しだけため息をついた。
「普通に話せばいいじゃん」
「そんな簡単じゃない」
「簡単だよ」
西野は軽く言う。
「“おはよう”って言えば終わり」
「いやおはようじゃないし」
私が小さく言うと、西野は少しだけ黙った。
それから、ぽつりと言う。
「じゃあさ」
「なに」
「俺のせいってことにしていいよ」
「は?」
西野は肩をすくめる。
「聖が話しかけにくいなら」
そして少し笑った。
「全部俺のせいでいい」
「意味わかんない」
「わかるでしょ」
西野はまっすぐ私を見る。
「俺が聖の彼氏だから」
胸が少しだけざわつく。
私はすぐ言い返した。
「仮」
西野は笑った。
「仮でも」
そして少しだけ意地悪そうな顔をする。
「けど、嫉妬しちゃうかも」
「誰が?」
「俺」
さらっと言われて、言葉が止まる。
西野は立ち上がりながら言った。
「まぁ」
「なに」
「美術、頑張って」
「なにを」
西野はドアの方へ歩きながら振り返る。
そして少し笑った。
「湊と話すの」
「……なんで西野が応援してるの」
そう言うと、西野は少しだけ目を細めた。
「だって」
軽く肩をすくめる。
「聖、ずっと気にしてるじゃん」
その言葉に、何も言い返せなかった。
美術の時間がやってきた。
今日の課題も、前回と同じ。
隣の人の似顔絵を描くこと。
先生の指示で机を向かい合わせる。
目の前には、羽村。
お互い椅子を引いて座る。
けれど、どちらも何も言わない。
前なら「また俺かよ」とか「ちゃんと描けよ」とか、
羽村の方から何かしら言ってきたはずなのに。
今日は静かだった。
私はスケッチブックを開く。
鉛筆を持つ。
けれど、顔を上げられない。
似顔絵なんだから、見ないと描けないのに。
羽村も同じなのか、
お互いにタイミングをずらすように視線を動かしていた。
私が顔を上げると、羽村は下を見る。
羽村が顔を上げると、私は紙を見る。
……なんだこれ。
変に器用なすれ違いが続く。
教室のあちこちからは笑い声が聞こえてくるのに、
この席だけ空気が固かった。
私は思いきって、少しだけ顔を上げた。
その瞬間。
羽村も顔を上げた。
ばっちり目が合う。
「……」
「……」
一瞬だけ時間が止まったみたいだった。
羽村はすぐに視線を逸らす。
そして、小さく言った。
「描かないと終わんないぞ」
その声は、前より少しだけよそよそしい。
「……うん」
私は小さく返事をする。
また沈黙。
鉛筆の音だけが聞こえる。
しばらくして、羽村がぽつりと呟いた。
「碧希と、うまくやってんの?」
鉛筆を持つ手が止まった。
「上手くやってるもなにも、仮だし。そんなの関係ないよ」
私は鉛筆を動かしながら答えた。
羽村は少しだけ黙る。
「本当に佐藤は碧希のこと好きじゃないの?」
「当たり前じゃん」
即答すると、羽村はどこか安心したように息を吐いた。
「じゃあ何で仮でも付き合ってるの?」
「騙されたから?」
「何だそれ」
羽村はくすっと笑った。
久しぶりに見るその笑顔に、胸が少し軽くなる。
やっぱり、こういう風に話す方がいい。
教室の空気も、さっきまでより少しだけ柔らいだ気がした。
羽村は鉛筆をくるっと指で回しながら言う。
「じゃあさ」
「なに?」
「本当に好きな人いるの?」
「まあ、そりゃあ」
私がそう答えると、羽村は少しだけ目を細めた。
「羽村は?」
聞き返す。
羽村は少しだけ照れたように笑った。
「俺もいるよ」
そして静かに続ける。
「好きな人」
その瞬間、羽村と視線が絡む。
一瞬だけ、空気が止まったみたいだった。
私は思わず瞬きをする。
でも羽村は、視線を逸らさない。
真っ直ぐ、こっちを見ている。
胸の奥がざわっとする。
「……なに」
思わず聞くと、羽村は少しだけ笑った。
「いや」
それから視線をスケッチブックに落とす。
「似てないなって思って」
「は?」
「その絵」
羽村は私のスケッチブックを指さす。
「俺そんな真面目な顔してない」
私は慌てて紙を隠した。
「まだ途中!」
羽村は楽しそうに笑う。
その笑顔は、さっきまでより少しだけ優しかった。
そして小さく言う。
「でもよかった」
「なにが?」
「碧希のこと好きじゃなくて」
「それってどういう意味?」
私は思わず聞き返した。
羽村は一瞬だけ迷うように視線を落とす。
それから、少しだけ覚悟を決めたように顔を上げた。
「実は俺、佐藤が――」
「聖、絵見せて」
突然、横から声が割り込んだ。
驚いて振り向く。
いつの間にか、西野がすぐ隣に立っていた。
「え、なんでここにいるの」
「美術の見回り」
西野は平然と答える。
「そんな係あった?」
「今作った」
またそれだ。
呆れていると、西野は私のスケッチブックをひょいっと覗き込んだ。
「うわ」
「なにその反応」
「似てない」
「まだ途中!」
私が抗議すると、西野は笑った。
「怪物じゃん」
「前と同じ事言わないで」
私が睨むと、西野は楽しそうに笑った。
でも、その目だけは少し鋭い。
「何話してたの?」
さらっと聞いてくる。
「別に」
すぐに答える。
西野は今度は羽村を見る。
「湊は?」
羽村は一瞬だけ黙った。
それから、いつもの軽い笑顔を作る。
「佐藤の恋バナ聞いてた」
「へえ」
西野は少しだけ眉を上げた。
「恋バナ?」
「そう」
羽村は肩をすくめる。
「好きな人いるのかって」
西野の視線が、ゆっくり私に向く。
「で?」
「いるって」
羽村が答えた。
西野の目が少しだけ細くなる。
「誰?」
「聞いてない」
羽村は笑いながら言う。
私達の周りの空気が、少しだけ張りつめた。
西野は少しだけ黙る。
それから、ふっと笑った。
「じゃあ俺じゃないね」
その言い方が、妙に軽い。
私は思わず西野を見る。
西野は何でもない顔をしていた。
でも、その手が私のスケッチブックを閉じる。
「ほら」
そして鉛筆を私に返す。
「授業中」
少しだけ低い声で言った。
「ちゃんと描いて」
そう言って、西野は自分の席へ戻っていく。
その背中を見ながら、私は鉛筆を握った。
さっき羽村が言おうとしていた言葉が、
頭の中でずっと引っかかっていた。