零班は落第寸前!――名門男子校は秘密のスパイ養成学校でした――
外に出ると、さくら祭りの人たちでにぎわっていた。
川沿いの桜は満開で、風が吹くたび花びらが屋台の屋根に乗った。提灯の赤、金魚すくいの青い水、焼きそばの湯気、綿あめの甘い匂い、太鼓の音、子どもの笑い声。どこを見ても祭りだった。
その真ん中で、鷹ノ宮学園の生徒たちは、びっくりするくらい綺麗な顔で働いていた。
案内所で地図を配るやつ。
茶席へ客を通すやつ。
小さい子に風船を渡すやつ。
落とし物を預かるやつ。
町の人たちは口々に言っていた。
「鷹ノ宮さんの生徒さん、ほんと礼儀正しいねえ」
「さすが名門だわ」
「お行儀よくて助かるね」
そのたびに俺は、地下の通信室と、校長室の隠し金庫を思い出していた。
表の顔が綺麗すぎると、逆に裏のことを忘れそうになる。
たぶん、真砂先輩はその差が許せなかったんだろう。
でも今は考えてる場合じゃなかった。
「有馬」
振り向くと、知らない町役場っぽい兄ちゃんが立っていた。
薄緑の法被、黒縁眼鏡、肩から下げた書類ケース、観光協会の腕章。目元だけ見覚えがあった。
「……誰だよ」
「ひどくない?」
声でわかった。白鷺だった。
「町役場の疲れたお兄さん。どう?」
「疲れてる感じだけはすごい」
「ほめ言葉として受け取っとくね。ほら、射的屋台」
時計台の向かいに、古い射的屋が出ていた。赤い布の屋根、木の棚、安っぽい景品。景品の置き方まで、なんか懐かしい。
屋台の親父がこっちを見た。
「手伝いの坊主か?」
白鷺が間髪入れずに言った。
「はい、うちの親戚です。玉詰め超うまいです」
「勝手に親戚を増やすな!」
親父は俺を頭からつま先まで見て、それから銃の持ち方を見たらしく、あっさり言った。
「じゃあ十分頼むわ。客が波で来るからな」
「通った!?」
「通るんだよ、祭りは勢いで」
白鷺が小声で言って、俺の胸ポケットに小さな紙片を差しこんだ。
「合図、忘れないで。帽子に手で真砂、眼鏡で協力者」
白鷺はもう別人みたいな歩き方で人波に消えた。
射的屋台の中に入ると、親父がコルクを箱ごとこっちへ寄こした。
「兄ちゃん、やったことあるか」
「まあ、ちょっと」
「ちょっとの手つきじゃねえな」
俺は笑ってごまかした。
火村は、工具ベストを着て、時計台脇の機材係みたいな顔でうろうろしていた。ほんとに見た目だけはそれっぽい。
九条は案内所のそばに立っていた。制服の上に白手袋、腕章までつけて、やたらよく似合っていた。感じの悪さだけがいつも通りだった。
大河内は搬入用の台車を押して、北側の橋の近くにいた。でかいから目立つはずなのに、でかい台車まで押すと逆に“そういう仕事の人”に見えるから不思議だった。
俺は時計台裏を見続けた。
九時五十八分。
標準時だ。
九条が案内所の時計を見て、手元の懐中時計を合わせるのが見えた。
九時五十九分。
人の流れが少し変わる。十時の鐘が鳴る前に、みんな時計台の表へ寄っていく。裏が、ほんの少しだけ薄くなる。
そのとき、白鷺が合図した。
帽子に手。
真砂先輩。
俺は息を止めた。
真砂先輩は、濃紺の法被に白い手袋、首から学校の実行委員章を下げていた。制服じゃないのに、妙にきっちりしていて、町の人から見れば、ただ礼儀正しい模範生にしか見えない。
白鷺が、今度は眼鏡に触れた。
協力者。
時計台裏へ、別の男が入ってきた。観光協会の腕章、紺の法被、右手だけ白い手袋。四十代くらい、やせ型で、首から古い一眼レフを下げている。記録係っぽい顔だった。
九条がこちらを見て、指を三本、二本、一本と折った。
あと三十秒。
俺の手が、射的銃の木の感触を覚えていた。
景品じゃない。
でも、やることは同じだった。
見る。
ぶれを消す。
落ちる線を読む。
人には向けない。
物だけを撃つ。
時計台裏で、真砂先輩が男の前で立ち止まった。
白鷺が何食わぬ顔でその脇を通り抜ける。次の瞬間、声色だけが変わった。
「時計台裏、関係者導線しまーす。一般の方、少しだけ前へお願いしまーす」
祭り実行委員そのものの声だった。
人が二、三歩ずれた。
そのほんの一瞬、真砂先輩の手が法被の内側へ入る。
黒い封筒が出た。
九条が、遠くからはっきり口を動かした。
今。
川沿いの桜は満開で、風が吹くたび花びらが屋台の屋根に乗った。提灯の赤、金魚すくいの青い水、焼きそばの湯気、綿あめの甘い匂い、太鼓の音、子どもの笑い声。どこを見ても祭りだった。
その真ん中で、鷹ノ宮学園の生徒たちは、びっくりするくらい綺麗な顔で働いていた。
案内所で地図を配るやつ。
茶席へ客を通すやつ。
小さい子に風船を渡すやつ。
落とし物を預かるやつ。
町の人たちは口々に言っていた。
「鷹ノ宮さんの生徒さん、ほんと礼儀正しいねえ」
「さすが名門だわ」
「お行儀よくて助かるね」
そのたびに俺は、地下の通信室と、校長室の隠し金庫を思い出していた。
表の顔が綺麗すぎると、逆に裏のことを忘れそうになる。
たぶん、真砂先輩はその差が許せなかったんだろう。
でも今は考えてる場合じゃなかった。
「有馬」
振り向くと、知らない町役場っぽい兄ちゃんが立っていた。
薄緑の法被、黒縁眼鏡、肩から下げた書類ケース、観光協会の腕章。目元だけ見覚えがあった。
「……誰だよ」
「ひどくない?」
声でわかった。白鷺だった。
「町役場の疲れたお兄さん。どう?」
「疲れてる感じだけはすごい」
「ほめ言葉として受け取っとくね。ほら、射的屋台」
時計台の向かいに、古い射的屋が出ていた。赤い布の屋根、木の棚、安っぽい景品。景品の置き方まで、なんか懐かしい。
屋台の親父がこっちを見た。
「手伝いの坊主か?」
白鷺が間髪入れずに言った。
「はい、うちの親戚です。玉詰め超うまいです」
「勝手に親戚を増やすな!」
親父は俺を頭からつま先まで見て、それから銃の持ち方を見たらしく、あっさり言った。
「じゃあ十分頼むわ。客が波で来るからな」
「通った!?」
「通るんだよ、祭りは勢いで」
白鷺が小声で言って、俺の胸ポケットに小さな紙片を差しこんだ。
「合図、忘れないで。帽子に手で真砂、眼鏡で協力者」
白鷺はもう別人みたいな歩き方で人波に消えた。
射的屋台の中に入ると、親父がコルクを箱ごとこっちへ寄こした。
「兄ちゃん、やったことあるか」
「まあ、ちょっと」
「ちょっとの手つきじゃねえな」
俺は笑ってごまかした。
火村は、工具ベストを着て、時計台脇の機材係みたいな顔でうろうろしていた。ほんとに見た目だけはそれっぽい。
九条は案内所のそばに立っていた。制服の上に白手袋、腕章までつけて、やたらよく似合っていた。感じの悪さだけがいつも通りだった。
大河内は搬入用の台車を押して、北側の橋の近くにいた。でかいから目立つはずなのに、でかい台車まで押すと逆に“そういう仕事の人”に見えるから不思議だった。
俺は時計台裏を見続けた。
九時五十八分。
標準時だ。
九条が案内所の時計を見て、手元の懐中時計を合わせるのが見えた。
九時五十九分。
人の流れが少し変わる。十時の鐘が鳴る前に、みんな時計台の表へ寄っていく。裏が、ほんの少しだけ薄くなる。
そのとき、白鷺が合図した。
帽子に手。
真砂先輩。
俺は息を止めた。
真砂先輩は、濃紺の法被に白い手袋、首から学校の実行委員章を下げていた。制服じゃないのに、妙にきっちりしていて、町の人から見れば、ただ礼儀正しい模範生にしか見えない。
白鷺が、今度は眼鏡に触れた。
協力者。
時計台裏へ、別の男が入ってきた。観光協会の腕章、紺の法被、右手だけ白い手袋。四十代くらい、やせ型で、首から古い一眼レフを下げている。記録係っぽい顔だった。
九条がこちらを見て、指を三本、二本、一本と折った。
あと三十秒。
俺の手が、射的銃の木の感触を覚えていた。
景品じゃない。
でも、やることは同じだった。
見る。
ぶれを消す。
落ちる線を読む。
人には向けない。
物だけを撃つ。
時計台裏で、真砂先輩が男の前で立ち止まった。
白鷺が何食わぬ顔でその脇を通り抜ける。次の瞬間、声色だけが変わった。
「時計台裏、関係者導線しまーす。一般の方、少しだけ前へお願いしまーす」
祭り実行委員そのものの声だった。
人が二、三歩ずれた。
そのほんの一瞬、真砂先輩の手が法被の内側へ入る。
黒い封筒が出た。
九条が、遠くからはっきり口を動かした。
今。