アダムを噛んで、熱を吸う
放課後。火曜日。
図書室の空気は、いつもより鋭く澄んでいる。
今日は迷わず、彼の隣に座った。
ノートを開く。何も言わない。速水も、何も言わない。

静止した時間の中、ページをめくる乾いた音だけが落ちる。
私はシャーペンを走らせながら、独り言のように零した。

「一位まで六点差だったね」

速水の手は止まらない。

「そう」
「悔しくないの?」
「別に」

私は、ペンを止める。 

「私は、悔しい」

沈黙。速水の指が、ページの端で止まる。

「次は、勝つから」

軽い声じゃない。冗談でもない。
速水は初めて、真正面から私を見た。
黒い瞳。その奥の温度が、わずかに、けれど確実に、粘り気を帯びて変わる。

「……がんばれば」

それだけ。挑発でも慰めでもない、ただの事実。

私は力強く頷いた。

「がんばる」

そこから二時間、一言も交わさなかった。
けれど、互いのペンが紙を削る速度は、目に見えて上がっていく。
解き直し、潰し、赤字で埋める。

やがて速水が先に教科書を閉じた。
私はまだ、書いている。
彼が立ち、鞄を肩にかける。
通り過ぎる瞬間、机の上に音もなく何かが置かれた。

視線を落とすと、一枚の付箋。
そこには、英作文の「便利なフレーズ集」が記されていた。
無駄のない、鋭い筆跡。

顔を上げると、速水はもうドアの前にいた。振り返ることはない。
「次、勝つんでしょ」
背中越しに投げられた声。

それだけを残して、重いドアが閉まった。
私は付箋を見つめる。
胸の奥が、熱く、泥のように疼いた。
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