空は風に恋をした

2話 さよならのクローバー

ロサンゼルスの空は、日本より少し乾いて見えた。

空港を出た瞬間、軽い風が頬をなでる。

颯太はスーツケースの持ち手を握り直し、空を見上げた。

高かった。

どこまでも抜けるような空。

知らない街。知らない言葉。知らない生活。

それでも颯太は、小さく息を吐いた。

ここから始める。

そう決めて、日本を出てきたのだから。



仕事は想像以上に忙しかった。

新しいプロジェクト。慣れない英語。文化の違い。

朝から夜まで働き、気づけば日付が変わっている。

それでも悪くなかった。

忙しければ、余計なことを考えなくて済む。

それが少しだけ、ありがたかった。



夜。

部屋に戻る。

ネクタイを緩め、靴を脱ぐ。

そのままベッドに倒れ込む。

天井を見上げた瞬間。

ふと、奈々の顔が浮かぶ。

笑っていた顔。怒った顔。少し拗ねた顔。

そして、空港での最後の姿。

胸の奥が、じんわり痛む。

颯太は目を閉じた。

「……参ったな」

小さく呟く。



手を伸ばし、テーブルの上の鍵を取る。

そこに付いているのは、四葉のクローバーのキーホルダー。

高校の帰り道だった。

奈々がしゃがみこんで、草むらを見ていた。

「何してんの?」

颯太が聞くと、奈々が嬉しそうに振り返る。

「見て、四葉!」

得意げな笑顔だった。

「颯太にもあげる」

そう言って差し出された、小さなクローバー。

「幸せになるらしいよ」

笑いながら言った言葉。



颯太は指でクローバーをなぞる。

外そうとする。

でも、手が止まる。

「……まだ、無理か」

小さく息を吐く。

鍵をテーブルに戻す。



それから、いくつかの季節が過ぎた。

ロサンゼルスの空は、いつも広かった。

仕事にも慣れ、生活のリズムも出来てくる。

そしてある日。

大きなプロジェクトが一区切りついた。

久しぶりにまとまった休暇が取れることになった。

颯太の頭に浮かんだのは、日本だった。



奈々に会うためじゃない。

ただ——

一度、自分のいた場所を見ておきたかった。

ちゃんと前に進めているのか、
確かめるみたいに。



部屋に戻る。

スーツケースを置いて、ジャケットを脱ぐ。

そのまま、テーブルの前に立つ。



颯太は鍵を手に取る。

そこに付いている、四葉のクローバー。

しばらく見つめる。



ふと。

春の公園の景色がよぎった。



満開の桜。

あのベンチ。

そして——

奈々と諒。



奈々のお腹はふっくらと丸くなっていた。

諒がその肩をそっと支える。

奈々が笑う。

穏やかな午後だった。



一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、目に切なさがよぎる。

でもすぐに、柔らかな笑顔に変わる。

「おめでとう。ほんとに」

あの時、自分の口から出た言葉。



颯太はゆっくりと息を吐く。

クローバーを見つめる。

それから——

静かに、キーホルダーを外した。



引き出しを開ける。

一番上の、小さな箱。

その中に、そっと入れる。

蓋を閉じる。

小さな音がした。



颯太は窓の外を見る。

ロサンゼルスの空は、今日も広かった。



気づかないうちに、

小さく鼻歌を口ずさんでいた。
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