手を、つないで 〜ふたりの時間〜
1.茉歩
「中森さん」
私の大好きな声が聞こえる。低めの、響きのある声。相変わらず寝不足のせいか、ちょっと掠れてる。
振り向くと、食パンの形のティッシュケースを持った彼がいた。
「あっ、すみません」
そのティッシュケースは私のだ。さっきビルから出る時に、ポケットからバッグに入れたつもりで落としてしまったみたい。
「ありがとうございます」
受け取って、頭を下げる。
彼は優しく微笑んで、目礼して去って行った。
相変わらずかっこいい。
背が高くて、目元が涼しげな塩顔のイケメン。他部署から、目の保養に来る人もいる。隠れファンは各所にいる。
そんな彼、松永航さんと、私、中森茉歩は、お付き合いをしている。
「まっほー、行くよー」
隣の席の友人、三上早苗ちゃんが、前方から私に声をかける。今からランチに行くところ。
頷いて、タタッと早苗ちゃんに追い付く。
「ねえねえまっほー」
「なあに?」
「松永さんに、彼女いるっていうハナシ」
ドキッとする。私と松永さんが付き合っていることは、まだ誰にも言っていない。
「先週、打ち上げで言ってたらしいじゃない。茉歩いたんでしょ?そこに」
「ああ、うん……いた」
「どんな感じだった?」
「うん……なんか、突然聞こえてきて」
早苗ちゃんはきょとんとする。
「えっと、とりあえず座ろ」
会社の裏にあるイタリアン。カジュアルなお店で、ランチは大人気。
今日はやることがたくさんあって、私も早苗ちゃんもてんてこ舞いだった。お昼になっても仕事は途切れず、13時にやっとひと息つけたのだ。
だから、昼時はかなり混むこの店で待たずに座ることができた。
ランチセットを注文して、早苗ちゃんは私に迫ってきた。
「で?どんな感じだったの?あの『冷製鉄仮面』は」
松永さんに『冷製鉄仮面』というあだ名をつけたのは、何を隠そうこの三上早苗ちゃんだ。早苗ちゃんがあちこちでサラッと言うもんだから、そういうあだ名なんだねってみんなが納得してしまい、広まったみたい。
「あ……の、ね……」
私は状況を説明した。
チームの打ち上げの最中、みんなの会話の間が合わさって一瞬静かになった時に、松永さんの声が響いたこと。『彼女いるんで』って言ったこと。隣に私達と同じ部署の南さんがいて、お誘いを断るために言ったらしいこと。
早苗ちゃんは、なるほどね、と納得した。
「で、相手は誰なの?」
またドキッとする。
早苗ちゃんには、ちゃんと話そうと思っていた。でも、今話していいのかわからない。
「何も言ってなかった」
「そうなんだ。へー。誰も聞かなかったの?」
「広瀬さんが聞き出そうとしてたけど、黙殺されてたよ」
早苗ちゃんが笑う。
「黙殺。さすが『冷製鉄仮面』」
早苗ちゃんの笑いが収まるのを待って、私は聞いた。
「早苗ちゃん、デートのお相手とはどうなったの?」
早苗ちゃんは、先週、マッチングアプリで知り合った人とデートをしていたはず。週末をはさんだし、何か進展があったかも、と思ったのだ。
「あー、んー、まあいい人だった」
「良かったじゃない」
「うん」
なんだか反応が悪い。
「もしかして、あんまりピンときてない?」
早苗ちゃんは苦笑する。
「……正直ね。期待はしてないつもりだったけど、やっぱりちょっとしてたみたい。多分向こうもそう思ってると思う。そういう意味では気が合うんだろうけどね」
「そう……この後は、どうなるの?アプリの手順てよくわかんないけど」
「連絡が来ればまだ続くし、来なかったらそのまま。私から連絡は、どうしようかまだ考えてる。違う人と会ってもいいし、どうしよっかなー」
そうか……そんな早苗ちゃんに、付き合うことになったとは言いにくい。
結局そのことは話せないまま、会社に戻った。
そういえば。はたと気付いた。
早苗ちゃんに話してもいいか、彼に聞いてない。
私は話したいけど、彼はもしかしたら違う考えがあるかもしれない。
『本当は、言いたい。中森さんが俺の彼女ですって、世界中に言いたい。この人が、俺の大切な人ですって、言いたい……です』
打ち上げの帰りに彼に言われたことを思い出す。
かあっと顔が熱くなってしまった。
ああダメダメ仕事仕事。
気を抜くと、すぐに思い出すんだから。そうしたら何も手につかなくなる。
手を上げて、伸びをする。背中に血が流れる感じがして、やる気が出る。
次の休憩の時に、彼に連絡しよう。それまでは、思い出さない!
気合いを入れて、パソコンに向かった。
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