ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される
 来る「デート」の日。
 屋敷のエントランスホールには、執事になる前の平凡な大学生であるナギサが立っていた。
 白いオーバー目のTシャツにジーンズという何ともラフ過ぎる格好だが、大学に通っていた頃のボロボロパーカーよりは幾分かマシだった。

(このプランで大丈夫かな。やっぱり佐倉君に聞くべきだったか…)

「な、ナギサ君っ……!  準備終わりましたっ」

 上空――否、大階段の上から、少し浮足立ったルナの声が響いた。
 ハッとして携帯から顔を上げ、階段を見上げた瞬間、ナギサの思考の全フレームが完全に停止した。

「……っ」

 ルナにそっと手を引かれながら、ゆっくりと階段を降りてくるミア。
 ナギサは言葉を失い、ただただその姿に見惚れてしまった。
 爽やかな水色のレースのワンピースに、ベージュのミニ丈カーディガン。ウェーブがかった髪は、柔らかくハーフアップにまとめられている。 
 普段の棘のあるお嬢様らしさは身を潜め、そこにあるのは、何処か歳以上の大人びた雰囲気を纏った、圧倒的なまでに可憐な一人の少女の姿だった。

(かっわ……え、待って、暴力的なまでに可愛い……!)

 思わず声に出そうになって慌てて口を抑える。それでも耳の先まで一気に真っ赤になっていく顔は隠しようもない。
 目の前まで降りてきて、ナギサのその露骨な動揺を正面から浴びたミアも、すぐにカッと顔を赤らめてフイッと不自然に横を向いた。

「な、何よ……その顔」
「いや、その……」

 完全に硬直してバグったロボットのようになっているナギサを見かねて、傍らにいたルナがじりじりとした様子で一歩前に出た。
 普段のオドオドとしたルナからは想像もつかない、無言の凄まじい圧力がナギサに伸し掛かってくる。
 その目は完全に「うちのお嬢様を限界まで可愛く仕上げたんだから、分かってますよね?」と語っていた。

「ナギサ君、何か言うことは?」
「へっ……?」

 女同士であることを良いことに、ルナはミアの背中をポンと押して、さらにナギサの至近距離へと近づける。
 至近距離で漂う甘い香りに、ナギサはのけぞりそうになった。分かりやすく狼狽えてルナを睨むミアを無視して、ルナは「さあ、早く」とばかりに不敵な笑みを浮かべる。

「えっと……その、いつもと雰囲気、違って……めちゃくちゃ、可愛いなって…思い、ます」

 限界まで絞り出したナギサのセリフは、お世辞にもスマートとは言えなかったが、効果は抜群だった。

「っ!」

 それまで俯きかけていたミアが、親に褒められた子供のように勢いよく顔を上げる。
 その瞳はきらきらと輝き、頬を林檎のように染めながらも、隠しきれない満面の笑みがその唇に溢れていた。
 あまりのピュアな破壊力に、ナギサの心臓がドクンと跳ね上がる。
 しかし、それも束の間。ミアはハッと我に返ると、急にツンと胸を張って、わざとらしくそっぽを向いた。

「と、当然でしょ。私が本気を出したんだから!  ほら、早く行くわよっ!  こんなところでニヤニヤ突っ立って、ナオやマアサに見られたら面倒だし……何より、時間がもったいないじゃない」

 そう言って歩き出したミアの足取りは、誰が見ても分かるほど弾んでいる。

「分かってますって。じゃあ、ルナちゃん。行ってくるね」
「いってらっしゃーい」

 ルナに見送られながら、二人は屋敷を後にした。
 門を出て、駅へと続く並木道を歩く。
 普段なら車での移動が当たり前のミアにとって、歩いてバス停に向かうこと自体が新鮮な冒険のようだった。
 少し歩くたびに、ミアの肩がナギサの腕に微かに触れる。

「ねえ、ナギサ」
「はい、お嬢様」
「外では『お嬢様』って呼ぶの禁止。今日はただのミア、でしょ?」

 不意に立ち止まったミアが、じっとナギサの目を見つめてくる。バスを待つ一般の乗客の目が集まる中、ナギサは喉を鳴らし、何とか声を絞り出した。

「……分かったよ、ミア。行こうか」
「うん!」

 嬉しそうに頷くミアの距離は、さっきよりもまた一歩、確実に近くなっていた。
 普通のバスの硬いシートに並んで座り、揺られる時間でさえ、二人の間には甘い特別な空気が流れ続けていた。
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