国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!
 街路樹の葉が赤く色づき、秋の深まりを感じる季節。
 ルミナリア王国の北部に隣接するルイーダ共和国に、ロゼッタの姿はあった。

「安全を期すため、皆様は少し距離をおいていただけますか?」

 周囲の要人や護衛兵たちを下がらせ、ロゼッタはぱらりと魔導書を開く。
 視線の先にあるのは、石造りの古びた井戸だ。かつてはこの地の暮らしを支える生命線であったが、一年前の地震によって水が枯れてからは、ただのオブジェと化していた。

「『地の底で眠れる清流よ、閉ざされし路(みち)を辿って湧き上がれ』! 南西五キロ!」

 呪文を唱えると、井戸の底から獣の唸り声のような低い震動が這い上がってきた。
 そして次の瞬間。
 ヴォォォッ。
 凄まじい轟音と共に、石造りの口から透き通った水柱が天に向かって噴き出した。空に踊る無数の飛沫が太陽の光を反射して、水晶のようにきらきらと降り注ぐ。

「水だ! 水が出たぞ!」

 濡れるのも構わず歓声を上げる人々。その喜びに満ち溢れた光景を前に、ロゼッタは小さく安堵の息を漏らした。

(上手くいってよかったわ)

 今回ロゼッタが使ったのは、閉ざされた水路を繋ぎ直す魔法である。地震によって塞がれた水脈の代わりに、地底に新たな道を作り出したのだ。

「ロゼッタさん、すぐに拭かないと風邪を引いてしまいます!」

 付き添いのミラベルが、髪を濡らしたロゼッタにタオルを大きく広げる。

「魔導書も濡れてしまったのでは……」
「それでしたら、この通り」

 ロゼッタは得意げな様子でページをめくってみせた。まるで見えない膜が張られているかのように、紙面はすべての水を弾き飛ばしていた。

「こちらも魔法を使っているんですか?」
「実は紙を漉く工程で、防水の素材が練り込まれているんです」
「防水? どの素材がそうなのか、私にはさっぱりなのですが……」

 ミラベルが不思議そうに首を傾げる。
 それもそのはず。この手法は魔導書の作成書には載っていない。祖父オーヴァンが独学で編み出した独自の技術なのだ。

『おじいちゃま、そんな勝手なことをして大丈夫なの?』
『ほっほっほ、よいかロゼッタ。こういうのはな、コツさえ掴めばいくらでも改造できるもんじゃよ』

 そう言って笑う祖父オーヴァンは、少し悪い顔をしていた。
 幼い頃の思い出に浸っていると、ルイーダ共和国の若い文官が歩み寄ってきた。

「ブランド―ル様、此度は我が国の民を救っていただき、心より感謝申し上げます。このご恩は生涯忘れません」
「いえ、私は当然のことをしたまでです」

 ロゼッタは背筋を正して、凛とした声で返す。
 近頃は、友好条約を締結した国々へ転移魔法で出向く機会がめっきり増えていた。
 魔導書は戦争の道具ではなく、人を救うための力なのだと広く知ってもらうこと。それこそが、今のロゼッタが掲げる目標だった。

「ロゼッタ様!」

 焦燥を含んだ声に振り返ると、ルミナリア兵が慌ただしく駆け寄ってくるところだった。

「国王陛下より至急の伝令です。今すぐ城へお戻りください」
「何かあったのですか?」
「私も詳しくは存じ上げませんが……ただ、エリアン王国からの来訪者が見えているとのことです」

 エリアン王国。その名を聞いた瞬間、ロゼッタの脳裏にはレオナールの冷ややかな笑顔が浮かんだ。

(今度はいったい、何を企んでいるのかしら)

 とはいえ、来訪者がレオナールだとは考えにくい。
 前回の件で出入りを禁じられたも同然の彼を、あえてロゼッタに引き合わせる理由がない。

(彼でないとすれば……)

 疑問を抱きつつも、ロゼッタはすぐさま転移魔法で王城に帰還した。すると、待機していた文官たちにせき立てられ、息つく暇もなく謁見室に案内される。

「ロゼッタです。ただいま戻りました」
「入りたまえ」

 ノックに応じるように、入室を促す国王の声が返ってくる。ゆっくりと扉を押し開くと、そこには国王とエドガー、そして予想だにしなかった人物の姿があった。

「おじ様!」
「久しいな、ロゼッタ。元気そうで何よりだ」

 祖父の旧友であるブランドール伯は、目を細めてロゼッタに柔らかな笑みを向けた。

「わざわざ呼び戻してすまない。ブランドール伯が、我々に至急伝えたいことがあるとのことなのだ」
「伝えたいこと……?」

 喜んだのも束の間、国王の言葉にロゼッタは微かな胸騒ぎを覚える。
 ブランドール伯は表情から笑みを消し、重々しく口を開いた。

「うむ……実は数日前、レオナール陛下が自ら兵を率い、ルミナリア王国に向けて進軍を開始したとの情報を得た」
「それは誠なのか?」

 国王の声が一段と硬くなる。

「王都にいる馴染みの貴族から火急の便りが届いたのだ。我が領を通過し、この国へ乗り込むつもりらしい。既に国境警備隊には断固として通すなと厳命してあるが、迎撃の備えを固めておくべきだろう」
「先日の件の腹いせ、といったところでしょうか」

 エドガーが冷静に国王へ意見を述べる。すると、国王は呆れ気味に肩を竦めた。

「であろうな。私怨で王自ら陣頭に立つなど前代未聞だが」
「それはそうかもしれませんが……」
「どうした、ロゼッタ?」

 言葉を濁すロゼッタに、国王が怪訝そうに問いかける。

「確かにレオナール陛下は、先日ご覧いただいた通り、幼稚で向こう見ずなところがございます。ですが、あの方は何よりも我が身が可愛いはず。確実な勝算もなしに、自ら前線に躍り出るとは思えません」

 伊達に長い間、婚約者を務めていたわけではない。レオナールの性格は、嫌というほど理解しているつもりだ。

「私もひとつ気になることがあってな」

 ブランドール伯は眉間に深い皺を寄せた。

「便りによれば、一国を相手にするには兵の数が少なすぎるというのだ。おまけに装備も妙に軽装とのこと。あの愚王が何を企んでいるのか、まるで見当がつかん」
「最小限の装備で事足りるという、何らかの確信があるのかもしれませんね」

 エドガーが腕組みをしながら、考えを巡らせる。

(何か強力な兵器でも開発したのかしら。でも、私がいた頃のエリアン王国にそんな技術は……)

 そこまで考えたところで、ロゼッタの背筋を冷たい悪寒が這い上がった。
 
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