【R15版】前世の恋人 ~正ヒロインに内緒でメインヒーローと~

2 理由


 お会計を済ませて階段を下った。駐車場からも眺めがいい。
 風が強くて、乱れた髪を押さえる。

 「キスの練習」に付き合ってもらう訳だから、私が奢るつもりでいたのに。逆に沼田さんが全額払ってくれた。
 階段を下りて来る彼を見上げる。細めた目付きを返される。

「どこでする?」

 彼は笑っていない真面目な顔で、本題に入る。

「えっと……」

 口ごもる。それまで薄ら考えていたけど。しっかり決めていなかった。

 今日は学校も……お休みの日。ここの近くにある公園にも、子供たちがいるだろうし。うちには、お兄ちゃんがいるだろうし。沼田さんのお家に行くにしても……。
 うーん。カラオケとか、どうだろうか。個室だし、知り合いに見られない……?

 私が考えあぐねている間……沼田さんは駐車場の端へ寄り、手すりの向こう側に広がる景色を見渡していた。

「ここからなら、花火がよく見えそうだな」

 言いつつ振り向いた彼は、含みがあるような目をして笑う。

「私もさっき、同じ事考えてました!」

 嬉しくなって伝える。

「そっか」

 沼田さんは、はしゃいでいる私と違い……落ち着いた声音で。ニコッと笑い掛けてくる。

「じゃあ、一緒に見る?」

 提案され、暫く声が出なかった。優しげな目をして、誘ってくる。

「今度、花火がある日に。また、ここへ来よう。二人で」

「二人で!」

 驚愕して。一番……驚いた部分を、大きめの声で復唱してしまった。
 えっ? それって、デートなのではっ?

「何でですか?」

 疑問を投げ掛ける。彼には優先させたいだろう恋人がいる。今回の人生も前回のように、何かが違っているのだろうか。

「何でだと思う?」

 そう言った彼はフッと鼻で笑い……小馬鹿にしたような、ちょっと憎らしく感じる視線を送ってきた。

「……分かりません」

 困惑して呟く。

「仕方ないな。特別に教えてもいいけど、大事な話だから耳貸して。誰にも言うなよ」

 手招きに従い、沼田さんの方へ近付く。耳を寄せている途中で、後頭部を掴まれたように思った。一時、唇が触れた。

 再度向き合う。彼の目を覗く。口付けの後に耳元で小さく伝えられた「好きだよ」の意味を、考えていた。


「えっ……と?」

 戸惑っていた。呟いて目を見開く。何か問いたいのに。言葉が喉の奥に留まって、出てくれない。

 沼田さんがニコッと、双眸を細めてくる。

「不意打ちで篤にするって言ってたキス……こういう感じでどうだ?」

「え?」

 呆然と沼田さんを見返す。

「どうだった? ドキッとしたか?」

 ニヤリと悪戯めいた目をして聞いてくる。

「えっ……あ、はい……」

 気が抜けてしまって、力なく返事をする。

「『好きだよ』って言ったのは、あんたに応えてほしいからだよ」

 尋ねたかった答えが聞こえた。下に向けていた顔を、恐る恐る上げる。瞳が合おうとする直前、沼田さんが顔を横に向けた。露骨に視線を逸らされたように感じる。

「オレといる時は、オレの事を一番に好きでいてほしい。……篤の代わりに、してくれていいから」

「沼田さんって……? 私の事、好きなんですか?」

 彼は質問には答えず、私の手を引いて歩き出した。

「今日は一日、大丈夫だって言ってたよな?」

 前を向いたまま聞いてくる。繋がれた手に戸惑いつつ、返答する。

「は……はい」

「カラオケだったら個室だし、練習を知り合いに見られる事もないと思うんだけど……行く?」

 彼がしてきた提案に絶句する。それって、さっき私も考えてた!


「わっ! マジか……」

 沼田さんが何かに驚いた様子で空を見上げている。私も空を見てみる。頬に雫が付く。

「あっ! 雨……!」

「あー。傘忘れた」

 ぼやいている沼田さんに同調する。

「私も」

 さっきまで晴れていたのに。

「急ごう」

 促されて走る。バス停に辿り着くも、近くに雨宿りできる場所がない。雨脚は次第に強くなってくる。

「美緒。これ着てて」

 沼田さんが着ていたジャンパーを脱いで、私の背に掛けてくれた。

「でも沼田さんが……!」

「オレはいいから。その服、薄そうだし。寒いだろ? あんたに風邪ひかれたらオレ、篤に殺されるから」

 ハハッと笑いながら言ってくれた。

 雨の中、バス停でバスを待つ。貸してもらった上着が、ほんのりと温かい。ベンチもない歩道に並んでいる。車道に向かって立つ沼田さんを、こっそり横目に見ている。

 少し俯いている様子が、何かを考えているように見える。きっと、柚佳さんの事を考えているんだ。私とのキスは、彼女への裏切りだから。心を痛めているのかもしれない。

 私は……二人の事が大好きだった。沼田さんも……柚佳さんも。
 自分が凄く悪者に思えて、切なくなる。

 ――引き返すなら。今しかない。強い予感が、胸を過る。壊したらダメだ。私が邪魔しちゃいけない。だって…………二人に、幸せでいてほしいから。

 雨が降ってくれてよかった。

「沼田さん」

 声を掛ける。今世では……彼とキスする事ができた。十分だよね?

「私、やっぱり……カラオケには行けません。服も、びちょびちょになっちゃってますし。もう家に帰ろうと思ってます。お借りした上着は、洗って返しますね」

 微笑みを作り、言い訳する。涙が零れてしまうけど。雨に紛れて、気付かれはしないだろう。

 これで、この恋は終わる。悲しいけど仕方ない。私は忘れないけど。沼田さんは忘れるんだろうな。
 今日、この日……チャンスを掴まなかった事を……自分の幸せを選ばなかった事を……ずっと先まで後悔するんだって、分かっているのに。私ってバカだなぁ。

 密かに自嘲した。瞳を伏せる。溢れる涙を、瞬きで払った。


「もっと、美緒といたい」

 沼田さんの反応が、思いがけなくて。少しの間、呆然としてしまう。

「何で?」

 問い詰めるように言い放つ。彼を見上げた。

「何で。私が欲しい言葉をくれるんですか?」

 責める口調で聞いてしまう。無意識の内に、彼のシャツを掴んでいた。

「そっか」

 呟く彼は、何故か嬉しそうに表情を緩めている。

「よかった。オレ……嫌われたのかと思って、焦った」

「そんな訳ないですよ!」

 強く否定する。驚いた時にするような様相で見つめられる。

「沼田さんは狡いです! 何で、好きって言ったんですかっ?」

 今までの……前世の記憶を持つ私には、沼田さんは忘れる事もできない……とても眩しくて歯痒い存在で。こんなに、すんなりと手に入る筈がないと疑問を抱く。

「親切にしてくれるのは、どうしてですか? 私を喜ばせる言葉を選んでるのは、何で? ――……私が、あなたを」

 好きだからですか?

 彼の目が細まる。見透かされているような気がする。顔が寄せられ……間近で聞かされる。

「オレがあんたに親切にしたり、好きだって打ち明けるのは。下心があるからだよ」

 いつの間に来たのか……バスが私たちのすぐ側に停車している。

「行こう」

 声を掛けられ、我に返る。歩き出した沼田さんに続いて、バスへ乗り込む。


 車内に、ほかのお客さんはいない。沼田さんと並んで椅子に座る。
 窓の外を見つめていた。

 ずっと考えていた。どうすべきなのか。
 答えの分からないままでも、選ばないといけない時は来る。

 もうすぐ、家の近くにあるバス停へ着く。

「沼田さん」

 彼の方へ体を向け、思い切って口にする。

「今日は濡れちゃったので……カラオケは、また今度にしましょう。私、次のバス停で降りますね」

 努めて明るめの声で伝える。彼の目が少しだけ大きく見開かれた。

「……分かった」

 小さく呟いた沼田さんの表情が、どこか曇っているように見える。

「だから」

 私は話を続ける。

「沼田さんも私と降りて下さい。ここで」

 バスが停車する。彼のシャツの袖を引っ張って下車した。

「強引だな」

 沼田さんの声に振り返る。突拍子のない行動をする私に、呆れているのかもしれない。何か含みのありそうな、凪いだ瞳を向けられていた。

 選択したプランを説明する。

「私の家に行きましょう。恐らく兄がいるので『練習』は、できないと思いますが……。兄には沼田さんとは偶然道で会って、雨でずぶ濡れだったから雨宿りしてもらう為に連れて来たって言います」

「ふーん、そっか」

 沼田さんが自身の口元を手で覆い、目をニヤニヤさせている。

「美緒も、オレといたいって思ったんだな」

「っ、はい……」

 言葉を詰まらせながらも、何とか返事をする。私は今日、沼田さんといる事を選んだけど。気持ちは、まだ揺れている。決められず、取り敢えず選択しただけだ。



 家に到着した。中へ入る。玄関で兄が出迎えてくれた。

「沼田君?」

 兄が目を瞠っている。考えていた言い訳を口にして、様子を窺う。
 顎に指を添え……何事か思考している素振りだった兄が、顔を上げる。

「風邪をひいたら大変だ。二人とも風呂に入って温まって。準備するから待ってて。まずはタオルを持って来るから。拭いて」

 兄に渡されたタオルで……粗方、雫を拭いリビングに移動する。沼田さんに「ソファーに座って下さい」と勧めたけど。断られた。ソファーが濡れるのを気にしているようだった。

「あっ、私……着替えを取って来ますね。兄の服で、すみませんが。沼田さんも、お風呂の後に着替えて下さい」

「や、オレは大丈夫……」

 言った側から、くしゃみをしている沼田さんに……強めの口調を使う。

「遠慮はしないで下さい! ぜひ温まって下さい! その方が沼田さんの滞在時間も長くなって、お兄ちゃんも喜びます」

 ドアが開いて、兄が顔を出した。

「美緒。ちょっといいかな?」

 呼ばれて、お風呂とキッチンの間にある洗面所へ赴く。兄がひそひそ話をしてくる。

「美緒……これはチャンスだ。頑張れ」

「えっ?」

 兄は優しい笑みを残して、洗面所を出て行く。話し声が聞こえる。

「あー。せっかく沼田君が、うちへ来てくれたのに。とても残念だ。俺、今日は映画を見に行くって決めてて。もう行かないと、上映時間に間に合わないんだ。妹の事を頼むよ。沼田君」

 洗面所から出ると、兄が沼田さんの肩を叩いているところだった。

「いや……外、雨酷いけど。今日行かないとダメなのか?」

 沼田さんが、訝しげな顔で兄を見ている。兄は穏やかに笑って答えた。

「ああ。今日どうしても見たくなってね。じゃあね」

 兄は、本当に外出してしまった。残された私と沼田さんは、顔を見合わせる。

「映画って言ってたな。行き帰りの時間も合わせたら三、四時間は戻って来ないんじゃないか?」

「そ、そうですね……」

 相槌を打って目を逸らす。心臓が、ドキドキと音を立てる。きっと兄は、私の恋が進展するように気を利かせてくれたんだ。

「じゃあ、その間に。たくさん『練習』できるな?」

 ニコッと……笑顔を向けてくる。同意を求められて、拒む選択さえ思い浮かばない。


 私は頷き、了承するのだった。
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