黒瀬部長は部下を溺愛したい
CASE:40 何かあったな

週明けの営業部は朝から慌ただしかった。
大型商業施設との新規契約案件。
営業部にとって今期最大級のプロジェクトだと聞いていた莉央は、自分にはまだ関係のない話だと思っていた。
「今回の案件担当は白石に任せる」
会議室に響いた部長の声に、一瞬思考が止まった。
「……え?」
思わず小さな声が漏れる。
周囲もざわついていた。
無理もない。
営業部に配属されてまだ1年も経っていない新人に近い社員なのだから。
「部長、本気ですか?」
先輩社員の一人が思わず尋ねる。
「本気だ」
慧は迷いなく答えた。
「サポートはつける。ただし担当は白石だ」
そのまま会議は進んでいったけれど、莉央の頭にはほとんど入ってこなかった。
会議終了後。
資料を抱えたまま慧のデスクへ向かう。
「部長」
「なんだ?」
「本当に私が担当なんですか?」
慧はパソコンから視線を上げた。
「さっきも言っただろ」
「でも……」
不安だった。
初挑戦するにはあまりにも大きな案件。
これでもし失敗なんてしたら……。
迷惑をかけたら……。
そんな考えばかり浮かんでしまう。
「私にはまだ早いと思います」
正直な気持ちだった。
すると慧は小さく息を吐いた。
「白石」
「はい」
「お前は自分を過小評価しすぎだ」
真っ直ぐな言葉に思わず顔を上げる。
「資料作成も顧客対応も丁寧だ。相手の話を聞く力もある」
「それは……」
「俺はできない仕事を任せたりしない」
静かな声……。
でもその言葉には揺るぎない確信がある。
「白石ならできる」
その一言が胸に残った。
「わかりました。やらせてください」
やりきってやる。
そう決心した。
けれど現実は甘くなかった。
案件の準備が始まると、予想以上にやることが多い。
資料作成に市場調査。
合間を縫ってプレゼン準備。
昼休憩を削って取引先との打ち合わせ。
毎日があっという間だった。
自分なりに仕事に向き合い努力していた。
それなのに……。
「いいよなぁ、白石は」
コピー機の前で声が聞こえた。
「部長のお気に入りだから大きな案件任せてもらえて」
振り返ると、先輩社員が苦笑していた。
冗談めいた口調だったけれど。
胸がちくりと痛んだ。
聞こえないふりをしてその場を離れた。
その後の業務はずっと気持ちが沈んでいた。
自分は本当に実力で選ばれたのだろうか。
……恋人だから。
そんなふうに思われているんじゃないか。
考え始めると止まらない。
するとスマホが震えた。
『残業終わったら会議室に来い』
慧からだった。
残業後、誰もいなくなった会議室。
入ると慧が資料を読んでいた。
「お疲れ様です」
「座って」
向かいの席に座る。
ピリついた空気に少し緊張する。
「何かあったな」
「え?」
「顔に書いてある」
見抜かれている。
いつもそうだ。
慧には隠せない。
「……私、本当にこの案件やれるんでしょうか」
ぽつりと本音が漏れた。
「できる」
「でも……」
「白石」
低い声に顔を上げると慧は少しだけ笑った。
「周りが何を言おうと関係ない」
その目は真っ直ぐだった。
「結果で黙らせるしかない」
営業部長らしい言葉。
「その代わり……」
少しだけ声が柔らかくなる。
「困ったら一人で抱えるな」
「……」
「俺もいる」
その言葉だけで、不思議と勇気が湧いてくる。
まだ不安はある。
怖い気持ちもある。
けれど、やってみたいと思った。
この人が信じてくれているなら。
少しだけ、自分も自分を信じてみようと。
そんなふうに思えたのだった。
To be continued
