消せない痕 ~甘く危うく、既婚者上司と崩れる理性~
指先に力がこもる。

膝の上のバッグをぎゅっと握りしめ、
そのまま彼の方へ身体を向け、
静かに頭を下げた。

「お疲れのところ、
本当にありがとうございました」

顔を上げると、
ハンドルに手をかけたまま、
こちらを見つめていた彼と視線が絡む。

彼のまなざしが、揺れた。

その表情は、言葉を探しながら、
喉の奥でそっと飲み込んだようにも見える。

やがて観念したように小さく息を吐き、
背もたれに身を沈めた。

指先で腕時計のバックルを弄びながら、
かすれた低い声をこぼす。

「……ああいう男が……好みか?」

意味を掴めず、
思わず彼の横顔を追ってしまう。

「……えっ」

声になっているのかも分からないほど、
小さな音が、喉からこぼれた。

「天真爛漫で、優しい……」

彼は視線をそらしたまま、
喉仏をひとつ、上下させる。

「……例えば……森下みたいな、ああいう……」

予想外の言葉に、息を呑んだ。

「確かに……彼には、
俺にはないものがあるな……」

彼の表情が、わずかに崩れた。

「……黒崎部長?」

腕時計に触れていた指先が、止まる。

沈黙が落ち、
車内には、雨音だけが残る。

ゆっくりと視線を上げた彼の顔は――

もう、上司のものではない。

揺れを隠しきれない、
ただのひとりの男だった。

「……言いたくないなら、答えなくていい」

わずかに掠れた声が、続く。

「……森下と、付き合ってるのか」
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