ココロホームへようこそ
そのまま、ぐいぐいと力強い手で引っ張られて、私達はパラソルのあるテントの方へと戻っていく。
「ちょ、ちょっと速いって……!」
「戻るぞ!水分補給も大事だからな!」
清次郎くんは決して後ろを振り返らずに、前だけ向いてそう言った。
さっきまでのことなんて、まるでなかったみたいに。
(……)
その背中を見ながら、私はほんの少しだけ息を吐く。
―――助けられた。
そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
テントのすぐ近くまで戻ってくると、パラソルの日陰にいた心乃ちゃんがこっちに気づいて、ひらひらと手を振った。
「おーい、どこ行ってたん?」
「ちょっとな!」
ざっくりした返事に、心乃ちゃんは「ふーん」とだけ言って、それ以上は何も深掘りして聞かなかった。彼女なりの、気遣いなのだと思う。
カイジくんは私の少し乱れた前髪や、涙と砂で汚れた顔を見て、胸を痛めるように少し眉をひそめた。けれど、次の瞬間には全てを優しく包み込むような、安心したいつもの笑みを浮かべ、クーラーボックスから結露でキンキンに冷えた新しい麦茶のペットボトルを差し出してくれた。
「理世ちゃん、お茶いりますか?」
「……うん、ありがと」
受け取って一口飲むと、冷たいお茶が喉を通っていく。
さっきまでカラカラだったのが嘘みたいに、少しずつ落ち着いていく。
ふとテントの奥に視線をやると、そこには海水で少し濡れてしまったために、洗濯バサミで物干しロープに吊るされているぺちゃんこのクマ吉と、ゲージの止まり木の上で大人しく見守られているニュートンの姿があった。
その光景がなんだかおかしくて、思わず小さく笑ってしまった。
「何笑ってんの?」
「クマ吉……無事かなって」
「あー、大丈夫大丈夫。干してるだけだから」
心乃ちゃんは軽く手を振る。
その言葉に、さっきのぺちゃんこの姿を思い出して、また少し笑いがこみ上げる。
「え、本当にどした?」
「さぁ……」
「あ、そうだ」
パンっと、何かを突発的に思い出したかのように勢いよく手を叩いた心乃ちゃんは、いきなり自分のリュックからお財布を取り出した。
「かき氷食べたい」
「お小遣いなくなっても知りませんよ?」
お小遣いとは、家族からの仕送りみたいな感じだ。面会の時に一気に渡される場合もあれば、職員さんに預けた分を分割して毎日渡されるというのもある。
「よし行こ、氷がウチを呼んでる」
「氷に呼ばれることあるのか……?」
「清次郎くん、そうじゃないです。違います」
「まぁ細かいことは気にしない!」
心乃ちゃんはそう言って、くるっと踵を返す。もう頭の中は完全にかき氷でいっぱいらしい。
職員さんにもついてきてもらって、私達は砂浜の端にある賑やかな海の家へとやってきた。
​海の家の中は、外から見た以上にたくさんの観光客で活気にあふれていた。
濡れた足に触れる木の床は太陽の熱でほんのり温かくて、イカ焼きやフライドポテトの香ばしい揚げ物の匂いと、甘いシロップの香りが流れてくる。
「うわ、人多っ」
それまでノリノリだった心乃ちゃんが、店内の混雑を見るなり小さく眉をひそめて顔をしかめた。
人が多いの、苦手なんだって。
人が多いだけで、空気が重くなる感じ。視線が増えた気がして、息が浅くなる感じ。その気持ちはよく分かる。
「すみませーん!かき氷六つください!」
カイジくんがカウンターに向かって元気よく声を張って注文してくれた。
​「みんな、味はどうするんだ?」
「私は、ブルーハワイ!」
「いちご」
「僕は……宇治金時を。職員さん達は何にしますか?」
「私はレモンにしようかなぁ」
「メロン貰っていい?」
シャリシャリと氷を削る心地よい音のあと、色とりどりのシロップがかかったかき氷を受け取る。
職員さんも含めて六人で、海の家の端っこにある少し離れたテラス席へと移動すると、周囲のガヤガヤとしたざわめきが驚くほど遠くなった。
心乃ちゃんは肩の力を少し抜いて、椅子に腰を下ろした。
カイジくんはそんな様子を見て、何も言わずに席を選んで座る。
清次郎くんは「よし、ここを拠点とする!」とか言っているし、隣では、心乃ちゃんがクマ吉にスプーンを近づけている。
「はい、クマ吉も一口食べ。冷たいで」
「やめて!溶けちゃうよ!?」
「大丈夫、ホームに帰ったら洗濯するから」
そう言って、心乃ちゃんはお財布の中から一枚のプラスチックカードを取り出して見せた。
私たちが暮らすホームの洗濯機や乾燥機は、専用カードでも現金でも両方使える最新式だから本当に便利なのだ。

海からの帰り道は、行きよりもずっと静かだった。
電車に揺られながら、誰からともなく口数が減っていく。
はしゃぎ疲れたのか、それとも楽しかった時間が終わるのが少し寂しいのか。
私は窓に頭を預けて、ぼんやりと外を眺めていた。
オレンジ色に染まった空と、遠くに見える街並み。 さっきまでいた海が、もう別の世界みたいに感じる。
(……楽しかったな)
それだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。
​いつの間に深く眠ってしまっていたのだろう。私は、トントンと優しく肩を叩く職員さんの声によって、ゆっくりと目を覚ました。
「……あ、おはよーございます」
ぼんやりとした頭で体を起こすと、窓の外には見慣れた駅のホームが見えていた。
気づけば、周りのみんなも眠そうな目をこすりながら、自分の荷物をまとめる支度を始めている。
「ほら、降りるぞ」
清次郎くんが荷物を持ちながら声をかける。
「ん……」
まだ足元がおぼつかないまま、なんとか座席から立ち上がる。
「早く帰ってお風呂入りたいです……」
カイジくんが白衣の袖を引っ張りながら、今にも床に崩れ落ちそうなほど疲弊していた。
「あかん、ここで横になったら終わる」
心乃ちゃんにいたっては、荷物を抱えたまま白目を剥きかけてゾンビのようにふらついている。
「頑張れ!風呂に入れば寝れるぞ!」
「明日のOTはお菓子作りだよねー」
「ダメだ!心乃ちゃんが半分寝てる!」
職員さんが肩を軽く揺すると、心乃ちゃんは「んぁ……」と気の抜けた声を出した。
「あー……起床」
「うん、おはよう」
(さすが、職員さん。手慣れてる……)
「心乃くん、完全に寝落ちしかけてたな」
清次郎くんが呆れたようにフッと笑うと、心乃ちゃんはぼんやりとした表情のまま、片手を力なく上げた。
「はよ寝よ……」
「もうすぐホームですから。ほら、荷物は職員さんが持ってくれていますから」
「クマ吉とクマ次郎はしっかり持ってるぞ!」
「あとは歩くだけだよ!」
​その後、私達はなんとか歩行中に気絶しかけている心乃ちゃんを左右から支えながら、ホームまで歩かせることに無事成功した。
​ホームに帰り着いたあとは、みんなでパパッと順番にお風呂に入り、髪を乾かすのもそこそこに、その日は全員が自分のベッドに吸い込まれるようにして爆睡したのだった。
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