先にあなたが捨てたのです。さようなら、陰の王家と呼ばれた一族は隣国にお引越しします

プロローグ

 皇宮の庭園で花を眺めていると、聞き慣れた声が響いた。
「ルルシャ、君はまだ私のことが好きだろう。機嫌を直して戻っておいで」
 驚いて顔を上げた私の目に、自信満々に手を差し出してきた男性の姿が映る。
 エグバード・ゼイロット。
 ゼイロット王国の王太子で、見目麗しい優男。
 私が十五年間の献身を捧げた相手で、そんな私を『真実の愛を見つけた』という一言であっさり捨てた元婚約者。
 それから……大勢の前で私を笑いものにしたくせに、国が衰退しかけた途端、慌てて私のもとに駆け付け、再び利用しようとする恥知らずでもあるようだ。
「思い出せば出すほど、私があなたのもとに戻る理由が見つからないわ」
 小声で呟いた後、私はエグバード様に向かって艶やかに微(ほほ)笑(え)んだ。
 絶世の美女と称される私が浮かべる微笑みは、私のことをこっぴどく振った元婚約者にも効いたようで、エグバード様は頬を赤らめると嬉しそうな声を出す。
「ルルシャ、私は君を許すよ!」
「私はあなたを許さないわ!」
 私は笑みを浮かべたまま、伸ばされた彼の手をぱしりと払った。
 まさかそんな仕打ちを受けるとは思っていなかったようで、衝撃を受けるエグバード様に私はきっぱり告げる。
「先にあなたが私を捨てたのです!」
 だから、惜しくなって拾いにきても、もはや手遅れよ。
 二度とあなたのもとに戻らないわと、決意した表情で元婚約者を見つめる私の腰に、逞(たくま)しい腕が巻き付いた。
 はっとする私の背中に、硬くて温かい体がぴたりとくっつく。
「ルル、どうして僕を置いていったの。目覚めた時、寂しかったよ」
 私より大きな体に後ろから抱きしめられたため、彼が着けている香水の香りがふわりと漂ってきて心臓が跳ねる。
 ああ、よりにもよってエグバード様の前で、何て悪(いた)戯(ずら)を仕掛けてくるのかしら。
 振り返らなくても、私を抱きしめている相手が誰だか分かる。
 甘えたような声を出し、私のうなじに鼻先をすりつけてくる男性なんて、私は一人しか知らないもの。
「こ、公爵閣下! 一体何をされて……」
 私の焦った声は、甘さを含んだ声に遮(さえぎ)られた。
「昨夜はそんな風に他人行儀な呼び方はしなかったよ」
 まるで親密な関係にあるかのような仄(ほの)めかしを聞いて、私の顔が真っ赤になる。
「お、お願いですから、止(や)めてください!」
「ふふっ、そうだね。僕の大切な奥さんをあまり困らせてはいけないね」
 私を抱きしめていた男性はそう言うと、私を解放してくれたので、慌てて彼から距離を取る。
 すると、それまで呆けていたエグバード様はやっと自分を取り戻したようで、苛立たし気に質問してきた。
「ルルシャ、こいつは何者だ!」
「うん、君こそ誰だい?」
 とぼけたように首を傾げる男性の上に陽が射し、こんな場面だというのに見(み)惚(と)れるほど美しいわねと、場違いな感想を抱く。
 そんな彼は、酷薄な表情でエグバード様を見つめていたため、間違いなくエグバード様が何者か知っているのだろう。
 しかし、それも当然だ。主要国の王族くらい全て把握していなければ、今いる立場を務められるはずがないのだ……けれど。
「ルル、僕という者がありながら、君は他の男性にも名前を呼ばせているの? 僕と彼、君が好きなのはどっち?」
 彼が私の顔を覗き込み、咎(とが)めるように尋ねてきたので、どうやらいつもと違って、優れた外交手腕を発揮するつもりはないようだ。
 むしろ隣国の王太子相手に、トラブルを起こす気満々みたいだわ!
 進退窮まった私は、迫りくる男性二人に挟まれながら、顔を引きつらせたのだった。
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