男装歌い手は孤独な不良御曹司と甘々で危険な恋をする

炎上

ピピッ、ピピッ。
いつものアラームの音で目が覚めた。
昨日は帰ってきたのが夜遅かったし、少し体がだるいや。
スマホで日課の「おはようポスト」をするためにSNSを開く。
と、その前にメッセージが来ていることに気がついた。
プライベートのSNSメールに通知がある。
僕は不思議に思いながらも、そのメッセージを確認した。
そのメッセージの一文を、僕は凝視(ぎょうし)した。

『11月7日土曜日、武道館をノヴァ様の貸切に致します。』

僕は数分間固まっていた。
約1ヶ月前、武道館ライブのために僕が勝手に動いた結果がこれだった。
本当に通ると思わなかった。
つまり、僕たちノヴァは——。

「武道館ライブ決定…?」

自分の口から出した言葉は、まだ信じ(がた)いことだった。
ずっと待ち望んでいた武道館ライブだ。
僕はそれをいち早く知らせるために、ひとりひとりに電話をかけていった。

「すごくいいことがあったから、緊急で集まりたい」

とだけ言って、いつものスタジオに集まってもらうことにした。
そしてみんなが集合して、僕は単刀直入に言った。

「武道館ライブが決定したんだ」

その言葉に、メンバーみんなが固まり言葉を発しなくなった。
それほど驚いているのだろう。
僕だって同じだ。
まだ信じることができていないくらいなんだから。
最初に沈黙を破ったのは、灯真だった。

「う、嘘じゃ…ないよな?」

「嘘なんてつかないよ」

僕が真剣にそう言うと、突然灯真が泣き出した。

「マジか!ついに俺ら、武道館に立てるんだな!!」

その涙は嬉しさからくるものだった。
そのくらい、待ち望んでいたことなんだ。
そんな灯真に一輝が言う。

「泣くのはまだ早いよ〜?まだ始まってすらないんだもん」

そう言った一輝はいつも通りの調子に見えたが、口角が緩んでいるので嬉しさを隠しきれていない。
普段なかなか笑わない莉都も嬉しそうに笑っている。

「一輝の言う通りだな。ここからだ」

漣の言葉に、みんなが頷いた。
僕たちの夢はここから始まる。

***

武道館ライブ決定から1週間。
今から1週間後の公式配信でようやくリスナーに重大告知ができる。
その間僕たちはセトリ決めやダンス練習、ボイトレなどで忙しい日々を送っていた。
だけど、全く苦痛じゃない。
今日だって起きたけれど、楽し過ぎて眠気なんて一瞬で飛ぶ。
そして、今日も6人での練習。
いつも使っているスタジオに着いて、僕はドアを勢いをつけて開けた。

「おはよう、みんな!」

いつも通り挨拶をした。
けれど、誰1人として返してくれない。
みんな難しそうに表情を歪め、僕を見るだけ。
そんな異様な雰囲気を感じて、僕はみんなに聞いた。

「ど、どうしたの?」

僕の小さな声に紫音が反応した。

「お前、SNS見てないのかよ」

僕は一瞬首を傾げ、首を横に振った。
すると、一輝が素早くスマホである投稿を僕に見せた。
僕の表情は一瞬で固まった。

『ノヴァのリスナーはスイくんに騙されてます。
スイくんを特定しました。
私、スイくんと同じ中学でした。
本人様はお顔を隠しているので、お写真はモザイク失礼します。
スイくんの本名は櫻川楓乃、性別は女です。
あと、少し前に街中でスイくんとレンくんを見たんですよね。
ふたりは実は付き合ってるのかもしれません。』

そうしてのせられていた写真は、卒業アルバムに載っているものだった。
自分の顔はモザイクでわからないが、名前の部分はくっきり写っている。
あとは、漣と仲直りしたあの日の写真。
モザイクのかかっている僕と漣が、恋人繋ぎをしていたのだ。

「嘘だよな?」

少し震えた声で聞いてくる灯真。
だけど、僕はすぐに首を触れなかった。
だって全て事実だったから。
なら、なら……この際全てを話してしまおう。
そう思った私は、息を吐き出して言った。

「それは全部本当のこと。僕は女だし、本名は櫻川楓乃。ね?漣」

そう言って笑った僕に、漣はピクッと反応した。
それから悲しそうに表情を歪めた。

「そう…だ。俺は知ってたよ、楓乃が女だってこと」

「ははっ、ほんとごめんね。騙して」

その言葉に最初に突っかかってきたのは、莉都だった。
普段からは想像もつかないほど声を荒げて言った。

「ふざけんなよ!そんなんで納得できるか!なに謝ってんだよ。スイがなんか悪いことしたのかよ!」

「え…?」

「そ、そうだよ!たしかに驚いたけど、スイはスイだし」

一輝もそう言ってくれた。
どうして、そんなふうに言ってくれるんだろう。
僕はずっと騙していたのに。

「でも、でも…僕は……」

みんながそう言ってくれて嬉しい。
——のに、現実はそうじゃない。
ファンには騙されたって言われる。
だから、僕がいくらここにいたいと望んでも……。
僕は部屋を出た。

「す、スイ!」

僕を呼ぶ声も無視して走った。
どこを走ってるんだかわかんない。
でも、足を止めることができなくて。
ひたすらに走り続けて、ふと足を止められた。
いつのまにか駅の近くに来ていた。
その時、スマホが震えていることに気がついた。
見てみると漣からの着信。
僕は思わず通話をタップした。

「楓乃、どこいるの?」

いつもと同じ落ち着いた声に、なぜだかとても安心した。

「今日はうちに泊まる?」

そう聞かれて、僕は思わず「うん」と答えた。

***

「ほら、これ楓乃が好きなココア」

「うん。ありがとう」

僕は漣の家にくるなりソファに座らせてもらい、ココアを受け取った。
僕が猫舌なのを知っているから、ぬるめに作ってくれている。
漣は僕の横に座り、優しい声色で言った。

「楓乃、あんま落ち込まなくていいよ。楓乃は最初から性別公開してないし、騙してなんかない。だから、気にする必要なんてないから」

そう言ってなでてくれた手が暖かくて、気が抜けた。
それで、今なら言えると思った。
僕の全部。

「あの…さ。僕のこともっと知ってほしい。話しても…いいかな?」

そう言うと、漣は驚いたように目を見開いた。
僕がこんなこと言うなんて、思ってもいなかったんだろう。
だけど漣はすぐに表情を戻し、優しく微笑んで言った。

「うん。いいよ。聞きたい」

その言葉にホッとした反面、不安にもなった。
僕のことなんか受け入れてくれないんじゃないかって。
でも、言うって決めたんだ。
僕は小さく息を吐いて、小さな声で言った。

「僕が倒れて、漣が看病してくれた日があったでしょ?僕が…女だってバレた日」

「うん、あったね」

「その数日前…僕は実家に行ってたんだ。父さんと母さんと話した。僕が歌い手をやってることも話した。でもさ、受け入れられなかったよ」

僕は忘れるのが得意だから、そんなこと忘れようとした。
だから今まで思い出さずに済んだのに、一度話してしまったら苦しくて涙が流れた。
みっともなく泣く僕を、漣は抱きしめた。
僕は言葉を続けた。

「っ…、僕はもともと獣医師になるって言ってっ…家を出てったんだ。その時に僕は間違えちゃったのかなぁ…」

優しくなでてくれる漣の手が暖かい。
僕の涙で、漣の服が汚れていく。
でも、そんなことは気にせず漣は口を開いた。

「俺も歌がどうしようもなく好きでさ、家を飛び出してきたんだ。夏神家の跡取りは俺しかいないし、親父には何度も連れ戻された。世間から見たら、俺の判断は良くないように見えるかもしれない。だけど、俺はこの選択を後悔しない」

漣は僕をまっすぐに見た。
その瞳は僕には少し眩しかった。
僕にはない強さを持っている漣が、羨ましく見えた。

「楓乃に会えたことが、なによりの幸せだよ。だから、そんなふうに言わないで。楓乃を責めることなんて、誰にもできない。それに、楓乃は俺を救ったんだよ」

「え…?僕が、漣を救った…?」

信じられないといった顔で、僕は漣を見つめた。
僕は別になにもしてないのに。
すると、漣はふっと笑って言った。

「そうだよ。俺が楓乃に親父との関係を話した時、自分がなんて言ったか覚えてる?」

そんなのいちいち覚えてない。
僕はすぐに首を横に振った。

「楓乃はね、『親に反対されてでもやるってことは、そのくらい歌が好きってことでしょ。だったら、その好きを否定する必要なんてない。漣の人生は漣だけのものでしょ』って言ったんだ」

「あ…」

思い出した。
たしかに僕は、そんなことを漣に言った。
でもそれは、僕に対して言ったようなものだ。
僕がそう言われたらどんなに嬉しいだろうと、そう考えながら言った言葉。

「楓乃はそのことを覚えてなかったってことは、楓乃にとっては当たり前みたいに出てきた言葉ってことでしょ。そんなふうに言える楓乃に、俺は救われた。楓乃も、好きなものを好きって言っていいよ。やりたいことを自由にやっていいんだ。誰に否定されても、俺が絶対楓乃の隣にいる」

その言葉がたまらなく嬉しかった。
嬉しくて、涙がさらに溢れた。
そうだよ。
僕がずっと欲しかったのはこの言葉だ。
僕の孤独は漣に救われた。

「ありがとうっ…ありがとうっ…!!」

何度でも言う、本当にありがとう。
漣は僕の、ヒーローかもしれない。

***

泣き止んで我に帰った僕は途端に恥ずかしくなって、漣と少し距離をとった。

「ん、もう大丈夫。ごめん、変なとこ見せて」

漣と視線を合わせられなくて、僕は下を向きながらそう言った。
すると、漣はパッと僕の手を離して言った。

「ううん。大丈夫」

今の僕、漣をすごく意識してる気がする。
でも漣はそんな僕には気がつかず、いつもの優しい声で言った。

「もう一度言うけど、楓乃は楓乃なんだから好きに生きてほしい。ファンがどう言おうが、そんなの気にしなくていいよ。大丈夫。なにがあっても俺が味方でいるから」

「っ…うん、ありがとう」

漣なら全部をさらけ出せる。
やっぱり僕、蓮がどうしようもなく好きだ。
僕は漣をまっすぐに見つめた。

「僕は、小学生の頃から“普通”じゃなくてさ。男の子になりたくて、女の子として見られるのが嫌だったんだ。ずっと隠してきたんだけどさ、中学の時にクラスメイトに言い当てられちゃって。それで居場所がなくなった。気持ち悪いっていじめられるようになったよ」

僕は無理をしてヘラッと笑った。
漣はすぐに気がついた。
すごく悲しそうに僕を見るから、僕まで苦しくなる。

「高校…さ、漣にいろいろ頼んだじゃん?漣が理事長にいろいろ頼んでくれたから、僕はこうやって自由に生活できてる。高校でも僕は“変な奴”って思われて…それで…」

いじめられてる、とは言えなかった。
そんなことを言ったら、漣はきっとすっ飛んで行ってあいつらをきっと殴りに行く。
漣はそんな奴だ。
だから僕は、あえて言わなかった。

「…居心地悪くて。僕はやっぱり、誰にも認められないんだって思ったよ。ファンを騙してるってのもわかってたし、父さんにもそんなことを言われた。僕はひどい奴だ。最低だ」

「そんなわけ…」

僕はまっすぐに漣を見つめ、彼の言葉を遮った。

「うん。でも、そんなこと言ってたってなにも解決しない。僕は向き合わなきゃいけないんだ、きっと。僕は自分に嘘をつかず、性別にも囚われずに生きていくって決めた。なら、そこで当たる壁は乗り越えていかなくちゃ」

僕の言葉に、漣は無言になった。
そして、やがて口を開いた。

「楓乃は強いね。俺は…そんなふうになれない。自分と向き合うなんて、そんなことできない」

漣は悲しそうに微笑んだ。
だから、僕は漣の手をキュッと握った。
僕が少しでも漣に寄り添えればいいと思って。

「僕はね、好きな歌い手がいるんだ。ブラヴールってグループ知ってる?」

「知ってる…けど。1番人気のメンバーが抜けて人気が落ちたけど、また注目を集めてるグループでしょ」

「うん。そうだよ。僕はその抜けたメンバー、あさひくんのファンなんだ」

「え…?」

予想外の言葉だったのだろう。
漣が少し間抜けな声を出したので、僕はクスリと笑った。
そして僕は天井を見つめ、言葉を続けた。

「あさひくんの声が、曲が、性格が…全部好きだった。そんなあさひくんの卒業を聞いて、すごく悲しかったのは覚えてる。まだ、ブラヴールの夢も叶えてないのにって」

僕も少しだけわかる気がする、僕のファンの気持ちが。
『この5人で絶対夢を叶えよう!』と言ったのはあさひくんだったから。
ブラヴールの夢も武道館ライブだった。
あと少しで叶うだろうって言われてたところで、あさひくんの脱退の決定。
多くのファンには受け入れられなくて、人が離れていってしまった。
嘘をつかれたんだって言う人がたくさんいた。
今まさに、僕らもそんな状態なのかもしれない。

「あさひくんはさ、僕と同じXジェンダーなんだ。だから、隠さず堂々とできる僕はあさひくんに惹かれた。僕もこんなふうになりたいって思って、同じように背中を追って…歌い手になった」

あさひくんは世間から認めてもらえるような存在じゃなかった。
Xジェンダーだから。
僕たちの可能性は、それだけで狭まれる。
だから隠して生活をする。
それを隠さないで生活するってことは、勇気がいることでたくさんの非難の目を向けられる覚悟を持たなきゃいけない。
僕にはそんな勇気も覚悟も強く持てない。

「僕はこの世界で生きていくために、勇気と覚悟を背負わなきゃいけない。あさひくんは世間から認められなかったけど、僕が絶対に認識を変えて見せる。それが今の僕の壊すべき壁なんだ」

わかっていた。
きっといつか、僕が女だってことがバレるって。
それでもここまでやってきたんだ。

「うん。頑張れ」

漣はそう言って微笑んだ。
僕にはそれだけでよかった。

***

次の日、僕はみんなをいつものスタジオに集めた。
時間ぴったりに部屋に入ると、いつも通りみんなが僕を迎えてくれた。

「スイ…」

僕に駆け寄ってきた灯真を、漣が止めて首を横に振る。
僕はすぐに話を切り出した。

「みんな、昨日はなにも話さず逃げちゃってごめん。今から話させてほしい。僕は……僕は櫻川楓乃、性別はこんなだけど女なんだ。僕は昔から一人称もこうで、プロフィールにも記載してる通り、Xジェンダーで女男っていう心のせいを持たないんだ。僕がみんなの前で男って誤解される行動をしてた理由は、たったひとつ。…その勇気がなかったんだ。中学時代みたいに気持ち悪いっていじめられることを想像した。ごめん…ごめんね、みんなを信じられなくて」

その瞬間、パシッ!と乾いた音が部屋に響いた。
少しだけチリチリとした痛みを頬に感じ、一輝に叩かれたのだと気がついた。

「バカッ!!なんで…なんで信じてくれなかったんだよ!スイのこと、疑うわけないだろ…!?女だって男だって、スイはスイでなにも変わんないじゃん…」

その言葉が、嬉しくてたまらなかった。
予想もしなかった言葉に、僕はポロポロと涙をこぼした。
それを叩かれたからだと考えたのか、一輝が慌てて言った。

「ご、ごめっ…僕…」

僕は一輝をギュッと抱きしめた。

「ありがとう。僕、今幸せ。こんなに素敵な親友がいて、本当に幸せ。ありがとう」

僕のその言葉に、他のメンバーも僕に言葉をかけてくれた。
暖かい言葉を。

「ひとりで悩むな、抱え込むな。俺らがいるってこと、忘れんな」

「そ、そうだよ!いつだってスイの力になりたいんだから!」

紫音と莉都の言葉にまた嬉しくなった。
そして一輝と離れた直後、灯真が僕に勢いよく抱きついてきた。
いつのまにか泣いている灯真の背中を、僕は優しくなでた。

「スイぃ……俺、気がついてやれなくてごめん…。俺っ…うう…」

「灯真、泣き止んで」

こんなに泣く灯真は珍しくて、思わずクスッと笑ってしまった。
すると、莉都が灯真の代わりに言った。

「灯真は不安だったんだよ。また失うかもしれないって。気づいてやれなかった、自分のせいで…って。ずっと言ってたから」

灯真は両親と兄を事故で亡くしてる。
それからは妹の幸来(さら)ちゃんとふたりで過ごしてたんだ。
幸来ちゃんはいつも笑顔だったけど、裏では家族を失った悲しみに耐えられなくなってた。
そのせいで幸来ちゃんはどこかに行ってしまった。
遠い街に行っていたことが判明して見つかったけど、そこで車にはねられて病院に運ばれた。
その後意識が戻らず、今も寝たきりで病院に入院している。
俺が飛び出して行ったことで、幸来ちゃんの事件を思い出したのかもしれない。
そう思ったら、灯真にはすごく悪いことをしたな。

「ごめん、灯真。今度はもう、勝手に消えたりしないから。だから、泣き止んで」

そう言うと、灯真は必死に涙を抑えた。
それから、僕を真っ直ぐに見て言った。

「俺、マジで不安だった。なんも気がついてやれなかった。また失うんじゃないかって…。でも、よかった」

ヘラッと笑った灯真に、僕は心を痛めた。
判断を誤りそうになる。
僕が今から言うことには、きっとみんな反対するんだろうな。
僕は揺らいだ気持ちを正して、灯真から一歩離れて言った。

「みんな。今回の武道館ライブは、予定通りにやろう。1週間後の公式配信で、ファンのみんなにも告げよう」

僕の言葉に、紫音が怪訝(けげん)な表情をうかべた。

「スイ、本気で言ってんのか?ファンは容赦(ようしゃ)なくお前に罵声を浴びせるだろ。こんな炎上中に、やるようなこととは思えない」

「だからこそだよ」

僕はもう、決めてる。
これ以上みんなに迷惑はかけたくないから。
だから——。

「これで終わりにしようと思う。僕は、ノヴァを脱退する。すでに漣と恋人関係を疑われてるんだ。だったら、他のメンバーもそういうふうに見られるかもしれない。それは嫌なんだ。みんなの夢も、邪魔したくない。だから僕はノヴァを脱退して、ひとりで活動していこうと思ってる」

「楓乃、俺は……」

漣が僕に伸ばした手を、ギュッと握った。

「漣ごめん、勝手な判断で。でも、これがいいと思うんだ。ノヴァはこんなところで立ち止まるべきじゃない。僕は僕の目標のために、頑張るから」

そう漣に笑いかけると、漣は消えてしまいそうなほど悲しい顔をしていた。
僕はその表情を見てなにも言えなくなってしまった。
そうして息を呑んだ時、ガチャっと音を立てて誰かが入ってきた。

「スイ、ちょっと待てや」

入ってきたのはヴィータのメンバー。
まさかここにくるなんて思ってなかったから、すごく驚いてしまう。

「來…どうしてここに?」

「スイに会わせたい奴がおってな。ここであっててよかったわ」

たしかに僕は、この場所を來に教えてはいたけど…。
それより、会わせたい人っていうのは誰だろう。

深月(みつき)、いけるか?」

來のその言葉で、今初めて気がついた奥にいる人。
なぜひとり多いことに気がつかなかったんだろう?
そう疑問を持ちながら、前に出てきた人を凝視(ぎょうし)する。

「初めまして…じゃないかな。久しぶりだね」

僕が、この人を間違えるわけない。
その声も、姿も、笑い方も、全部記憶に焼きついている。

——Asahiくん。

「どう…して…ここに…。本物のあさひくん…?」

彼は確かに僕が中学時代に大好きだった、元ブラヴール水色担当のAsahiくんだ。
いや、今でも彼のファンだ。
今は黒髪になっているウルフカット、水色の瞳、少し女の子寄りの顔立ち。
全てが僕の記憶の中にあるあさひくんだった。

「うん。実は來の友達なんよね〜。まさかこんなところで、あさひ組に会うと思わなかったわ〜。君のことは覚えてるよ!よく握手会に来てくれてたよね?」

『あさひって忘れっぽいんよね〜』

そう言ったあさひくんが、僕のことを覚えていたことに驚く。
あさひ組。
懐かしいな、それ。
あさひくんのファンの名前…だったよね。

「そう…ですけど…。ど、どうしてここにいるんですか?」

まだ上手く喋れない口を、頑張って動かした。
そしてあさひくんはニコッと笑って言った。

「あさひの本名は久羽深月(くばみつき)、今はピアニストとして活動してるよ。そして、スイくんと同じ女の子」

ピアニスト。
その職業が、あさひくんにはピタッとハマるような気がした。
配信では3歳の頃にピアノを始め、中学生で初めてピティナピアノコンペティションに出て意外といい賞を取れたと言っていた記憶がある。
小学生の間はなにかと忙しく、出るのはやめたと笑って話していた。

「今度はね、ショパン国際ピアノコンクールに出るんだ。これが、あさひが見つけた夢なんだ。幼い頃からずっとやりたかったピアニスト。叶えられたのは、ブラヴールでの経験があってたくさんのファンがいたからだと思う」

そう言ってあさひくんは目を伏せた。

「あさひにはずっと自信がなかった。でも、ブラヴールとして活動していて自信が持てた。そのくらい、自分にとってファンの存在が大きいってことだよね。だから、スイくんの気持ちがよくわかる」

あさひくんは僕に近づいて、僕の手を優しく握った。
2年ほど前に行った握手会の時と、同じ握り方だ。
そして、あさひくんは悲しい声で言った。

「あさひが学生の時の話を避けてたのはまあ…気がついてるよな。……あさひは、ずっといじめられてた」

「え…?」

「女なのに、男の格好するとことかキモいって。いじめられ続けた。小学でも、中学でも、高校でも。あさひの両親は家に帰らない人で、親からの愛情も知らなかった。あさひはなにもしたくなくなって、いっそのこと死んだほうがいいんじゃないかって思った」

僕は驚いた。
あのあさひくんが、僕と同じように苦しんできたことに。
僕は両親に反対されるくらいだったけど、あさひくんはその両親さえいなかったんだ。
——辛かったのかな。
そう考えたら、涙が出そうだった。

「そんな時に、里來(りく)に会ったんよね。あ、里來っていうのはりとのことね」

りとくんは今もブラヴールを支えている、リーダーのピンク担当の人だ。
りとくんとあさひくんは双子だと言われるくらい仲が良くて、いつも助けてもらったんだと良く話していた。
そして、あさひくんが活動を始めたきっかけになった人だと。

「りとってあさひと同じXジェンダーなんよ。かわいいものが好きで、あさひと似てた。りとはあさひの全部を許してくれて、いつだって受け止めてくれた。それが、“久羽深月”が“あさひ”でいられた理由。でもな、それでもあさひに向けられる視線は変わらんかった。あさひはそれを無視するって形でしか、しのぐことができなかったんよ」

それでも、僕にはそれがすごいことに見えた。
無視することすらできなくて、どんどん沈んでいくしかなかったから。
僕は漣という存在がいるから、“スイ”を保ってるだけだ。

「でも、スイくんはそうじゃなかった」

「え?」

突然僕の話になって、そんな声をあげてしまった。

「スイくんはそれに向き合うとしてる、そこであたる壁を壊そうと。來にスイくんのことを教えてもらって、あさひはスイくんを応援したいと思った。自分にできなかったことを、この子にやってもらいたいって。まあ、顔見てあさひのファンだってわかった時はびっくりしたけどな」

そう言って、あさひくんは微笑んだ。
そんなふうに思ってくれる人がいたことが、嬉しい。
自分と同じ不安を抱えている人がいたことが。

「だからね、最後にこれだけ言わせて。諦めちゃダメだ、自分のやりたいこと。誰に否定されようと、絶対スイを認めてくれる人はいる。その中にはあさひだっている。前を向いて、これからもあさひの好きなノヴァのリーダー“スイ”でいてほしい。あさひはもう、とっくにスイのファンやから」

嬉しかった。
嬉しくてたまらなくて、僕は涙を流した。
そんな僕を、あさひくんが抱きしめた。

「頑張ったね、今まで。それと、あさひのこと大好きでいてくれてありがとう。スイくんも、自分の夢に向かって頑張ってほしいな」
あさひくんに包まれて暖かくて。
僕はその暖かさから、声を出して泣いてしまった。
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