嘘つきな先輩は、エリート弁護士になった元カレにすべてを暴かれる

1. 眩しすぎる再会

 シャンパングラスの中で弾ける泡が、会場の照明を反射して輝いている。
  幸福という言葉をそのまま絵にしたような、華やかで愛らしい新婦の笑顔。貸切のおしゃれなダイニングバーには甘い花の香りが漂い、楽しげな笑い声がそこかしこで響く。──ありふれた『結婚式の二次会』の光景だ。
 そのすべてが、今の私には少しだけ眩しい。

一夏(いちか)、久しぶり! よく来てくれたね」

 少し目を細めたところで、今日の主役である新婦・あゆみが、ドレスの裾を揺らして駆け寄ってくる。あゆみは大学時代のバイト仲間で、お互いに就職してからもたまに女子会をする仲だった。
 けれども、一年前に私が地元に戻ってからは、彼女とも疎遠になってしまった。そんな私にも招待状を送ってくれたあゆみの好意と、『絶対来て』の念押しを無碍にも出来ず、私は重い気分を引きずり上げて、どうにかこの場に立っていた。

「あゆみ、本当におめでとう。すごく綺麗」

 この一年で、作り笑いが随分上手くなったと思う。あゆみは「ありがとう」とはにかんだ。それから、少し声を潜めて続ける。

「……でも、一夏。正直に言っていい? 私、絶対にあんたたちの結婚のほうが先だと思ってたんだよ」

 あゆみの無邪気な、けれども確かにこちらへの心配を含んだ台詞が、私の古傷を的確にえぐる。私は苦笑して軽く手を振った。

「まだその話? もう別れたって言ったじゃん、一年も前に」
「そうだけど、でも……」
「ほら、今日は私の話はいいから。新婦さんは忙しいでしょ?」
「……一夏の自分のことを話さないとこ、相変わらずだね」

 あゆみは諦めたように軽く肩を竦めて、それから、「そうだ、美奈も来てるよ」とあっさり話を変えてくれた。
 あゆみに手を引かれ、同じくバイト仲間だった美奈たちの輪に合流する。あゆみが別の招待客のところへ向かった後、美奈がカクテル片手に小声で話しかけてきた。

「一夏、久しぶり。……律人(りつと)くんも来てるよ、見た?」

 ──律人。
 懐かしい、と言えるほど『過去』にできていない名前に、胸元がずきりと痛む。けれどもどうにか顔には出さず、私は驚いた声を作って応じた。

「え、律人も来てるの?」
「あ、やっぱり、知らなかったんだ、来るの。……あゆみもさあ、みんな呼びたかったのはわかるけど、ちょっとは配慮して欲しいよねえ? こんなところで元カレ見たくないでしょ」

 案じるような美奈の声に、隠しきれない好奇心が滲む。
 律人──待田(まちだ)律人は、かつてのバイト仲間のひとりであり、美奈の言葉のとおり私の『元カレ』でもあった。

「てか、佐藤が最近律人くんと会ったって言ってたんだけど、そのとき、指輪してたって。律人くん」
「……え?」
「勿論、左手の薬指ね。安……えーと、シンプルなシルバーだったらしいけど……もう、新しい彼女ができたんだねえ。さすが弁護士サマはモテるっていうか……逃した魚は大きかったかもよ?」

 美奈が、冷やかすようににやにや笑う。けれども私は、その『シンプルな(美奈は『安物の』と言いかけたのだろう)シルバー』という特徴に、知らず心音が速くなるのを感じていた。
 法科大学院には行かず、現役で司法試験に合格した律人は、美奈の言葉のとおり、今は弁護士として働いている。まだまだ駆け出しとはいえ、大手法律事務所に就職した彼の年収は、同世代のなかでは確実に高いほうだろう。
 そんな彼が、新しい彼女とのペアリングに、安物のシルバーリングなんて選ぶだろうか?

(まさか……まだ、持ってるの?)

 安物の──社会人なりたての私と、司法試験の勉強のためにアルバイトをやめた苦学生の彼とのなけなしのお金で買ったシルバーリング。彼がまだ、それを持っている? 

(……そんなはずない。『他に好きな人ができた』って別れを突きつけて、アパートにあった荷物を一方的に送りつけて、連絡先は全ブロックして……そんな最低の『元カノ』のものなんて、捨ててるのが普通でしょ)

 必死で自分に言い聞かせながら、私は、彼がまだあれを持っているということが、理解できてもしまうのだった。──彼は、情に厚い。最低な別れ方をしたからこそ、納得できないままという可能性は十分にある。

(それにしたって、一年は長いと思うけど。……でも、もし、あの指輪が、律人をまだ縛り付けているなら……)

 いちかさん、と、いつまで経っても少し慣れないような声で、はにかんだように私の名前を呼ぶ彼の顔が、脳裏に浮かぶ。私は何気なく会場に視線を巡らせ、そして──

 ──目が、合ってしまった。

「あ。噂をすれば」

 美奈が、明らかに面白がっている声で言う。会場の喧騒から少し離れた壁際。数人のスーツ姿の男たちに囲まれて、あの頃とは随分違うどこか冷ややかな雰囲気を纏った彼が立っている。
 華やかな場に相応しい仕立てのいいスーツに、すこし後ろに撫でつけた短髪。かつての「バイト先の可愛い後輩くん」とは似ても似つかない隙のない雰囲気は、社会人になってから身につけたものだろうか。
 私とは全く別の世界を歩んでいることがひと目でわかる姿に、息が詰まる。そして、それなのに──

『いちかさん』

 あの頃の声が、そのまま、私の耳に蘇ってくる。……それぐらいに変わらない、真っ直ぐな瞳。どこか暗い熱を孕んでいるような目を見ていられずに、私は思わず視線を逸らした。視界に、グラスを持つ彼の左手が飛び込んでくる。
 かつて何度も繋いだ、長い指。その薬指に、指輪の輝きは存在しない。

(……当たり前だ)

 あの仕立てのスーツに、あんな安物は不釣り合いだ。そして、それ以前に──佐藤くんと会ったというのがいつの話かはわからないけれど、その時と今はもう、変わったということなのかもしれない。私のことなど振り切ったから、あの指輪ももう外している……それなら、それで構わない。

(構わない、はずなのに……)

 私は確かに、彼の指から指輪が失われていることに、落胆している。

「……ごめん。お手洗い行ってくる」
「はいはい」

 あまりに身勝手な自分のことが耐えきれずに言った私に、軽い声とともに美奈が手を振る。そうして、彼から逃れるように身を翻した私は──彼の視線がずっと私一人に注がれ続けていたということに、そのときは、気づくことができなかった。



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