嘘つきな先輩は、エリート弁護士になった元カレにすべてを暴かれる
2. 三次会の罠
二次会のあと、かつてのバイト仲間だけで三次会へ、という話になったのは、ごく自然な流れだった気もするし、今思えば最初から仕組まれていたような気もする。
ともかく、断りきれず三次会に連れて行かれた私は──当然と言えば当然のことながら、実家へ帰るための新幹線の終電を逃し、三次会の席の隅でひっそりとため息を吐いていた。
(……どうしよう。宿、今からとれるかなあ……)
実家暮らしとはいえ、細々としたバイトで食い繋ぐ身の上の私にとっては、交通費も宿泊費も懐への負担が大きすぎる。せめて帰りは高速バスに切り替えようか。スマホをチラ見しながら考えていたせいで、私は、いつの間にか隣席の人物が入れ替わっていたことに気付かなかった。
「いちかさん」
その声に、はっとして顔を上げる。
「りつく、……律人くん。……向こうで飲んでたんじゃないの? 飲み比べ」
「うん? 潰してきました」
「えっ」
二次会の会場で目にしたときは、雰囲気が変わったなんて思ったけれど──今、私の目の前にいる律人は、不思議なぐらいあの頃のままだ。
背が高すぎるから少し猫背になることが多くて、すっと通った鼻筋と鋭い目つきのせいで一見怖く見えるけど、笑うと目がふわっと柔らかくなって、悪戯っ子みたいに可愛い顔になる。慌てて律人がいたはずのテーブルに視線を向けると、真っ赤な顔でウーロン茶を飲んでいる男の子たち──本当はもうみんな『子』なんていう年齢じゃないけれど、後輩はいつまでも『男の子』に見えてしまう──が目に入って、私は思わず笑ってしまった。
「相変わらず、お酒強いんだ」
「それなりには。というか、そもそも、飲み比べってほどガチじゃないですよ。みんな、もう、いい社会人ですから」
「……そうだね。みんな立派になっちゃって」
私たちのアルバイト先は、どこにでもある、チェーンのファミリーレストランだった。
家賃が安くて治安もそこそこの、学生が多く住むエリアにあるということもあって、バイト仲間は、同世代の大学生が多かった。結果として、大学が違っても、みんなで旅行に行くぐらいに仲良くなった。アルバイトを卒業してからも付き合いは続いた──今回二次会に呼ばれたのはそんな面子で、けれども当然、あの頃とは色々なことが様変わりしている。私はちらりと皆に視線を流した。
「ユキくんは外資だよね。由真ちゃんは大学に残ったんだっけ。……律人くんは弁護士だし。すごいよね、みんな」
こんな話、本当はしたくない。『いちかさんは?』と聞かれたとき、絶対に答えに窮するからだ。けれども他の話題が思いつかず、律人から視線を逸らしたまま陽気な声を作る私に、律人は「そんなことないよ」と肩を竦めた。
「いちかさんは良く知ってるでしょ。俺、そんなに頭よくないですし。死ぬほど勉強して、やっと弁護士になったんです。……全部、いちかさんのおかげだ」
「……何言ってるの。頑張ったのは律人くんだよ」
現役で司法試験に合格した律人が『頭がよくない』なんて、誰が聞いても嫌味だと思うだろう。私は思わず苦笑した。
律人が司法試験対策に集中すると決めた一年間、たしかに私は、食事の差し入れや簡単な家事を行いに、律人のアパートに通っていた。けれども、その頃は私も社会人一年目だったから、せいぜい週一程度のペースだった。こちらとしては、むしろ、週一会うことが彼の勉強の妨げになっているんじゃないかと気を揉んでいたぐらいだったのだ。気を使わなくてもいい、と軽く振った手を、律人が掴む。
「……!?」
「……指輪、してないんですね」
「え?」
「『好きな男』とはもう別れたんですか? 会社の人だって言ってませんでしたっけ。『社内恋愛がバレて居づらいから仕事も辞める』んじゃなかったんですか」
ぎくり、と、体が強張るのがわかる。
律人が口にしたのは、一年前、私が律人に告げた別れの言葉そのままだった。さすがの記憶力だ。『好きな人ができたから分かれて欲しい』『相手はりつくんの知らない会社の人』『その人と付き合えそうだけど、社内での立場は悪くなりそうだから仕事はやめる、熱りが冷めたら結婚するかも』……そんなようなことを早口で並べ立て、ほとんど有無を言わさずに連絡先すべてをシャットアウトした。浮気や二股だと思われても少しも構わなかったし、あの頃は、私にしては悪くない言い訳を思いついたと思っていた。
けれども今、改めて律人に口にされると、その言い訳の拙さが曝け出されてしまうような気がする。そもそも、今時、社内恋愛ぐらいで辞めさせられる職場がそうそうあるとは思えない。「えーっと」とどうにか言葉を探そうとする私に向かって、律人はにっこりと微笑んだ。
「……地元に戻ったって、あゆみ先輩に聞きました」
「えっ」
あゆみとは特に仲が良かったから、彼女にだけは、事情の一部を知らせてあった。そのあゆみがまさか、律人に話してしまうだなんて。固まる私に、律人は淡々と追撃してくる。
「地元、静岡でしたよね。……もう、新幹線ないんじゃないですか」
私の手を、『逃さない』とでも言うように、律人の大きな手がぎゅっと握る。
「俺、引っ越してないんで……家、都内なんですけど。……宿として使ってもらっても構いませんけど、どうします?」
(……やられた……!)
私の顔を覗き込むようにして、善意しかないみたいな優しい顔で、律人は軽く首を傾げる。私は固まったまま、内心で舌打ちをした。
やられた。──律人があゆみと繋がっていることがわかった以上、すべては仕組まれていたと考えるべきだった。律人は、そういう男なのだ。あゆみが『絶対来て』と言ったのは(勿論、彼女自身の意志も含まれていただろうが)律人の差し金だっただろうし、三次会に行く流れになったのも、店が律人の家の近くになったのも、律人の根回しの結果だったのだろう。
最初から、こうするつもり……私を家に誘い込むつもりだったのだ。でも。
(……今更、どうして?)
一年は、すべてを忘れるほどに長くはないけれど、起きたことを過去にするには十分だ。今更未練もないだろうし、一体どんな用事があるというのだろう。
(まさか、……復讐とか……?)
未練はなくとも、恨みは残っている。そういう可能性は十分にある。それだけ一方的な、律人からしてみたら納得できない別れ方をしたという自覚はあるのだ。もしそれが目的だとしたら、甘んじて受けるしかないけれど……と、警戒する私の前で、律人は、甘えるみたいに目を細めた。
「積もる話もありますし。……ね、いいでしょう?」
……何より。
私は結局、この笑顔に敵わない。だからこそ、あのときの私は、決して律人の顔を見ないようにして、ひたすら喋ることに集中したのだ。私はそれでもどうにか断る言葉を探し──思いついたすべてを口に出せずに、ぎこちなく、律人の誘いに頷いたのだった。
ともかく、断りきれず三次会に連れて行かれた私は──当然と言えば当然のことながら、実家へ帰るための新幹線の終電を逃し、三次会の席の隅でひっそりとため息を吐いていた。
(……どうしよう。宿、今からとれるかなあ……)
実家暮らしとはいえ、細々としたバイトで食い繋ぐ身の上の私にとっては、交通費も宿泊費も懐への負担が大きすぎる。せめて帰りは高速バスに切り替えようか。スマホをチラ見しながら考えていたせいで、私は、いつの間にか隣席の人物が入れ替わっていたことに気付かなかった。
「いちかさん」
その声に、はっとして顔を上げる。
「りつく、……律人くん。……向こうで飲んでたんじゃないの? 飲み比べ」
「うん? 潰してきました」
「えっ」
二次会の会場で目にしたときは、雰囲気が変わったなんて思ったけれど──今、私の目の前にいる律人は、不思議なぐらいあの頃のままだ。
背が高すぎるから少し猫背になることが多くて、すっと通った鼻筋と鋭い目つきのせいで一見怖く見えるけど、笑うと目がふわっと柔らかくなって、悪戯っ子みたいに可愛い顔になる。慌てて律人がいたはずのテーブルに視線を向けると、真っ赤な顔でウーロン茶を飲んでいる男の子たち──本当はもうみんな『子』なんていう年齢じゃないけれど、後輩はいつまでも『男の子』に見えてしまう──が目に入って、私は思わず笑ってしまった。
「相変わらず、お酒強いんだ」
「それなりには。というか、そもそも、飲み比べってほどガチじゃないですよ。みんな、もう、いい社会人ですから」
「……そうだね。みんな立派になっちゃって」
私たちのアルバイト先は、どこにでもある、チェーンのファミリーレストランだった。
家賃が安くて治安もそこそこの、学生が多く住むエリアにあるということもあって、バイト仲間は、同世代の大学生が多かった。結果として、大学が違っても、みんなで旅行に行くぐらいに仲良くなった。アルバイトを卒業してからも付き合いは続いた──今回二次会に呼ばれたのはそんな面子で、けれども当然、あの頃とは色々なことが様変わりしている。私はちらりと皆に視線を流した。
「ユキくんは外資だよね。由真ちゃんは大学に残ったんだっけ。……律人くんは弁護士だし。すごいよね、みんな」
こんな話、本当はしたくない。『いちかさんは?』と聞かれたとき、絶対に答えに窮するからだ。けれども他の話題が思いつかず、律人から視線を逸らしたまま陽気な声を作る私に、律人は「そんなことないよ」と肩を竦めた。
「いちかさんは良く知ってるでしょ。俺、そんなに頭よくないですし。死ぬほど勉強して、やっと弁護士になったんです。……全部、いちかさんのおかげだ」
「……何言ってるの。頑張ったのは律人くんだよ」
現役で司法試験に合格した律人が『頭がよくない』なんて、誰が聞いても嫌味だと思うだろう。私は思わず苦笑した。
律人が司法試験対策に集中すると決めた一年間、たしかに私は、食事の差し入れや簡単な家事を行いに、律人のアパートに通っていた。けれども、その頃は私も社会人一年目だったから、せいぜい週一程度のペースだった。こちらとしては、むしろ、週一会うことが彼の勉強の妨げになっているんじゃないかと気を揉んでいたぐらいだったのだ。気を使わなくてもいい、と軽く振った手を、律人が掴む。
「……!?」
「……指輪、してないんですね」
「え?」
「『好きな男』とはもう別れたんですか? 会社の人だって言ってませんでしたっけ。『社内恋愛がバレて居づらいから仕事も辞める』んじゃなかったんですか」
ぎくり、と、体が強張るのがわかる。
律人が口にしたのは、一年前、私が律人に告げた別れの言葉そのままだった。さすがの記憶力だ。『好きな人ができたから分かれて欲しい』『相手はりつくんの知らない会社の人』『その人と付き合えそうだけど、社内での立場は悪くなりそうだから仕事はやめる、熱りが冷めたら結婚するかも』……そんなようなことを早口で並べ立て、ほとんど有無を言わさずに連絡先すべてをシャットアウトした。浮気や二股だと思われても少しも構わなかったし、あの頃は、私にしては悪くない言い訳を思いついたと思っていた。
けれども今、改めて律人に口にされると、その言い訳の拙さが曝け出されてしまうような気がする。そもそも、今時、社内恋愛ぐらいで辞めさせられる職場がそうそうあるとは思えない。「えーっと」とどうにか言葉を探そうとする私に向かって、律人はにっこりと微笑んだ。
「……地元に戻ったって、あゆみ先輩に聞きました」
「えっ」
あゆみとは特に仲が良かったから、彼女にだけは、事情の一部を知らせてあった。そのあゆみがまさか、律人に話してしまうだなんて。固まる私に、律人は淡々と追撃してくる。
「地元、静岡でしたよね。……もう、新幹線ないんじゃないですか」
私の手を、『逃さない』とでも言うように、律人の大きな手がぎゅっと握る。
「俺、引っ越してないんで……家、都内なんですけど。……宿として使ってもらっても構いませんけど、どうします?」
(……やられた……!)
私の顔を覗き込むようにして、善意しかないみたいな優しい顔で、律人は軽く首を傾げる。私は固まったまま、内心で舌打ちをした。
やられた。──律人があゆみと繋がっていることがわかった以上、すべては仕組まれていたと考えるべきだった。律人は、そういう男なのだ。あゆみが『絶対来て』と言ったのは(勿論、彼女自身の意志も含まれていただろうが)律人の差し金だっただろうし、三次会に行く流れになったのも、店が律人の家の近くになったのも、律人の根回しの結果だったのだろう。
最初から、こうするつもり……私を家に誘い込むつもりだったのだ。でも。
(……今更、どうして?)
一年は、すべてを忘れるほどに長くはないけれど、起きたことを過去にするには十分だ。今更未練もないだろうし、一体どんな用事があるというのだろう。
(まさか、……復讐とか……?)
未練はなくとも、恨みは残っている。そういう可能性は十分にある。それだけ一方的な、律人からしてみたら納得できない別れ方をしたという自覚はあるのだ。もしそれが目的だとしたら、甘んじて受けるしかないけれど……と、警戒する私の前で、律人は、甘えるみたいに目を細めた。
「積もる話もありますし。……ね、いいでしょう?」
……何より。
私は結局、この笑顔に敵わない。だからこそ、あのときの私は、決して律人の顔を見ないようにして、ひたすら喋ることに集中したのだ。私はそれでもどうにか断る言葉を探し──思いついたすべてを口に出せずに、ぎこちなく、律人の誘いに頷いたのだった。
