婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
 すっかり話し込んでいたのもあり、時刻はすでに十四時を回っている。

 先に院長のもとを訪れている一真たちとそこに合流するために病院へ行くと、凪の義妹である実川玲奈が待ち構えていた。
 つまり、実川社長もこちらへ戻っていたということか。今回のことに実川も絡んでいるのだと、確信が深まる。

「凌也さん、先日はなにか誤解があったようで……」

 初対面の場であれほど突き放したというのに、この媚びた態度。半分とはいえ、つつましやかな凪と血がつながっているとは思えないほどの厚顔ぶりだ。

「名前を呼ばれるほど、親しくなった覚えはないが」

 一瞬目を吊り上げた彼女は、すぐさま笑みを浮かべた。

「だってあなたは、私の義兄さんじゃない。家族になったんだから、もう少し仲良くしたいわ」

「俺にそんなつもりはない」

 強引に振り切って、関係者入口へ向かう。
 その背後では「凪なんかと結婚するからよ」など、暴言を喚き散らしていた。

 事務員に取次ぎを頼み、院長と話しているというふたりのもとへ案内してもらった。
 室内では、和やかとは言い難い雰囲気で話し合いが続いていた。

「ああ、本条社長。このたびは、とんでもないことをしてくれましたな」

「とんでもないこと、とは?」

「あなたと梶原医師の、癒着問題ですよ」

 ここまで堂々と言ってのけているのだ。梶原医師とうちに罪をなすりつけて、逃げ切れる自信があるのだろう。

 院長の説明は、一貫して変わらず。それなら証拠をと言えば、今は見せることができないの一点張り。
 わかっていたが結局、大した情報も得られないまま病院を後にした。

 外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。急いで帰ったとしても、凪との約束に間に合いそうにない。
 ふたりには先に車に乗ってもらい、外で凪に連絡を入れることにした。

 スマホを取り出しながら、彼女と食事の約束をしたあの日を思い出す。

『誰かと……好きな人とクリスマスを一緒に過ごすなんて初めて』

 凪にしては珍しくはしゃいだ声をあげていた。
 当然だろう。凪は母親を亡くして以来、一度として家族とクリスマスを過ごしてきた経験がないのだから。

 両親からのプレゼントを自慢しに来る義妹が羨ましかったと、瞼を伏せた凪。涙こそ見せなかったが、当時は相当辛い思いをしていたには違いない。

 その彼女の、うれしそうなはにかんだ笑みを守れなかったことが悔やまれてならない。

「凪、申し訳ないが、今夜の約束はキャンセルさせてほしい」

 ここで彼女が我がままを言うはずがないと、わかっていた。
 けれど答えるまでのわずかな間が、凪の心情を物語っているようだ。

 どうすれば彼女を笑顔にしてやれるのか。
 この件が片づいたら、もっと凪と過ごす時間を確保したい。
 そんなことを考えていたところで、再び近づいてきた彼女の義妹の存在にうんざりした。



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