傷ついた王子は森の魔女に癒される
(喰われたら、きっと痛いだろうな……)

 噛まれる感触を思い浮かべれば、牢の中で散々に鞭で打たれたときの痛みがよみがえる。
 呼吸が乱れる。こわばった足では後ずさりすることもできない。
 と同時に――処刑のときとは異なる感情が心をかすめた。


 この魔獣と戦う意味は、果たしてあるのだろうか。
 倒せたとしても、逃げきれたとしても。
 その先にあるのは孤独だけだ。


 枝や枯葉を踏む音がじりじりと迫ってくる。
 剣はまだ鞘に収めたまま、一歩後ずさる。
 まだ身を差し出せるほどには覚悟が決まっていないことに気づけば、自分の無様さに失笑してしまう。

「できれば……ひと思いにとどめを刺して欲しいものだな」

 魔獣に語りかける。自分の声が震えていることに気づいて思わず笑ってしまった。頬はゆるむ一方で、冷や汗が首筋を伝い落ちていく。
 静寂の中、睨み合う。
 不意に、赤い目が消え失せた。

「――!」

 次の瞬間、目の前に牙が迫っていた。
 噛みつかれる直前、とっさに剣で薙ぎ払えば空を切る音だけが鳴る。魔獣はわずかに頭を振って、ファリエルの繰り出した攻撃をぎりぎりのところで避けていた。

 戦闘が始まってしまえば考えるより先に身体が動き、気づけば大きく後方に跳躍していた。剣を構え直す間もなく今度は熊を思わせる動きで前足を振り下ろされ、さらに一歩下がる。一瞬視界をよぎった爪の鋭さに背筋が凍りつく。痛みを与えられることを身体が拒否する。鼓動の速さに息苦しさが増していく。

 生きたいという意思もないまま、ただ傷を負うことを恐れて剣を振るう。
 空虚な行動が、状況判断力を鈍らせた。
< 83 / 117 >

この作品をシェア

pagetop