嘘つきな患者と、私の先生。
抜け出し
3日目の夜。
消灯後。
病室は静かで、
昼よりもずっと、息が詰まる。
カーテンの向こうから聞こえる寝息。
規則的な機械音。
遠くの足音。
「……」
眠れない。
目を閉じても、
すぐに開く。
(無理)
ここにいるの、
やっぱり無理。
昼間はなんとか耐えてた。
検査も、食事も、
ちょっとだけだけど、頑張った。
でも——
「……はぁ」
小さく息を吐く。
白い天井。
白い壁。
消毒の匂い。
全部が、
じわじわと押しつけてくる。
(帰りたい)
その気持ちが、
さっきよりも強くなる。
「……」
ゆっくり体を起こす。
少しだけ、ふらつく。
「……っ」
胸の奥が、まだ少し重い。
でも。
(今なら、いける)
そう思ってしまう。
点滴のチューブを見る。
少し迷う。
(これ…)
触れる。
「……」
一瞬、昼間のことがよぎる。
“頑張ろ?”
「……」
目を逸らす。
(知らない)
小さく首を振る。
ゆっくり、
テープを剥がす。
「……っ」
少しだけ痛い。
でも、そのまま外す。
機械の音が一瞬変わる。
「……やば」
小さく呟く。
でも止まらない。
ベッドから足を下ろす。
冷たい床。
「……っ」
立ち上がる。
少しぐらっとする。
「……だいじょぶ」
誰に言うでもなく、
小さく呟く。
(大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせる。
一歩。
また一歩。
ゆっくり、ドアに向かう。
心臓が少し速い。
バレたらどうしよう、とか。
でも、それよりも——
(出たい)
それだけ。
ドアに手をかける。
静かに、開ける。
廊下。
薄暗い。
人はいない。
「……」
一歩、外に出る。
その瞬間。
「何してるの」
低い声。
「っ……」
心臓が跳ねる。
ゆっくり振り返る。
そこにいるのは——
如月世那。
白衣のまま、
腕を組んで立ってる。
「……」
言葉が出ない。
見つかった。
完全に。
「戻る気ないよね、それ」
視線が足元に落ちる。
点滴、外したまま。
「……」
「菜月」
名前を呼ばれる。
少しだけ、低く。
「なにしてるの」
さっきと同じ言葉。
でも、
少しだけ温度が違う。
「……帰る」
やっと出た言葉。
小さいけど、はっきり。
「無理」
「……無理じゃないし」
「無理」
被せられる。
「……」
少しだけ、
イラッとする。
「ここ無理なの」
ぽつっと出る本音。
「……」
世那が少しだけ目を細める。
「知ってる」
静かに返ってくる。
「じゃあいいじゃん」
「よくない」
「……」
またそれ。
「今出たらどうなるか分かってる?」
「……」
分かってる。
でも。
「……いいもん」
小さく言う。
子どもみたいに。
その瞬間。
一歩、近づかれる。
距離が一気に縮まる。
「よくないって言ってる」
低い声。
逃げ場がない。
「……」
視線を逸らす。
でも、
逃げきれない。
「……戻るよ」
静かに言われる。
命令じゃない。
でも、
逆らえない。
「……やだ」
最後の抵抗。
「うん」
「でも戻る」
手首を軽く掴まれる。
強くない。
でも、
離してくれない。
「……っ」
「歩ける?」
「……」
答えられない。
さっきより、
足元がふらつく。
「ほら」
支えられる。
ほぼ、寄りかかる形。
「……やだ」
小さく呟く。
「うん」
「でも戻る」
そのまま、
ゆっくり病室へ戻される。
「ほら」
座らされる。
「……」
何も言えない
さっきまでの勢いが嘘みたいに、力が抜ける。
「……何してるの」
さっきと同じ言葉。
でも今度は、少しだけ低い。
「……帰るって言った」
小さく返す。
「点滴外して?」
「……」
「勝手に?」
何も言えない。
視線を逸らす。
「……菜月」
名前を呼ばれる。
さっきより、少しだけ強い。
「それ、危ないって分かってるよね」
「……」
「答えて」
「……わかってる」
しぶしぶ出る声。
「じゃあなんでやるの」
「……」
言葉が出ない。
代わりに、
ぎゅっとシーツを握る。
「……ここ、やなの」
ぽつっと。
「……」
「息詰まるし」
「落ち着かないし」
「全部やだ」
少しずつ、溢れる。
「……帰りたい」
沈黙。
世那が小さく息を吐く。
「……帰したいよ」
「え」
思わず顔を上げる。
「帰せるなら、とっくに帰してる」
静かな声。
「でも無理」
「……」
「今の状態で外出たら、また倒れる」
はっきり。
逃げ道を塞ぐみたいに。
「……やだ」
小さく呟く。
「うん」
否定しない。
「やなのは分かる」
一歩、近づく。
「でも、それで無茶するのは違う」
「……」
「約束したよね」
「……」
“頑張ろ?”
思い出す。
「……してないし」
弱い反論。
「したよ」
「“ちょっとだけ頑張る”って」
「……」
逃げ場がない。
「今のは頑張ってない」
「……」
「ただ逃げてるだけ」
「……っ」
胸が少し痛くなる。
図星すぎて。
「……だって無理なんだもん」
ぽろぽろと涙が頬を伝う。嗚咽を堪えようとしても、胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。
「……っ……!」
胸が苦しくて、吸っても息が入りにくい。
喉がヒューヒュー鳴り、肩が小刻みに震える。
手足も重く、体がベッドに沈むようにぐったりする。
心臓が早鐘のように打ち、息を整えようとしても呼吸が浅く、苦しさがどんどん強まる。
「菜月……っ」
世那の低く落ち着いた声が耳に届く。
「大丈夫……ここにいる。無理しなくていい」
背中や肩にそっと手が触れられ、体を支えられる。
手の温もりに、少しだけ涙が止まるが、胸の圧迫感はまだ強く、息を吸うたびに咳き込む。
「……苦しい……」
小さく、でもはっきりとつぶやく。
胸の奥が詰まり、呼吸がうまくできず、咳のたびに体が震える。
手足も冷たく、床やベッドを掴みたくなるほど力が入らない。
「大丈夫……ゆっくりでいい……」
世那は優しく支え、背中をさすってくれる。
呼吸の乱れを落ち着かせるように、体を少しずつ支えながら膝を抱く形にさせる。
「……ごめん……」
弱々しく謝る声に、世那は首を振る。
「謝らなくていい。泣いてもいいし、怖くてもいい」
手の温もりと優しい声に少し落ち着きを取り戻す。
咳き込みは続くけれど、震えは少しずつ弱まり、呼吸も浅いながら整っていく。
「……怖かった……」
つぶやく声に、世那は頷き、肩や背中をそっと撫でる。
胸の圧迫感はまだ残るけれど、今は安全だと少しずつ実感できる。
しばらくぐったりと身を預け、涙と咳が収まるのを待ちながら、菜月はやっと静かに眠りに落ちる。
消灯後。
病室は静かで、
昼よりもずっと、息が詰まる。
カーテンの向こうから聞こえる寝息。
規則的な機械音。
遠くの足音。
「……」
眠れない。
目を閉じても、
すぐに開く。
(無理)
ここにいるの、
やっぱり無理。
昼間はなんとか耐えてた。
検査も、食事も、
ちょっとだけだけど、頑張った。
でも——
「……はぁ」
小さく息を吐く。
白い天井。
白い壁。
消毒の匂い。
全部が、
じわじわと押しつけてくる。
(帰りたい)
その気持ちが、
さっきよりも強くなる。
「……」
ゆっくり体を起こす。
少しだけ、ふらつく。
「……っ」
胸の奥が、まだ少し重い。
でも。
(今なら、いける)
そう思ってしまう。
点滴のチューブを見る。
少し迷う。
(これ…)
触れる。
「……」
一瞬、昼間のことがよぎる。
“頑張ろ?”
「……」
目を逸らす。
(知らない)
小さく首を振る。
ゆっくり、
テープを剥がす。
「……っ」
少しだけ痛い。
でも、そのまま外す。
機械の音が一瞬変わる。
「……やば」
小さく呟く。
でも止まらない。
ベッドから足を下ろす。
冷たい床。
「……っ」
立ち上がる。
少しぐらっとする。
「……だいじょぶ」
誰に言うでもなく、
小さく呟く。
(大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせる。
一歩。
また一歩。
ゆっくり、ドアに向かう。
心臓が少し速い。
バレたらどうしよう、とか。
でも、それよりも——
(出たい)
それだけ。
ドアに手をかける。
静かに、開ける。
廊下。
薄暗い。
人はいない。
「……」
一歩、外に出る。
その瞬間。
「何してるの」
低い声。
「っ……」
心臓が跳ねる。
ゆっくり振り返る。
そこにいるのは——
如月世那。
白衣のまま、
腕を組んで立ってる。
「……」
言葉が出ない。
見つかった。
完全に。
「戻る気ないよね、それ」
視線が足元に落ちる。
点滴、外したまま。
「……」
「菜月」
名前を呼ばれる。
少しだけ、低く。
「なにしてるの」
さっきと同じ言葉。
でも、
少しだけ温度が違う。
「……帰る」
やっと出た言葉。
小さいけど、はっきり。
「無理」
「……無理じゃないし」
「無理」
被せられる。
「……」
少しだけ、
イラッとする。
「ここ無理なの」
ぽつっと出る本音。
「……」
世那が少しだけ目を細める。
「知ってる」
静かに返ってくる。
「じゃあいいじゃん」
「よくない」
「……」
またそれ。
「今出たらどうなるか分かってる?」
「……」
分かってる。
でも。
「……いいもん」
小さく言う。
子どもみたいに。
その瞬間。
一歩、近づかれる。
距離が一気に縮まる。
「よくないって言ってる」
低い声。
逃げ場がない。
「……」
視線を逸らす。
でも、
逃げきれない。
「……戻るよ」
静かに言われる。
命令じゃない。
でも、
逆らえない。
「……やだ」
最後の抵抗。
「うん」
「でも戻る」
手首を軽く掴まれる。
強くない。
でも、
離してくれない。
「……っ」
「歩ける?」
「……」
答えられない。
さっきより、
足元がふらつく。
「ほら」
支えられる。
ほぼ、寄りかかる形。
「……やだ」
小さく呟く。
「うん」
「でも戻る」
そのまま、
ゆっくり病室へ戻される。
「ほら」
座らされる。
「……」
何も言えない
さっきまでの勢いが嘘みたいに、力が抜ける。
「……何してるの」
さっきと同じ言葉。
でも今度は、少しだけ低い。
「……帰るって言った」
小さく返す。
「点滴外して?」
「……」
「勝手に?」
何も言えない。
視線を逸らす。
「……菜月」
名前を呼ばれる。
さっきより、少しだけ強い。
「それ、危ないって分かってるよね」
「……」
「答えて」
「……わかってる」
しぶしぶ出る声。
「じゃあなんでやるの」
「……」
言葉が出ない。
代わりに、
ぎゅっとシーツを握る。
「……ここ、やなの」
ぽつっと。
「……」
「息詰まるし」
「落ち着かないし」
「全部やだ」
少しずつ、溢れる。
「……帰りたい」
沈黙。
世那が小さく息を吐く。
「……帰したいよ」
「え」
思わず顔を上げる。
「帰せるなら、とっくに帰してる」
静かな声。
「でも無理」
「……」
「今の状態で外出たら、また倒れる」
はっきり。
逃げ道を塞ぐみたいに。
「……やだ」
小さく呟く。
「うん」
否定しない。
「やなのは分かる」
一歩、近づく。
「でも、それで無茶するのは違う」
「……」
「約束したよね」
「……」
“頑張ろ?”
思い出す。
「……してないし」
弱い反論。
「したよ」
「“ちょっとだけ頑張る”って」
「……」
逃げ場がない。
「今のは頑張ってない」
「……」
「ただ逃げてるだけ」
「……っ」
胸が少し痛くなる。
図星すぎて。
「……だって無理なんだもん」
ぽろぽろと涙が頬を伝う。嗚咽を堪えようとしても、胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。
「……っ……!」
胸が苦しくて、吸っても息が入りにくい。
喉がヒューヒュー鳴り、肩が小刻みに震える。
手足も重く、体がベッドに沈むようにぐったりする。
心臓が早鐘のように打ち、息を整えようとしても呼吸が浅く、苦しさがどんどん強まる。
「菜月……っ」
世那の低く落ち着いた声が耳に届く。
「大丈夫……ここにいる。無理しなくていい」
背中や肩にそっと手が触れられ、体を支えられる。
手の温もりに、少しだけ涙が止まるが、胸の圧迫感はまだ強く、息を吸うたびに咳き込む。
「……苦しい……」
小さく、でもはっきりとつぶやく。
胸の奥が詰まり、呼吸がうまくできず、咳のたびに体が震える。
手足も冷たく、床やベッドを掴みたくなるほど力が入らない。
「大丈夫……ゆっくりでいい……」
世那は優しく支え、背中をさすってくれる。
呼吸の乱れを落ち着かせるように、体を少しずつ支えながら膝を抱く形にさせる。
「……ごめん……」
弱々しく謝る声に、世那は首を振る。
「謝らなくていい。泣いてもいいし、怖くてもいい」
手の温もりと優しい声に少し落ち着きを取り戻す。
咳き込みは続くけれど、震えは少しずつ弱まり、呼吸も浅いながら整っていく。
「……怖かった……」
つぶやく声に、世那は頷き、肩や背中をそっと撫でる。
胸の圧迫感はまだ残るけれど、今は安全だと少しずつ実感できる。
しばらくぐったりと身を預け、涙と咳が収まるのを待ちながら、菜月はやっと静かに眠りに落ちる。