藤木部長にロックオン〜あの子のハートビームから逃げられない〜
タクシーに揺られながら、俺はそっと視線を下げる。

腕の中の片瀬くるみは、目を閉じてクタリと俺の胸に身を任せていた。

(眠ったのか?)

そう思い、そっと身体を離すと、ギュッとスーツの胸元を握りしめてきた。

「んっ、はると、大好き……」

ドッキーン!!と、俺の心臓は跳ね上がる。

(ななな、何だって?)

藤木遥斗、31歳。
そう、俺は今、片瀬くるみに名前を呼ばれた。
そのあとに、大好き、とも……

(どういうことだ? 何が起こっている? 誰か説明してくれ。赤石千夏ー!)

叫び出したい衝動をこらえていると、やがてタクシーが建物のエントランス前に止まった。

(ここか?)

こぢんまりとしたワンルームマンションは、社宅として会社が用意したものだが、女性社員向けの為、俺は実態を知らない。

運転手さんからお釣りを受け取ると、片瀬くるみの身体を支えながら、とにかくタクシーを降りた。

(えっと、部屋番号は?)

ポストを見ても、防犯対策なのか誰も名前を表示していない。

すると、ふと管理人室のインターフォンが目についた。

押してみると、モニター越しに話しかけられる。

『はーい。あら、片瀬さんじゃない?』
「はい、そうです。夜分にすみません。私は直属の上司なのですが、飲み会でこんな状態になってしまい、送り届けに来ました」
『まあ、ありがとうございます。すぐそちらに行きますね』

しばらくすると、気のいいおばさんといった雰囲気の管理人さんが現れた。

「こんばんは。ごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ。こんな夜更けに申し訳ありません」
「大丈夫よ。まだ9時半だし、録画した韓流ドラマ観てたから。部屋にご案内しますね。あ、カバンは私が持つわ。だけど片瀬さん、普段は酔いつぶれたりしないのに、どうしたのかしら?」

そうですね、と俺は適当に濁してあとをついていく。

(酒に酔ったのではないだろうな。疲れて寝てしまったのか)

肩を支えてはいるものの、片瀬くるみは完全に眠ってしまったようで、歩く気配がない。

仕方なく、俺は両腕で彼女を抱き上げた。

「あら! まぁまぁまぁ……」

いや、おばちゃん。
韓流ドラマじゃないから、そんな顔でこっち見ないで。

すると片瀬くるみが、俺の胸元に頬を寄せて呟いた。

「……はると」

んまぁ!と目を輝かせるおばちゃん。
いやいやいや、違うから!

エレベーターで3階に上がり、突き当りの部屋まで来ると、おばちゃんは俺を振り返る。

「ごめんなさいね、疑う訳ではないんだけど、名刺を見せてもらえるかしら? ほら、女の子の一人暮らしの部屋に無断で上げることになるから……」
「そうですね、わかりました。そのカバンの内ポケットに、私の名刺ケースが入っています」

おばちゃんは「失礼するわね」と言って、手に持っていた俺のカバンを開ける。

「あ、これね。『ウィリー・ニリー・インク』確かにうちの会社だわ。えっと、藤木……はるとさん? あらあらあら」

だから違うって!

何やら楽しそうに部屋の鍵を開け、おばちゃんはもう一度俺を振り返った。

「ちょっとだけ待ってて。ほら、女の子の部屋だからね、一応中を確認するわ」
「わかりました」

ミーハーなところはあれど、きちんとした管理人さんらしい。

おばちゃんはドアを開けて中に入ると、しばらくしてから顔を覗かせた。

「さすがは片瀬さんね、きれいにしてる。どうぞ上がって。でも部屋の電気はつけないでおくわ。今夜は満月だから、ムーンライトで充分明るいの」

なんで『月明かり』と言わない?
まあ、そこはおばちゃんのロマンなのかもしれない。

俺は言われるがまま、ムーンライトが射し込む部屋に上がり、壁際のベッドに片瀬くるみを寝かせた。

「ありがとう。あとは私がやっておくわ」
「はい、よろしくお願いします」

俺はおばちゃんからカバンを受け取ると、なるべく部屋の様子を見ないようにしながら立ち去った。
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